《 改装・東京駅 》
レトロな駅舎完成
東京駅改装
威風堂々
国指定重要文化財・・・高層ビルを背景に創建時の姿で威風堂々姿を現した《東京駅丸の内駅舎》 今も現役で創建時の機能を果たす 生きた《国指定重要文化財》レトロな駅舎です
丸の内/北口駅
新装/丸ビル&新丸ビル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
17歳/東京駅に立つ
BK/本店にて受験
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Haru/疎開生活15年
Haru17歳/52年前
地方から都会の丸の内の銀行を受験 新幹線は開通していない 岐阜駅で母に見送られ列車に揺られ東京駅丸の内/北口へ降り立つ 日本全国から72名の高校生が受験
岐阜に終止符・・・『東京へ帰りたい!』 父母の希望を理解した兄は若干29歳、東京へ転職し5年目を迎えていた その兄が受験の段取りをした 3歳~17歳まで岐阜市内から一歩も外へ出た経験がないHaru 東京は外国に来た気分、どっちをむいても方向音痴で解らないことばかり、丸の内のビル群に圧倒された 受験会場・BKの最上階へは29歳の兄が付き添った
父母の希望を理解した兄は若干29歳
精一杯生きた時代・・・高度成長期、誰でも努力が実る良い時代でした 昭和36年4月/18歳で父母の元から独立 新婚の長兄には合格後も大変お世話になった 上京して今年53年目を迎え半世紀が経過 長兄夫婦も82歳の高齢になりました 《23歳/結婚 30歳/MyHomeが建つ》 100歳まで生きると信じた父に、念願だった二人の新居を見せたかった しかし父は胃がんを発症一ケ月間患い72歳(没)
高度成長期は努力が実る良い時代
新装/丸の内オフィース街
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京駅へ降り立った17歳
半世紀経た今 強烈な想い出が蘇る場所
それが《東京駅》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
震災 戦争 体験
自宅焼失・結核・無職・疎開
疎開生活(22年)にピリオド
父は58歳に・・・一男三女を東京へ自立させ疎開生活22年の岐阜にピリオドを打つ 肺を患い常に体力との闘いでした 資格を得て岐阜で家族6人を養う 戦後は家で苦労し18歳迄に3回転居した 学生時代の夢は自分から諦めた
父母は22年の《岐阜》に決別した
Haru23歳結婚・・・結婚後は《全力投球》!30歳でMyHome建つ(子供6歳・4歳) 私の周りの友人達、マイホームを手に入れ団地から脱出した 夢を追いかけみな必死に働いた 結婚から7年後自分の核となるところができ嬉しかった 八王子に根を下ろし家族4人の生活がスタート
今年八王子生活40年.....感慨深い
《30歳》/めじろ台の新居
京王不動産分譲地
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和48.11.28/新居完成
Zen35歳 Haru30歳
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父.70歳 ↓母.82歳
写真から2年後、二人は昇天
父は《建設中の新居》を見ていない(没)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父.72歳没 Haru.29歳
孫/5歳 3歳
2012.11.25(日)
以降、5年間、丸の内本社勤務で、毎日東京駅丸の内北口からJR中央線で通ってた。
東京駅は新入社員のつらかった思い出や楽しかった思い出でいっぱい。大好きです。
よく、佐々木さんと帰りに東京ステーションホテルのバーで一杯やって帰ったのもなつかしい。
丸の内のビル街は、全部建て替えられ世界に誇る日本の顔として生まれ変わりました 丸の内側から見学の遊歩道ができていて、昼間の風景とライトアップされた風景の両方が見学できます たくさんの見学者で賑わっていました 今度、バーで夜景を眺めながらカクテル《東京駅》を呑みたい