昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

昭和20年8月15日・殉国 『 無窮に皇城を守らむ 』

2022年06月28日 12時17分59秒 | 9 昭和の聖代


大東塾の塾生十四人が集団自決を決行したのは、昭和二十年八月二十五日午前三時頃、
マッカーサー元帥が厚木に着陸する五日前のことであった。
自決は当時の代々木練兵場の通称十九本欅と呼ばれる木立の辺で行われ、
割腹の自刃であった。
十四人のうち介錯者二名も終了直後に自刃した。
大東塾というのは昭和十四年四月三日、神兵隊事件の指導者前田虎雄の住居に開設された私塾で、
前田の同志 影山正治が塾長となり
「 表面大陸進出の人材養成に仮託し、実質は蹶起同志の大量的養成ならびに全国同志の連絡 」
を図るために結成されたものであった。
この塾生を中心とする同志たちは、
昭和十五年七月五日、首相米内光正ほか、
牧野伸顕、岡田啓介、松平恒雄、池田成彬、原田熊雄、有田八郎らの襲撃をはかり、
決行直前逮捕されたことがある。
いわゆる第二神兵隊事件もしくは七 ・五事件である。
塾長影山正治は
明治四十三年六月、愛知県豊橋市の生れ、家は祖父の代から神職であった。
正治は昭和四年國學院大學予科に入学、
弁論部において日本主義哲学者松永材の指導をうけ、
早くから反共的学生運動の指導者となり、
前田虎雄の同志として、昭和八年の神兵隊事件には、
國學院大學生数名を率いて参加した。
事件後の獄中生活を通じ、
「 ひたすら神話より出発したる日本主義思想を唱導し
 身を以て国体の真義闡明と国難の打開に殉ずるの決意を固め 」 ( ・・七 ・五事件判決主文 )
前記七 ・五事件を企図したわけである。
これは、折柄の新体制運動を
「 幕府体制との妥協の上にできた一つの公武合体運動で、
 日本資本主義と支配層の延命策にすぎない。
 これを打ち破らなければ本当の維新はこない・・・
・・・ここで一撃を加え、国内維新に向っての国民の立ちあがりを要請し、突破口を作ろう 」
という狙いをもつものであった。
そのさい、実力行動をともなう決起は
「 吾吾は現実の勅みことなりこそ戴かなかったが、
 自らの心の中に神勅を自覚し、唯神のまにまにやった 」

「 故に私どもの行なうや、神これを行なわしめ、私どもの言うや、神これを言わしめ 」
たものとして自覚されていた。
そして実はその同じ自覚が、敗戦後の自決にもまたつらぬいている。
ただ後の場合は、敗戦をもまた真意の働きとしてとらえ、
「 道の峻厳なる、随神かんながらの厳粛なる神はかかる陋劣を許し給わず、
最も悲惨の極に至りたる正に神国として当然 」
として、国内革新なき外征がこの挫折をとげたのは当然のこととしている。
自決は、神意奉行において至らなかった自らの罪穢けがれをみそぎによって潔め、
神々への復奏かえりごととしてとり行われた。
しかもそれは、それ自体が神道の信仰儀礼として、
ごく自然におこなわれたというおどろくべき印象を与える。
こうした信仰上のテロリズム、もしくは自決という異常な行動形態は、
おそらくはとおく 神風連の行動を最後として、
その後いわゆる国家主義運動の中にはほとんど見出しえないものであろう。
二 ・二六青年将校の場合には、「 戦闘孝養」 における独断専行の論理によって、
天皇の意志を先取するという合理化が認められるが、
大東塾の場合には、その神典 ・古典 ・歌学の研修による影響が大きく、
より正統な信仰的形態に近いという印象である。
塾生自決のさいには、塾長影山正治は華北戦線にあり、
正治の父 庄平がその代理として自決を執行したのであるが、
正治の考えは、
天皇とともに、敗戦 ・再建の責めを負うて生きるというものであったようである。
自決現場は久しくワシントン ・ハイツ地区内にあり、
大東塾を中心としてその返還要請運動が行なわれていたが、
自決十九周年祭に当る昭和三十九年八月二十五日には、
十四士中央合同墓碑が現場に建てられ、
およそ二百五十名の参列者を集めて建碑祭典が行なわれた。
碑面には、たんに 「 十四士之碑 」 の五字が刻まれている。
・・・解説の部分を書写したもの


