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読書 『江戸っ子芸者一代記 アメリカ編』 中村喜春

2006-12-30 | --- 2.3 読書

一昨日 『江戸っ子芸者一代記 アメリカ編』を読み終わりました。

これで三部作すべて読み終わりました。 喜春さん(英語の話せる芸者さん)は「アメリカ編は一番おもしろくないかも」と書いていらっしゃいましたが、私にとっては異国での体験ということで共感するところも多く、一番おもしろかったです。読後三日たった今でも心の中にじ~んとした感動のような余韻が残っています。

..ということで、本ブログに自分の感想をメモ代わりに書いておりますが、私のブログよりも松岡正剛氏の「千夜千冊」のほうを読んでいただければと思います。 松岡氏も千夜千冊の中でこの3部作をとりあげ、読み出したら止まらないと書いていらっしゃいました。
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オペラの演出家の生活をみて自分も一箇所にじっとせずに移動しながらいろんな生活を体験しようと、アメリカ国内を移動されますがその先々で大学のクラスを担当されたりと、人とのつながりで仕事を紹介してもらいます。 クラスも大変評判がよかったと思います。 オペラのアドバイザーの仕事もされました。 蝶々夫人の話は2度でてきますが、プッチーニが日本の長唄を元に蝶々夫人を作っていたという話は面白かったです。

芸は身を助ける、というのを地でいっている人に思えましたが、アメリカでの素敵な人々との出会いはひとえに喜春さんのチャーミングな人柄によるものですね。

最後の若い声楽家との恋(友情?)の結末はあまりにも悲しいものでした。

ちょっとでも興味をもたれたかたは是非、松岡氏のWEBをご覧いただければと思います。 氏はアメリカ編は『快作だ』ということでいろんな人に勧めたそうです。

 
芸者の喜春姐さん、荻野目慶子
ニッポンヲシロウ「海を渡った伝説の芸者~中村喜春」

Wikipedia 中村喜春

 

江戸っ子芸者一代記 草思社

「アメリカ編」は増刷されていないようですね。



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15 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (中村 玄)
2007-01-21 23:49:05
私は、中村喜春の息子です。母を尊敬して、今があります。私もアメリカが大好きです。17歳の頃、突然アメリカ人と結婚してしまった母には驚きましたが、「家庭内暴力」は、母の創作です。反逆的な息子ではありません。卑怯なこと、下品なこと、反社会的なことが昔も今も嫌いです。母によく似た「良い子」なのです。でも、経済的には28歳まで仕送りを仰ぐなど、母には物心両面での愛情をかけてもらいました。なお、大学の教官の任用は100パーセント本人の業績(論文の数と質。学位)です。親の影響は全く全くありません。小説からは、母の心意気を読みとってください。亡くなる年、NYで母のおしめを取り替えながら、私が赤ちゃんだった頃、母が唄ってくれた様々な歌を唄って上げて、昔話をして、笑い合ったことが良い思いでです。事実は本よりもっと面白いですよ。
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> 中村玄さま ありがとうございました。 (Happy Gilmore)
2007-01-22 18:25:49
私のつたない感想にコメントをくださいまして深謝申し上げます。 驚いておりますとともに非常に恐縮しております。 失礼なことを書いておりましたら申し訳ございません。

中村喜春さんの本はどれも喜春さんの声が聞こえてくるような文体ですね。 

大学の教官任用につきましては私も大学院で学びまして多少は知っておりますので喜春さんのおっしゃっていることは、息子さんにもっと合いたかったということの表現ではないかと解釈させていただいております。

中村様がお母様を尊敬され、お母様ととてもよい関係をもたれていたこと、お母様同様アメリカが大好きであられること、を教えていただきうれしく存じます。 おしめまで換えられて、本やウェブサイトでいくつも拝見させていただいた喜春さんのうれしそうな笑顔が目にうかびます。

玄さまがアメリカにいらしたときなどのお話は、ここを読んだかたが勘違いされるかもしれませんので削除させていただきました。

中村喜春さんは2004年の1月5日になくなられたのですね。 お手紙を書くでもなかったとは思いますが、ご存命中に存じ上げなかったことがとても残念でした。 でもいまでもこうして私をはじめ(松岡氏なども)喜春さんは多くの人をひきつけているのですね。

事実は本よりももっと面白い.....喜春さんのお話の裏にももっともっといろんな出来事があったのでしょうね。 これからますます喜春さんの本を読む楽しみが増えました。  本当にありがとうございました。

