歴史とドラマをめぐる冒険

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織田信長の「天下布武」をなんとなく考える

2020-05-17 | 麒麟がくる
信長の天下布武という印章については、

①武は七徳の武を意味しており、武力ということではない
②天下は畿内を意味しており、日本全土ではない

とでも書いておけば、優等生的解答ということになるのでしょう。

でも違いますね。根本的な考え方がおかしいと思うのです。

①「なんで印鑑通りに行動しないといけないのでしょうか」。
②その前に、各地の武将が「七徳の武だな」とか思ったのでしょうか。全ての大名にそんな教養があったのか。

まあ②はどうでもいいのです。問題は①です。言葉の解釈は色々ありますが、「印章をもとにして信長の行動とか戦略を説明しても意味ないだろう」と思うのです。

もしこの印鑑を北条氏政が使っていたとしましょう。誰も本気とは思わないはずです。「まあ、そのぐらいの気概で関東を治めようということだろう」となるはずです。「印鑑通りに行動しなかった」と責める人間はあまりいないはずです。また「天下を狙っていた」と考える人もあまりいないでしょう。

信長の場合、「そもそも日本全土を統一しようとはしていなかった」と「したい人々」がいるのですね。そういう人にとってはこの「天下布武」は「とっても邪魔」なんです。

だから色々と意味を「こねくり回して」、なんとか「天下統一という意味じゃないのだよ」としたいわけです。

他の武将の印章がほとんど問題にされないのに、信長の「天下布武だけ」が、一種の熱情をもって「めんどくさい解釈」をされるのはその為です。
印章なんてどうでもいいのです。天下には畿内という意味も日本という意味もあるのでしょう。それはいい。重視すべきは「信長の実際の行動」です。


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