遺書と辞世歌    影山庄平 ほか
敗戦直後、その罪を神明に謝して自決した大東塾塾生十四名の遺書から一部を収録した。
この自決は、その神道信仰上の純粋 ・厳格さにおいて稀有のものであろう。
『 大東塾十四烈士自刃記録 』 ( 一九五五年刊 ) より採録

塾神前祝詞
( 註  八月二十五日午前一時出発直前塾神前において奏上せられたもの )
大神の御前に白もうさく、御前の大東塾同志十四名、
うつそみの命をかぎりて無窮に国体皇道を護持拡充の念願を籠め、
最后いやはての大きみ祭りを明治神宮の御側なる代々木練兵場において仕え奉るを、
つばらに聞し召し受け給いて、大事恙つつがなく取り果たさしめ給い、
同志のみたま洩ることなく速やけく高天の神のみ門かどに引き取り給いて、
みたま著く永久とわの御仕え仕えまつらしめ給えと畏み畏みも申す

共同遺書
( 註  自刃前夜塾長室において作成せられた。 「 共同遺書 」 の題名は 『 自刃記録 』 編者の命名による。)
清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ
昭和二十年八月二十四日
影山庄平
野村辰夫
牧野晴雄
藤原正志
鬼山  保
芦田林弘
東山利一
棚谷  寛
野村辰嗣
福本美代治
吉野康夫
津村満好
村岡朝夫
野崎欽一
・・・・・・・・・・・・

辞世歌    牧野晴雄
( 註  後の二首 < 短冊二枚 > は妻静子へ遺したもの。)
あなうれしいのち清らに今しわれ高天原に参上るなり
わが魂は天地駈り永遠に皇国傷そこなふ賊を砕かむ
君がため身まかりにきと風告ばはや参ひ來れ神の広前
いざ吾妹わぎも高天の原に参上り天の御柱い行き廻らむ
遺書
( 註  当時北支応召中の影山正治塾長に遺したもの。)
塾長
三十一年間御迷惑をお掛けし通しでした。
何もわからず、何も出来ず、何も知らず、間違いだらけの罪多き私も、
今辛うじて庄平先生に連れられて高天原に参上ることが出来ます。
尊く有難く畏こみ奉っています。
弥栄。    牧野晴雄
昭和二十年八月二十五日
遺書
父上様
皇国非常大変の秋ときに立到り候は、
実に吾等臣子の大罪にしてまことにもって深く悲しくまた恐れ畏み申し候。
三十有一年に亘り父上の厚く大きい御志に依りて育てられ、
長じていささか御奉皇の道に繋がり居り候も、
至誠至らず祈念足らずして今日の大罪を負い申し候。
万事唯々申訳けこれ無く候。
この上は、この現身うつしみを清く奉還申し上げ、高天原に参上りこの由復奏仕り、
真に神の子として無窮に仕え奉らん存念に候。
神の子として内外の仇賊を滅し、もって高天原を地上に荘厳せんと祈り居り候。
父上様
現身の一時の命の消ゆるは問題にこれなく、
神洲の民として無窮の命に生きんことを晴雄は祈り申し候。
父上様
晴雄の信仰は、今まで既に御承知のごとくに候。
御国の道に則り、今日の大罪を禊祓みそぎはらい無窮に命生きて仕え奉らんとして、
本二十五日午前三時  明治大神の神鎮しずまり坐す代々木原頭にて
教えの師影山庄平先生以下十四柱の同志と共に割腹自刃し
もって神明に帰し奉り申すべく候。
父上様の事を想い候えば、落涙禁じ難く候も、
まことにこの自刃帰一は神命に候えば、尊く嬉しく存じ居り候。
父上様も御悲しみを押え、皇国の大道に立って御喜びくだされたく候。
父上様
晴雄はこの世に存命中の御恩情を深く御礼申し上げ候。
残暑なお厳しくしかも御国重大の秋、愈々益益御健勝にて御奉皇くだされたく切に祈り上げ候。
母上様にはお悲しみ一入ひとしおと存じ候も何事も神命と畏みくだされたく一向に願い上げ候。
一栄 ・ 静栄 ・外茂栄の誤りなき御奉皇を祈り申し候。
親類の皆々様の御厚情を謝し奉り御清祥を祈り申し候。
村民各位によろしく御鳳声くだされたく願い上げ候。
静子の事はあくまでもよろしく願い上げ候。
不束ふつつかながら志の美しきものと御賞めくだされたく候。
以上絶筆認め御別れの御挨拶申し述べ候。

