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ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

横田めぐみさん拉致事件

2018-11-29 23:10:07 | 事件

1964年10月5日。

横田滋さん(1932年11月14日-)・早紀江さん(1936年2月4日-)夫妻に、待望の初子・めぐみさんが誕生しました。

 

 めぐみさんが4歳のとき、双子の弟が誕生。

日本銀行に勤務していた滋さんは、1976年7月に新潟県への転勤を命ぜられ、一家5人は海沿いの町に落ち着きます。

 

写真が趣味だった滋さんは、家族の写真をたくさん撮りました。

 

  

 1977年4月、めぐみさんは寄居中学校に進学。

   

 1977年10月5日、めぐみさんは満13歳の誕生日を迎えました。

同月半ば、一家は全員で、北海道から遊びに来ていた滋さんの父親を新潟空港まで見送りに出かけました。

その日空港で撮られた写真が、日本で撮られためぐみさんの最後の写真となりました。

少し前に髪型を変えたため、めぐみさんの髪は以前よりずっと短くなっています。

 

1977年11月14日、滋さんの45歳の誕生日。めぐみさんは滋さんに、櫛をプレゼントしました。

翌15日。放課後バドミントン部の練習に参加しためぐみさんは、帰宅途中で友達と別れたあと消息を絶ちます。

家族・友人・知人らが必死にめぐみさんを探し、警察も捜索しましたが、めぐみさんを発見することはおろか

何の手がかりも得られませんでした。

 

めぐみさんの家族は、その後の20年近くを、めぐみさんに何が起きたのかわからないまま暗闇の中で生きなければなりませんでした。

早紀江さんは、悲嘆に押しつぶされそうになると、息子たちに気づかれないよう押入れに隠れて泣いたそうです。

滋さんも、入浴中に一人涙しました。

 

 

北朝鮮による日本人拉致問題     アニメ 『めぐみ』

 

1997年3月に『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会』が発足、滋さんがその代表を務めます。

2002年9月。訪朝した小泉首相に、経済支援と引き換えに、北朝鮮側は拉致の事実を初めて認めます。

が、「めぐみさんはすでに亡くなっている」と・・・

 

彼等の説明によると、めぐみさんは1986年8月13日に、韓国からの拉致被害者キム・チョルジュと結婚。

翌1987年9月13日に、娘のキム・へギョンが誕生しました。

1993年1月29日、鬱病のため入院しためぐみさんは、同年3月13日に首を吊って自殺。

(その後北朝鮮は、めぐみさんの入院は1994年3月、自殺は同年4月13日だったと訂正します。)

墓は当初は病院の裏手にあったが、その後夫が移したため「行方がわからなくなった」ということです・・・

 

北朝鮮から提供されためぐみさんの画像

  

       

 

おそらくは娘さんの誕生日祝い(左)と、娘のへギョンさん(右)

 

 

めぐみさんの死後元夫は再婚し、息子さんが生まれているようです。

  

 

横田夫妻は、他の拉致被害者家族とともに『家族会』を結成し、拉致問題解決を目指します。

 

 愛する我が子に、もう一度会いたい――

 

横田夫妻の懸命な努力は続きます。

 

  

  

  

 

 孫娘(とDNAで確認済)のキム・へギョンさんとの面会の申し出を頑なに拒んできた横田夫妻でしたが、

高齢と体力の衰えを自覚し、2014年3月、第3国であるモンゴルで、とうとうヘギョンさんと初対面を果たします。

2011年に結婚していたヘギョンさんは、横田夫妻の曾孫にあたる女の子(2013年5月に誕生)を連れてきました。

  

 

 尊厳を保ちつつ、二人三脚で必死に拉致問題解決とめぐみさんとの再会を求めてきた横田夫妻。

めぐみさんの拉致から、今月15日で満41年となりました。

 

   

 めぐみさんが消息を絶ったとき40代だったご両親は、41年後の今80代――86歳と82歳――です。

ご高齢による健康上のトラブルのため、近年は拓也さんと哲也さんが滋さんの代理を務めるようになりました。

画像を拝見しただけでも、滋さんの健康状態が心配になります。

 

(この際トランプ大統領でもいい! 拉致問題を解決しめぐみさんを取り戻してくれたら、私はこの先一生、トランプ・タワーには足を向けて寝ません!!)

 

 

拉致問題が大きく進展したとき、私はすでにイギリスにいました。だからそんな私がめぐみさんについて書くなどおこがましいのですが、英語ブログに書いたので、やはりこちらでも書いておきたくなりました。そのため画像には英語の注釈が入っていますことをご了承ください。また情報はすべてネットで集めたため、誤りも含まれているかと思いますので予めお詫び申し上げます。

 

下右画像は、めぐみさんが拉致された辺りとのことです。

  

 

1962年生まれの私は、めぐみさんと同年代。

もし私があの日あのときめぐみさんの代わりにあの場所に立っていたら、

拉致されたのは私だったかもしれない・・・

横田夫妻の悲嘆や憤怒や絶望を背負わされていたのは、私の両親だったかもしれない・・・

そう考えると、背筋が寒くなります。

 

めぐみさんが拉致されていたと知ったとき、私の心はめぐみさん寄りにありました。

私が両親に護られて教育を終え、社会に出、会社勤めをし、ドイツ旅行を楽しみ、来英し、オットーと出会って結婚し、

ムスメを産み、ムスメを育て、その巣立ちを見送った。

めぐみさんは、その長い長い間――41年間――ずっと、両親に会うことすらできないまま自由を束縛された生活を強いられてきたのです。

何の落ち度も、罪も、なかったのに。

 

 しかしながら、ムスメを産んで育て上げた今、私の心はめぐみさんのご両親寄りにあります。

愛する我が子を突然奪い去られた、そのお気持ちを思うと、泣けてきます。

 

 将来の悲劇のことなどまったく知らず、平凡ながらも幸福な生活を送っていた頃の横田さんご一家。

ご両親はどんなお気持ちで、昔の、めぐみさんも一緒の家族写真をご覧になるのか。

 

 

 

ご両親からめぐみさんに宛てた手紙です。たくさんあるうちの一部。

【めぐみへの手紙】 あなたの大好きな日本の夏 普通の日々が幸せでした

【めぐみへの手紙】 あの日から41年 「ただいま」必ず聞ける

 

 ご両親に残された時間は限られており、それは刻一刻と着実に失われつつあります。

 

 

 どうか、どうか、めぐみさんのご両親がこの世におられるうちに!

めぐみさんが戻って来られますように・・・!!

 

 

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