ELKのティータイム

子育ても終わり、のんびり普通に過ごす私のつぶやきです

乳がん闘病記 その3

2024-01-18 14:37:29 | 乳がん
しこりの見つかった5月12日の翌日、カツカレーをやけ食いしたら、ものすごい胸やけをしました。
市販の薬で様子をみていたのですが、どんどん食べられなくなって月末までに5キロ痩せてしまいました。
特に、乳がんの自覚症状はありません。

子どもたちにも、検査結果を伝えました。
でもね、私が思っていた以上に心配していたみたいで、気を使うのは私じゃないんだと気づかされました。
父と姑にも伝えたのですが、どこまで理解できているのか・・・
都合の良いように解釈しますのでね。


≪6月8日≫
がんセンターへ。
ここまでは、車で40分ぐらい。
自分で通うにも、何とかなると思って決めました。
今までは、一人で通院していたのですが、やっぱり受け止めきれないと思って、旦那に同伴してもらいました。

完全な紹介制の病院のようです。
予約時間に行くと、窓口では受け入れの準備ができていました。
書類を渡して、待合室で待ちました。
病院全体は、落ち着いた感じで静かです。
この日は、乳腺科は新患のみのせいか、待ち時間もそれほどでもなかったです。

結論としては、転院してよかった。
きちんと話をして、話を聞いてくれる先生でした。
浸潤癌は、数年前からあったようです。
そこからリンパに転移した癌が、脇の下でころころしています。
先ずは、全身への転移を調べるそうです。
見つかれば、共存の道を・・・
転移が無ければ、根治を目指すのだそうです。
新しい抗がん剤も使えるとのこと。
検査が終わったら、一気に治療を始めるとのことです。

一先ず、血液検査とマンモグラフィーとエコーの検査。
他の検査の予約を入れて、お終いでした。
この時に、『高額療養費限度額認定書』を申請してくださいって言われました。
旦那の扶養になっているので、旦那の職場にお願いしたようです。


≪6月15日≫
CTと生検です。
はい、CTは初めてです。
不安だったんだけれど、めまいも起こさずに無事に済みました。

生検は、日赤病院と同じことをしました。
ただ、小さな処置室に看護師と新人看護師の2人に、主治医の3人だけでした。
落ち着いた状態でできたのと、必要最低限の肌を出すだけだったのが嬉しかった。
こういう小さな気遣いがある病院みたいです。


≪6月22日≫
骨シンチグラフィーの検査です。
骨への転移を調べるようです。
朝、放射線の含まれる注射を打ち、数時間後に検査です。
寝ているだけなので、何かあるわけじゃないんですけれどね。


≪7月4日≫
MRIと検査結果がでます。
この1ヶ月、多臓器や骨に転移がないことを祈ってました。
主治医は、最初に『転移ありませんでした』と。
一番聞きたかった言葉を知っているんですね。
これで、根治を目指してがんばりましょうって。

先ずは、抗がん剤治療を8クール。
その後、手術。
右胸は全摘出、リンパ廓清もする。
その後、放射線治療と9クールの抗がん剤治療。

翌々週から始めることになりました。
治療には不安がいっぱいですけれど、やるっきゃないんですよね。
何か、前が見えてきた気がします。
仕事を続けても大丈夫って。
ただ、抗がん剤の副作用でキツイと思うとは言われました。



日赤病院と同じような検査を続けて、早く治療して欲しい・・・
これが、本音なんですけれど・・・
でもね、この不安な時間は治療方針を決めるのに大事な時間なんだそうです。
同時期にお客さまも癌が見つかり、同じように不安になったみたいです。



主治医からネットで検索するなら、この本を読んでくださいって。
この本に書いてあることしかしませんからって。
ただ、まだ新しい治療のようで、私が使う抗がん剤は載っていないそうです。
(この本、毎年出ているみたいです。)
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