 大いなる悲しみ抱き夏老ゆる代々木の原にわれは逝くなり
 大君の大き御嘆き畏こめば罪多く耐えがてぬかも
 いざさらば命清らに禊みそぎして高天の原に参上るべし
 わが魂は天地駈り永遠とことわに皇国傷みくにそこなふ賊を砕かむ
 あなうれし高天の原に今しわれ神と集ひて神語りする

葬儀は、神式をもって厳修致しくだされたく、この段 切に切に願い上げ候。
最期の御願に候。
氏神様の傍に御建てくだされたくこれまた呉々も願い上げ候。
敬具
八月二十五日    晴雄 拝
父上様御膝下
・・・・・・・・・・・・・

辞世歌と遺墨    野村辰夫
高千穂は天そそるなり細矛千足くわしほこちたるの国ぞゆるぎあらめや
皇国に生命捧ぐるこれの夜や月は隈なく照り渡るなり
久方の日の若者に参ひ昇り寂かに永く御国まもらむ
死禱いのる以て皇国体を無窮に護持しまつらむ 
昭和二十年八月二十四日    野村辰夫

趣意書
言卷くも畏く、神ながらに生成せる皇国は天地の初発はじめより、
諸々の神勅を奉じて、悠遠に保全し來り、中今を通して、天地と共永久に、
万有万国を修理固成するの大使命を保有す。
天皇は、これが大使命の御中心に坐します。
之の信に立つ時、神洲断じて不滅なり。
之の命を奉ずる時、皇祚断じて無窮なり。
信に立ち命を奉ずる、すなわち使命の遂行なり。
使命の遂行は神意の遵奉にして、人意の敢行なるべからず。
神意のみ畏み、人意を貫行する時人意万福の発揮は勿論、神力加わり、
真に神孫たるの本領威力を発揮するを得べく、
己の本を忘れ、神意を無視して人意の敢行に馳る時、
神力の加わらざるのみならず、人力の万福だに出ずること能わず。
これ人間本来の絶対信に立たず、功利打算によって、
その意を左右する人力に頼るの欠陥にして、常に我等の力説する所以なり。
悲風蕭々しょうしょうとして神洲を過り、暗雨蕭条として皇土寒けし。
妖雲漠々として天日を覆い、陰気鬱々として山河に漲みなぎる。
とつ
! 起る媾和の報。
民は暗澹あんたんとして拱手長大息す。
鳥は飛ばず、獣は馳せず。
咄咄とつとつ云う降伏の報。
鬼哭きこく啾々しゅうしゅうとして神洲陸沈を嘆ず。
鳥は啼かず、獣は吠えず。
誰か天を仰ぎて慟哭せざらん。
誰か地に伏して号泣せざらん。
されど、心耳を傾けて神声を聴け。
心眼を開いて神兆を見よ。
現下の非局招来は、神を冒瀆し、祭りを無視し、国体を離れ、
皇道を蹂躙せるに基因せずんばあらず。
これ、ひとり神洲皇国をいうのみならず、世界の暗澹もまたその因を同じうす。
昭和民草の罪科ここに極るというべし。
罪の痛感は禊みそぎの起点なり。
禊の敢行は使命の覚証なり。
禊は紙への帰命によって徹せられるべく、使命は神との合一によって完うせられるべし。
ここに覚証し信念する時、今日の悲運は明日の神運なりというを得べし。
されば我等同志一統、神の実存を身をもって証し、やがて神運啓発の契機たらむとす。
我々の神策たる今回の挙や、克く神明納受し給うところありて、