(本来ならば本名を名乗らせていただきたいところですが、ハンドルネームにて失礼申し上げます。)
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感謝です。 (中村 玄)
2007-01-23 12:07:04
いつまでも母が皆様に愛されていて幸せです。NYのJohn Jay高校時代から47年が経って、やはりアメリカにいた方がよかったかなと、後悔することはあります。でも日本で日本人と結婚でき、子ども2人も授かり、結構幸せです。舞台装置や演劇関連の仕事にでも就いていたなら、母は喜んでくれたでしょうが、母は元々インテリ志向ですから、私の仕事を嫌っていたわけではありません。若い頃の母は才色兼備??でしたが、過剰なコケットリーがあり、息子としてはウンザリでした。まだまだ母に活躍してもらいますので、お楽しみに。
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> 中村玄さま ありがとうございます。 (Happy Gilmore)
2007-01-24 05:06:33
写真でしか拝見していないのでコケットリーがいかほどのものであったのかはわかりませんが(?)、いずれにしましてもウンザリといえるほど近くにいらっしゃったのは読者としてはとてもうらやましいお話です。

お母様はお年を召されてからも(失礼!)、才色兼備でいらしゃったと思います。 1989年に出版された「いきな女たち」ははじめて書かれた小説ですが、話の面白さや、当時の生活を表す細かい数字の記憶力などすごいの一言です。はじめて本をだされたのが1983年。 もっともっと沢山書いていただきたかったです。

もうひとつ残念なのは「さゆり」です。お亡くなりになった次の年に公開されています。 こちらは祇園の芸妓さんだった岩崎峰子さんのお話が元になっていますが、(祇園と新橋では違いも多いとお聞きしますが)あの映画の製作にオペラの舞台を手伝われた経験の多い喜春さんがアドバイザーとして関わっていらっしゃれば、ずいぶんと違った(もっとよい)作品になっていたのではなかったかとも思います。

アメリカで日本文化を身をもって伝えてくださった方ということで、もっともっと沢山の人に喜春さんのことを知ってほしいですね。
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中村喜春の実像等等 (中村 玄)
2007-01-26 10:31:17
ありがとうございます。さらに一言。若い時の母は確かにきれいでした。母と歩いていると、「きれいなお姉ちゃんと一緒でいいわね」などと知らないおばさんから声を掛けられました。子どもはきれいな母を誇りに思いますが、気品と品位あってのことです。母は、眼が特段大きく、二重瞼で、鼻がすうと高かったのが特徴でした。NYで暮らし始めた頃、和服だったにもかかわらず、アメリカ人たちから、(母は)一瞬スエーデン人に間違えられたと聞きます。

母が過去の「芸者」を代表する人たりえるかどうかというと、議論の余地はありそうですが、母自身が理想とする知的で粋なイメージを芸者に托していたことは明らかです。過去にはハイセンスですばらしい新橋芸者の方々がおられたことも事実です。「さゆり」には、頭を抱えましたが、生きていたなら、母にも言い分はあるはずです。

母は、1940年まで芸者でしたが、元芸者を名乗るにしては、賞味期限がやや過ぎてはいるようです。母は滅多にいないほどの言語感覚や知識・教養がありましたから、もっと生きていてくれて、著作に吐き出してもらえたら良かったのにと思います。

母は、外交官だった父の求婚を受けて結婚しましたが、元外交官飯田四郎氏の夫人飯田深雪女史の話では
私の父は70年前外務省でも知られたハンサムボーイだったそうです。それに母が惚れて一緒になったという事実もあるようです。形式的には、惚れた男にふられて、顔に泥を塗られた恨みがあったのです。喧嘩は双方の言い分を聞きませんと、真相はわかりませんね。でも、私には、愛すべき、両親なのです。

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> 中村玄さま ありがとうございます (Happy Gilmore)
2007-01-29 06:38:50
本にでてこなかったお話を教えていただき、お知りになりたいかたも沢山いらっしゃると思うと、私のブログ上で申し訳なく感じてしまいます。

喜春さんはどの分野にすすんでも日本に名を残す女性として活躍していらっしゃったと思います。 言語感覚、知識や教養、本当にそうですね。 岩崎峰子さんのエッセイもよみましたが、こめられた情報量がまったく違い、喜春さんの才能を感じる結果となりました。

結婚されるときお母さんまには3人の候補がいらして.....お父様になさったんですよね。 大阪出身のお父様と江戸っ子の喜春さん。インドでの生活やヒマラヤでの収容生活のとき、お父様は喜春さんを守っていらしたのだと思いました。

