今から、26年前の1995年、5時46分に阪神大震災が発生しました。
26年前のこの日には、既に、東京から関西に赴任してきており、住んでおりました。
その当時は、関西は関東に比べて地震が少ないので、住みやすいでしょうと言われておりました。
確かに、震度3以上の地震は少なかったです。
この日(1月17日)、朝、凄い縦揺れの地震でビックリしました。
寝室にあったタンスが倒れてくると思い、掛け布団を被って、倒れてくる準備をしたことを覚えております。
また、隣のリビングでは、ガラス付の本箱が倒れ、ガシャーンという破損した音も聞こえてきました。
TVは、TV代から落下し、筐体の一部が壊れていました。
電気は通じておりましたので、TV台に戻して、TVを点けました。
今では、信じられないと思いますが、NHKの地震速報では、滋賀県・米原の震度が表示されていました。
てっきり、滋賀県の米原方面で地震あったかと思いました。
後で分かったことですが、阪神地区は、停電と通信回線も分断され、地震データが収集されなかったことが原因でした。
朝の8時ぐらいになって、この地震の震源地が阪神方面であることを知りました。
色々なことを思いださせますが、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉です。
自宅にある、防災の備品をもう一度見直しましょう。
追記:
阪神大震災で得たもの:
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0117/wth_210117_6239325704.html
タイトル:阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは 今日で26年
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0117/wth_210117_6239325704.html
タイトル:阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは 今日で26年
この記事で取り上げられたもの:
・ボランティア元年
・震度階級に「5強」などを新設】
・東京消防庁にハイパーレスキュー創設
・災害派遣医療チーム(DMAT)発足
・カセットコンロ・ガスボンベの規格統一
・水道レバーが「下げ止め式」に
・地震保険が普及する
です。
しかし、次の見直し等されております。
・携帯電話の普及に拍車がかかる
当時はポケベルが主流で、携帯電話は普及しておりませんでした。昼間は、自宅の電話も制限され、通信手段は、公衆電話機や電話ボックスでした。昼間の電話機の前は、行列ができていました。
関西では、携帯電話は、制限されなかったと言うことで普及しました。制限されなかった理由は、通信制限する程、普及していなかったと言うことでした。
・震災後の自動販売機の飲料が無料提供となる
インフラが寸断されたので、飲料食料品が被災地に届きませんでした。自動販売機を提供する業界が、これ以降、電気が通じたら、無料で提供するようになりました。理由は、お金を持っている人でもおつりの10円玉がないとボタンを押せなかった仕様でした。10円玉を投入し購入した人の後だけ、購入できるという不便な仕様でした。
1年前にも、ほぼ、同じ内容を書いておりました。
ここを参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/hasechu3/e/575e344edac115c3bd49884b7dab9551