人意によって既に絶望というべき深淵に沈湎したる今日の危局を、
直ちに挽回すべき神霊の恩頼を蒙こうむり得ば、本懐の成就にして幸甚の極みなり。
皇国は農民一億のためのもののみならず、また世界全人類のためのものなり。
天皇は臣民一億の上に座すのみならず、また世界全民族の上に坐します。
あたかも天日の地球におけるがごとく、
天地初め この方造化の神則たる大地上における人類理想実現の根本一大事なり。
すなわち万有万国を修理固成して光華明彩ならしむるの絶対使命を有するが故なり。
すなわち渾円球上に高天原崇厳の聖使命を有するが故なり。
もしそれ皇国壊滅の事ありとせんか、世界万国世界人類は未来永恆に理想光明を喪失せん。
加之しかしのみならず、皇国の無窮なる所以、万有修理固成の世界的神位は、
造化の神則によるものなるが故に、これに反するば、ただに人類の理想の絶望に至るのみならず、
天地宇宙も共に壊滅するの事実を知らざるべからず。
あにその尊厳に渇仰せざるを得んや。
まことに皇国は万国理想実現の中朝にして万有光明発現の淵藪なり。
今こそ、この一大事を再確認せよ。
今こそ、この重大事を再信念せよ。
かくて、一箭いっせんの光明暗雲を貫いて直下せん。
かくて、天の岩戸は朗々開かるべし。
吾等これが先達たるべく、神人帰一合力一体の随神かんながらの大道を照示し、
顕幽呼応して防護恢弘の大命に立ち、もって神洲陸沈の悲運を挽回し、
無窮永遠に国体を護持し奉り、ただひたぶるに、神勅奉行道を勇往せん。
さらに言を尽せば、真に神洲の信に徹せず、
人智をもって神を語り、神洲をいいて、遂に神をもって人意の手段となし來たれるは、
畏き神国をして、神を遊離せる人意万能の諸国と互するに至り、
互いに世界神孫同胞の相喰あいはみ相恨みあうの愚を露呈し 今日の混沌を招来したる所以なり。
大死一番もってこの愚を超絶して、真に神洲の信に徹し、
恩慈愛育の現津御神あきつみかみの御稜威みいつの慈光に浴さしめ、
真に欽迎心服せしめ、四海同胞の共栄和楽を実現せしむるは、
列皇の、ならびに  今上様の御詔書に炳乎へいことして明かなるところ、
これに俯状感泣して御天業の御恢弘を翼賛冀求ききゅうし奉ること、
これに直ちに皇民臣子の使命たるのみならず、万国万族の使命とすべきところ、
ここに至りい万国万有は初めて修理固成され、大地上は光明明彩の栄光に浴し、
真に人類の求むる理想幸福は実現せらるるなり。
我等切々の熱禱ねっとうもここにありというべし。
仰ぎ冀ねがわくは、天地神明、吾等が微衷を納受あらしめ給え。
無窮の国体皇道の分霊たる本姿を充実して、
無窮に御天業翼賛の臣子の大生命たらしめたまわらむことを。
遺書
皇国に生命捧ぐるこれの夜や月はくまなく照り渡るなり
母上様
永々御世話に相成りまことに有難うございました。
何一つ孝養を尽し得なかった事を深く御詫び申します。
辰夫は今日  皇国無窮の護持のため喜んで死んで参ります。
御多幸を祈り上げます。
八月二十四日    辰夫
・・・・・・・・・・・・・

