織田信長が美濃を攻略後1568年頃から使った「天下布武」の意味については、「従来は」こんな説明がなされてきました。
①「天下」は五畿内のことで日本全土ではない。
②「武」はほこをおさめる。つまり平和という意味である。
③または「武」は室町将軍の武威を表している。
織田信長については「その業績をなるべく小さい感じで表現しよう」というのが、最近の信長論の潮流です。
天下統一など狙っていなかった。五畿内を守ろうとしたら、その「外」と戦いになってしまい、それが全国統一戦争のように見えるというわけです。
これが「従来の説」です。
ぼちぼちこういう信長論にも、批判の声が出てきています。ちらほらという感じなのですが。
④まず「天下」は「地方との関係において天下」なのだ。
⑤信長の時代においても「天下」の意味は流動的に変化した。それを五畿内と限定していいのか。
⑥そもそも「室町将軍が支配すべき五畿内」という考え方でいいのか。実際は信長の時代、将軍は京都すらまともに支配していなかったではないか。
こんなところでしょうか。④がとても興味深いのですね。13代将軍、足利義輝のころ、つまり信長が生きた時代。義輝の畿内支配は空洞化していました。京から逃げ出すこともしばしばでした。
それを補うように、義輝は奥州や九州には積極的に「仲介の働きかけ」をしています。また九州の大友氏をはじめ、義輝に巨額の献金を行っている地方大名もいます。
「足利義輝の意識に照らして」考えれば、将軍の支配すべき領域、つまり天下とは「五畿内限定」ではないのです。上記のように日本全国を義輝は将軍が担当すべき領域と考えていました。
ですから天下は「将軍、室町幕府が担当すべき領域であった五畿内」という考え方は成立しないわけです。
天下の意味は秀吉時代になると日本全土を指すことが多くなっていきます。急にそうなったわけでなく、信長の行動に合わせて天下の意味は流動的に変化していったわけです。
なんだか「もっともらしい説明に見える」上記冒頭の①から③ですが、簡単に信じるのではなく、自分の頭で考えてみることが必要だと考えます。
①「天下」は五畿内のことで日本全土ではない。
②「武」はほこをおさめる。つまり平和という意味である。
③または「武」は室町将軍の武威を表している。
織田信長については「その業績をなるべく小さい感じで表現しよう」というのが、最近の信長論の潮流です。
天下統一など狙っていなかった。五畿内を守ろうとしたら、その「外」と戦いになってしまい、それが全国統一戦争のように見えるというわけです。
これが「従来の説」です。
ぼちぼちこういう信長論にも、批判の声が出てきています。ちらほらという感じなのですが。
④まず「天下」は「地方との関係において天下」なのだ。
⑤信長の時代においても「天下」の意味は流動的に変化した。それを五畿内と限定していいのか。
⑥そもそも「室町将軍が支配すべき五畿内」という考え方でいいのか。実際は信長の時代、将軍は京都すらまともに支配していなかったではないか。
こんなところでしょうか。④がとても興味深いのですね。13代将軍、足利義輝のころ、つまり信長が生きた時代。義輝の畿内支配は空洞化していました。京から逃げ出すこともしばしばでした。
それを補うように、義輝は奥州や九州には積極的に「仲介の働きかけ」をしています。また九州の大友氏をはじめ、義輝に巨額の献金を行っている地方大名もいます。
「足利義輝の意識に照らして」考えれば、将軍の支配すべき領域、つまり天下とは「五畿内限定」ではないのです。上記のように日本全国を義輝は将軍が担当すべき領域と考えていました。
ですから天下は「将軍、室町幕府が担当すべき領域であった五畿内」という考え方は成立しないわけです。
天下の意味は秀吉時代になると日本全土を指すことが多くなっていきます。急にそうなったわけでなく、信長の行動に合わせて天下の意味は流動的に変化していったわけです。
なんだか「もっともらしい説明に見える」上記冒頭の①から③ですが、簡単に信じるのではなく、自分の頭で考えてみることが必要だと考えます。
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