その後玄様がお生まれになり、玄様もものごころつかれたころから、まわりの環境がいろいろとかわり大変でいらっしゃいましたよね。

....喜春さんひとりの心にしまわれたまま一緒に天国にもっていかれたお話も沢山あるに違いないと思いました。
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また、一言。 (中村 玄)
2007-02-01 03:38:28
母からは、過去の恋愛遍歴をしっかり聞かされて育ちました。惚れられることも多く、静岡に疎開中、叶わぬ恋と自殺した青年が二人いたと祖母(母の母)から聞きました。お騒がせな人です。母は嫌いな男の種を宿すことを凄くケイベツしていました。本人は納得いかない男とネンゴロになることはまずなかったと思います。「好きでもなかったら、誰が結婚なんかするか」私には、よくそう言っていました。読み物にする時、かなり、話をつくりますが、本来はストレートな人です。

私と仲良しの先輩の夫人が、大新聞の記者をやっており、偶然、その夫人の下で働いている若い女性のライターが母の熱烈なファンでした。そのライターが言うには「喜春さんの息子ってヒドイやつなんだって」。これで、我々大いに笑い転げたわけですが、私はこれが世間の人の普通の受け取り方だろうとしみじみ感じ入った次第です。仮にあの本が事実であっても、両親がそれぞれ外国人と再婚し、何年も1人で下宿暮しをする少年の哀れな教育環境を想像するなら、多少同情の余地が生まれるのではないかと思いますがいかがでしょうか。私はマイペースなので、人からどう思われたって気にはしないたちですが。

結果としては、地味で平凡ですが真面目な私の行き方に、父も母もまずまず満足して死んでいった様子です。真面目なDNA万歳。
しかし、真面目さよりも、才能よりも、一番大切なのは、「情」だと思います。私は、すべてを計る尺度を「情」に置きます。母もそうだったと思います。
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> 中村様、更なるお一言ありがとうございます。 (Happy Gilmore)
2007-02-04 07:59:52
喜春さんのお話の中にKさん、そして玄様もご存知のNさんとでてきますが、Kさんのとき、喜春さんは結婚している人とは恋愛しないようにしていた、と書いていらっしゃるとおり、言い寄られることは数知れずながら、本当に好きになった人としかおつきいしない潔癖なところがおありになったと思います。

喜春さんのお祖母さま、お母様がなくなられたとき、喜春さんは日本に帰れなかったのですが、そのとき日本にいらした多感な時期の玄様のお気持ちなどお察しいたします。 喜春さんがもっと長生きされていれば(90歳以上生きてくださいましたが)、あるいはもっと早くから執筆していらっしゃれば、成人されてからの玄様との楽しい思い出にも触れた本も出されたことでしょうにね。 

たいていの読者は、その女性ライターの方に近い気持ちをもたれることと思うのですが、同時に喜春さんの「(いまでは)とてもよい妻を持ち、よい子供たち二人に恵まれて、なかなか立派な父親ぶりです。大学で教えています」と書いてあるのをよみ、現在はお幸せにお暮らしであることがわかり、ほっとすることと思います。 

社会的なお立場もおありになり、すでにお名前も知られており、私のように匿名を使うわけにもいかず、真実をどこまでお書きになれるかは存じませんが、中村様ご自身でお母様との思い出を書きとめていかれてはいかがかと存じます。 歴史的証言もでてくるかもしれないですね?
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今回はおしらせです。 (中村 玄)
2007-02-04 16:40:17
毎回、ブログに無遠慮に書き込ませていただき、本当に恐縮です。ご厚意とご配意には深く感謝いたします。書き込みは、そろそろご迷惑でしょうから、止めようかと思いますが、今回はお知らせがあって、書き込ませていただきます。母に関連した番組のお知らせです。
NHK総合 2月14日(水)夜23時「ゆるなび」
の中の「さよならの風景(中村喜春)」です。宮本亜門さんが案内役で、母の映像を写しながら、新橋演舞場付近を歩いてくれます。放映の時間は短いですが、スタッフの気合が入った多分良い番組になっているかと思います。ぜひ、ご高覧ください。そしてご感想を。
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> 中村さま、お知らせありがとうございます。 (Happy Gilmore)
2007-02-05 19:51:26
迷惑だなんてとんでもございません。 わたくしこそ、中村様のお話にちゃんと対応してご返事できたようにも思えず申し訳ございませんでした。 中村様のコメントを読ませていただき、喜春さんの充実した人生にあらためて思いを寄せることになりました。

動く喜春さんを見てみたいと思い、これまでGoogleやYouTubeで探してきましたが写真でしかみたことがありませんでした。 ブリスベンの自宅はNHKが見れないので(見れる設備をもっておられるご家庭もあるようですが)、日本の身内にお願いして録画してもらうことにしました。 バレンタインデーの日、夜11時からですね。見れるのはもっとあとになると思いますが、今からわくわくです。
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