趣意書    藤原 仁
謹みて惟おもうに皇国今日の非状を招来せる根因は、人智人力に趨はしり、
神を忘れ、国体を離れ、造化の真則に戻り、すなわち一切随神かんながらに逆行せるにあり。
その大欠患を補うことこそ人為の延命策の陋ろうを覚醒して真に無窮の御国体をお立て申し、
天壌無窮の御宝祚ほうそを御安泰申し上ぐる所以なり。
この大欠患を補うとはすなわち人為人力に日本を打ち込むことであり、
すなわち神を添え、御魂の威力を加えてその本来の使命の真に立ち、
神人帰一、合力一体の神秘を発揮、顕幽相呼応して国体皇道を護持拡充せしむるにあり。
御中心の天皇を戴き、
その一分たり股肱たるのみたみわが随神かんながらみことみことの完璧を期する時、
たとえ挽回絶対不可能の局面に至りても、未遂に戦局は挽回され、
危局は転換、聖戦は完遂され、もって御天業は恢復され、稜威は八紘に光被され、
世界万有は修理固成成り、万国万族光華明彩の恵光に浴し得るなり。
これを如実に顕現発揮し得るの道は何か。
欠患そのものたる神となり、み魂となりてその神秘霊力を注ぎ受けしむるにあり。
すなわちうつそみの生命にお暇を戴き危局を導きし自他の罪責を背負いて今後禊みそぎ続けると共に、
清らに生命捧げて神界に溶入し復命を了えて八十の熊手に候うにあり。
事ここに思い極まりて静かに長き随神かんながらみあとを決行するものなり。
庶幾こいねがわくは神命同志我等の微衷を納受し給い、
無窮絶大の勤皇護道の大生命たらしめ賜らんことを。
昭和二十年八月二十五日

