ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

嵐の前

2012-10-21 23:24:04 | 戦争

ヒューゴー・イェーガーは、ヒットラーの専属カメラマンだった男。 1939年と1940年にポーランドのワルシャワとその西120kmにあるクトノという町のゲットーで彼が撮影した写真が、このたび“Life”誌によってオンライン公開された。 通常はナチスとヒットラーの栄光と偉大さを宣伝するための写真だけを撮っていたイェーガーが、なぜゲットーに隔離された人々の写真を撮ることになったのかは不明。

 

ワルシャワのような大都市ではゲットー設立には数ヶ月かかった。 対照的にクトノは小さな町だったので、約8000人いたユダヤ人は有刺鉄線で隔離された砂糖工場に追いやられ、そこがゲットーとなった。 住環境や食料事情は劣悪で、感染病・飢え・冬の酷寒により住人は徐々に死んでいった。 

 

ゲットーがあったのは1942年までで、ゲットーで生き抜いた人々は、その後“絶滅収容所”送りとなった。 これらの写真に写っている人々は、おそらく一人残らず全員が、ナチスの犠牲となって命を落としたもとの思われる。

 

70年以上経った今、私たちは、これらの人々のその後の運命を、歴史的事実として知っている。 でも写真が撮られた当時、これらの人々は、自分たちを待ち受ける恐ろしい運命をまだ知らなかった。 

  

そのためゲットーが成立して間もなくだったと思われるこの頃、人々は、リラックスして見える。

 

戦後イェ―ガーは、(ナチスとヒットラーの写真を大量に持っていたら、逮捕されて裁判にかけられる)と怖れ、写真を皮製のスーツケースに詰めてミュンヘン郊外に埋めた。 その後写真を密閉性の12個のガラス瓶に移し、折に触れて掘り起こしては無事を確かめた。  

 

戦後10年経った1955年、イェ―ガーは写真を掘り出し、銀行の地下金庫に預けた。 さらに10年後の1965年、イェ―ガーは写真を“Life”誌に売ったという。

 

 

こういう写真を見せられると、日常の自分の苛立ちの原因など、恐ろしくつまらないことだと実感します。 ・・・・・

 

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