《 放浪の画家 》
憧れと癒しのパリ
「私と村」・・パリ滞在中に描く
「窓から見たパリ」
フランスで活躍した・・・巨匠「マルク・シャガール」(1887~1985)の作品 パリにあるポンピドウ・センターの所蔵品により実現した展覧会 白ロシアから・・・近代絵画の華やかな中心地であるパリへの進出、祖国への帰還と、前衛運動への失意、ユダヤ人ゆえのアメリか亡命 最愛の妻ベラの死と画家自身の信仰の問題
「シャガールとベラ」
運命の恋人ベラとの結婚・28歳
「緑色の恋人達」
「ベラ」は特別な存在
28歳結婚・・最愛のベラを描く
愛する二人の胸の高まりを細やかに描いている
「誕生日」・・結婚を控えた「シャガール」
シャガール」は・・・貧しい労働者の子息、「ベラ」はヴィタベスクで宝石商を営む裕福な家柄の出身 画家としてパリで初の成功があってもベラの親は反対
1909年にベラと出会う・・・「ベラの」美しさと聡明さに夢中になる 高い教養と芸術に関心を持つ 「ベラ」からは近代史の父・ボードレールの素晴しさを教えられる 「ベラ」は画家を目指す若いシャガールに対し、好意以上の感情を抱く
二人が織り成す精神の交換・・・ヴィタブスクの大地に咲き誇る香り高い野生の花々を摘んできて、それを花束にした「ベラ」・・・才気あふれる「シャガール」によって自分が描かれることの喜び・陶酔 こうして「誕生日」は生まれた
「誕生日」のモチーフの由来・・・1015年「シャガール」の誕生日 二人は結婚式を18日後に控え、「ベラ」は誕生日用に花束と食べ物、部屋を飾るタペストリー(綴織)を買い求め、「シャガール」を訪ねる
制作の場を故郷に移す・・・フランス美術界での評価を得、「シャガール」は故郷に残してきた運命の恋人、「ベラ」と家族の反対にあっても結婚を成就させる 「シャガール」の絵画を良く理解する妻「ベラ」は、晩年まで創造の源泉でありつづけた
1910年パリへ・・・奨学金を得て念願のパリへ エコールド・パリの巨匠たちと交流を結ぶ アンデパンダンテンに出品をつづけ、評価を高める
故郷ロシアの仲間と
31歳・シャガール
ベラとシャガール31歳
ゴンチャローワ画
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故郷「ヴィテブスク」に
前衛的な美術学校の創設
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有り難うございました。
つづき楽しみにしています。
明日は生涯学習フェスティバル。これからクリエートホールに搬入です。
生徒の作品展だんだん疲れてきました。
今日は「生涯学習フェスティバル」ですか 今頃は生徒さんたちに囲まれ、パソコン指導中ですね 70歳からパソコン始め、HPとブログを開設 80歳で現役パソコン先生ですね ボランティアでしょう? 大変なことです