自刃の趣意
最も神に背き、神を離れし全世界が神罰を受くることなく、
皇国が先ず第一にかく徹底せる神譴しんけんにあいたるは、
皇国先ず覚醒して しかる後全世界始めて覚醒すべき道のままなる
深き御神意と拝察し奉る。
岩戸開き即ち維新なくして絶対に聖戦の完徹なし。
維新未成にして たとえ戦い勝つことありといえども
そは聖戦の真義を益々晦冥かいめいならしめ、
神国日本の真姿を最も曇らすものである。
かかるが故に先ず維新すべきを今日まで絶叫し來りしなるも、
事成らず遂に今日に至りしなり。
今後に遺されし道としては左の二途のみ。
一、このままの態勢にて一応戦い勝ち、しかる後に最も厳しき禊を千年の後に受くること。
二、今日直ちに禊を開始すること。 ( 禊 ・・みそぎ )
右二者の中、神意後者に働き決して悲痛極りなき皇国今日の禊に至りしなり。
人情の切なるものとしては誰人といえども前者を望むなるが故に我等今回の処置にしても、
無窮に国体護持の楚石たることは勿論、今日ただ今 直ちに挽回策成り、
維新完成 ・聖戦完遂に至ることを念願して止まざる点に立ちしなり。
剣を取りて蹶起することは一見至高の大義と思われるるも
今日このままの状態においては人為人力に更に人為人力を加え、
神意に背きし上にも更に神意に背くものであり、益々逆結果に至り、
皇国を更に危殆に陥らしめる憂い甚だ濃厚なり。
情けにおいて忍びざるものありといえども、
遂に我等、これを最高至善なるものとして把らざりしなり。
すなわち神意を奉じての蹶起にあらずして人為による蹶起なりと深く決断する次第である。
かかる人為人力の蹶起に道を与え日本を打ち込むに非ざれば
遂に皇国の前途は言うに忍びざるの情態に至ること当然と言うべし。
されば一つには吾等皇国今日までの一切の罪穢つみけがれを背負い
「 一切の罪穢は吾等背負い奉りますにより何卒このままの状態において直ちに勝たしめ給え 」
と神々に直訴し奉るなり。
吾等今日まで営々として皇事に肝脳を砕く、更に今一切のうつしみを断ちて血涙祈願す。
神明これを納受し給うを信じて疑わざるなり。
吾等の魂魄の上に立てる剣こそ真の神剣となるであろう。
うつし世こそ一切の目的である。
されば現し世における万全の備え処置を講じ、
最も燃焼し切り 最も張り切った魂がぶっつり切れて幽界に至る時
始めて幽界りの思いが通るのであり、然らずして幽界にゆきても魂の発動はあらさせるなり。
吾等息を引き取るまで現世の奉公を尽し かつ方法をまで詳細に検討し続けしはこのためなり。
十数名打ち揃ってゆく以上その資格なきもの一人も無く一回揃って神の神前に行きたく思うのである。
親心、大御心とはすなわち玉鉾たまぼこのみちである。
玉鉾の道とは極く分かり易く言えば、玉の面は、鬼の角をも溶し、
敵も恨みを忘れて慕い恋うほどの愛と誠が充実しておることであり、
鉾の面とは鬼の角さえもへし挫ひしぐほどの力の出ずることである。
かかる玉鉾両面の完全なる発動なくしては大御心に添い奉り、
御天業を翼賛し來たることは不能である。
今次聖戦の遂行を回顧する場合玉鉾の発動はまったく逆であり、
玉徹せざるが故に鉾徹らず、鉾徹らずが故に玉徹せず、玉無きが故に全世界の恨みを買い、
鉾透らざるが故に今日の悔いを受く。
玉鉾両面かく逆行せるは すなわち聖戦の目的不明なるによる。
目的立たずして一事成るなし。
道の峻厳なる、随神かんながら の厳粛なる神はかかる陋劣ろうれつを許し給わず。
最も悲惨の極に至りたる、正に神国として当然なりと涙をもって論断せざるべからざるなり。
日本を改めて玉鉾の道完またけく発動出来るごとくせざれば真の聖戦なく真の国体の安泰なし、
随神かんながら に浴わざる勝は皇国無窮の勝にあらず。
いかなる人為的不可能の場合においても玉鉾の道完またけく発動されて始めて無窮の日本の安泰あり、
これこそ我等の念おもいて止まざる維新である。
人為の最高に神を添えること、魂魄を打ち込むことが大切である。
このことは理論や頭でやってゆけるものではない。
忠魂の発動を思う時は百の理論よりも楠公の事実を見ればよく、
維新を思う場合には直ちに松陰 ・南洲先生を想起すればよいごとく、
神の欠如を思い神助を乞わんとすれば我等十幾人の御霊みたまの前に來ればおのずから
皇魂発揮さるべしと我等信じて疑わざるなり。
無窮に神々お喜びくだされ、天皇御嘉祥くださるべきと信ずる次第である。
万世一系の御皇統と共に臣下の魂の無窮の御柱たらんとするのである。
皇魂の典範の御柱たらんとするにあり。
我等生きては万人の通れざる道を生き、死してくた万人の為し得ざることを為さんとす。

自刃に至る経緯
〇十四日夜先生 ・藤原、三浦顧問宅訪問、左の情報を得。
①  すでに無条件降伏は決定、十四日朝敵側に通告、敵側より承諾の返答あり、
  その後に打合せのため午後三時より閣議開催中のこと。
②  今夕十時を期して事の次第を新聞社に通告、明日の新聞に出すこと。
③  明日 ( 十五日 ) 午前中に  至尊みずからマイクの前にお立ちになる事。
④  阿南陸相との連絡十三日午後より切れたる事。自刃せるならむ。
⑤  陸軍の決意固きこと。
⑥  御前会議の内容
  梅津 ・豊田・阿南相当頑張りたる事。
  鈴木 ・米内 ・東郷 強硬なりし故 三対三にて遂に聖断を仰ぎたり。
  宮中は木戸の手によりすでに全面的に和平に塗りつぶされておりたる由。
その他種々の情報を入手、明日の生死も期し難く、先生 ・三浦顧問今生の別れの挨拶を交わさる。
生か蹶起の二途あるのみ。
先生すでに蹶起の道ほとんど無きを言われ、
三浦顧問は必ず近き中にあるにつき自重下されたしと言わる。
帰塾、全員を二階塾長室に招集、非公式に事の次第を報告し謹慎を命ずる。
十四日夜、庄平先生 ・野村 ・藤原 種々談合、理論として聖死案濃厚。
〇九日頃より先生の身体異状を呈す。
今までに無き事なり。
先生いわく 「 塾の上か郷里の肉身の上か 或いはお国の上に何か起るに違いない 」 と。
はたして事態は九日頃より悪化し、今日に至りしなり。
このころ先生すでに生きながら神のごとく、一切の事すべて的中するなり。
十三日夜、野村 ・藤原、小林顧問宅より九日閣議の非常情報を入手
夜中二時ごろ帰塾の節も先生十時ごろ就寝せるも遂に一睡も出来ず。
不思議なりと思いおられしところであった。
事の次第を報告、事ここに至る、今さらあわてても及ばずと静かにうどんを食して何も語らず休む。
先生は夜明けまでに熟睡さる。
十五日塾の態度を決定するまでに先ず第一の事として勤皇村護持のために正明君付を決定す。
①  川野 ・三橋 ・磯村 ・大島 ・関口 ( 入営中 ) を万難を排して残すことに決定す。
 ( 川野は事分からざる以前即ち十三日に既に出発せる。  真あれば意おのずから通ずと。
 川野出発に際してひそかに語りて曰く、 「正行まさつらの家来となりし者の心中は如何であったろうか 」
 と ) 正に事実はそのとおりなり。
十五日正午一同ラジオを神前に設けて謹みて玉音ほお聞きし奉る。
申し上ぐる言葉なし。
先生この日、一切をこの一挙に籠めて自決を決意せらる。
神意激しく働きて遂に延ばさる。
十六日午後より塾態度決定の為に準同人以上を招集、重要会議に入る。
出席者    庄平先生 ・野村 ・藤原 ・鬼山 ・森山 ・芦田 ・東山 ・棚谷 ・三橋の九名
・・・・・・・・・・・・・

辞世歌と遺墨    津山満好
万世よろずに流れてつきぬ真清水といのち清らに御国護らむ
神洲快男児ヲ尊ブ    狂石書
一族勤皇    狂石書

遺書
肇国以来ここに三千星霜、神洲の歴史燦あきらかとして日星のごとし。
天之御中神天地の初め高天原に成りまして以来神の御裔すそとして天津日嗣あまつひつぎ
天皇この国を治め給い、御民みたみ我等、
生死顕幽両貫して止まざる行願生活として  皇城を守護し奉り、
日本の御祭の灯をいや継ぎ継ぎて今日に至ったのであります。
この歴史と血涙のうちに清く美しい敷島の国に育はぐくみ神孫御民として神勅奉行の一道に徹し、
全世界修理固成し、光華明彩ならしめ、
皇道世界実現のためにこの歴史と国体を護持せむとするため、
平時に、あるいは狂乱怒濤の乱世に、みずから一本の燈となりて
御祭の燈国体護持に邁進し來たった皇民志士碧血の祈りがこり集って身命の御激発となり、
天壌無窮の弥栄いやさかを如実に実証して行く皇国本姿を思い、
御民ただ血涙あるのみです。
この三千年の歴史を護るため常に天津日嗣あまつひつぎ
天皇この国を治め給い、御民はこの歴史の上に、命清らに護り続けてくれし我等の祖先、
今日送日している日本とはかくのごときものであり、我等の祖先はかくのごときものである。
この歴史と凛冽と孤高の中に生れ奉った我々の血はかくのごときものである。
近世日本は、明治以来志士肝脳を砕きて皇政復古に帰し、
七百星霜に渡る武家政治ここに終局し、神祖以来の使命に邁進せむとするに、
しかるに漸次欧米的自由、個人、享楽、共産思想流入し、終ついに一世を風靡するに至れり。
新政維新成り 世界列強に互するも、これがため維新の宏謨こうぼ地に落ち、
その後に来たるものは文明開化の奔流の音のみであり、
ついに昭和維新激発となるまで、
おのずから維新のいのちは地下水のごとく流れ來たったのであります。
その間皇国の危局を救い、幾多忠勇義烈なる志士が賊と呼ばれ、
狂と笑われつつ神洲の無窮を信じ静かに現世去りし幾人。
かかる情勢下に在りて、終ついに支那事変、大東亜戦争を迎えるに至ったのであります。
聖戦ここに四年有余。
青雲の向き伏す極み海潮波の流るる極み、天軍神兵曠野に戦い、波濤に進む。
されど神意如何にせむ、戦勢必ずしも我に利あらず、
ここに皇国歴史肇はじまって以来最大の難局に至らしめたのである。
すなわち米英支ソ四国共同宣言受諾に至ったのである。
これ何ぞ、すなわち日本の奸賊ども皇国を無視し米英追従となり、
戦局終局の大詔渙発に至る、
時皇紀二千六百五年八月十五日正午玉音を拝す。
伏して  陛下に御詫び申上げ、昭和民草万死の罪を通記せねばならぬ。
嗚呼 臣等何たる無力、何たる非力  天を仰ぎ地に慟哭す。
かかる結果に至らしめしは、終ついに皇民各おのも各おのもの祈り足らず、
神と日本を忘れたところに存するところに在ると思考するのである。
ここに三千年以来の歴史の混沌と一大波乱を生ずるに到れり。
我等皇国国士を以て任じ、道統血統一如の下、
朝霜の道を歩み來たった大東塾一統最后の熱禱いのりを捧ぐ。
歴史と伝統を持つ日本を、かかる結果に到らしめしは、
昭和民草の祈行足らずとすれども、
直接は宮中府中の奸賊、重臣財閥、親英米的俗輩出で、
終に神洲をして米英の蹂躙をあえて見ざる奸賊出で、
平和の美名にかくれしこれら賊こそ一刀両断に斬り、
皇国維新と聖戦貫徹のため みずから捨石になるにあり。
然るに我等静視国の現状を、
天皇の赤子として詔書にまた玉音を拝す。
ここに我等深思、直接行動のいかに低くいかに浅きかを通記す。
そは一に塾長代行影山庄平先生御指導によるものなり。
若き先輩同志血気の勇、
終に神を戴き神の御声を拝すに足る先生の御言葉にみずからの浅きを恥じ
ここに一決、一統神の大御前に切腹自刃となりぬ。
そは己が責をお詫びするごとき単なるものでなく、
遠く神の正道を継ぐ日本民族大生命の流れの上に起ち、
永遠永久に御祭の燈を今ぞ風前の燈というべき皇国の道統を、
我々の屍越えて魂を背負う人のみ神洲の道ありと思考す。
嗚呼 何たる光栄 何たる歓喜、
生死を越えたここに白玉のごとき静光に満ちた大歓喜境が存す。
日本人として皇国に生を享け、真に御民最高至上の道を行じ、
またこれに殉ずることを、ここに永久に神霊となりて皇国護持の大任につかむとす。
皇国の天御柱を打ち立てる一塊の土となり砂石となるのである。
この天御柱粛然として聖土に立ち、御燈を護り、常に行き廻りて皇国を護持する秋
必ず神洲は不滅であり、みずからは一本の御祭の燈となるのである。
今こそ科学至上主義をとなえこれを心底より信じ [ 居る ] 神孫御民と世界人類に
真に心底より神を信じさせ神力の存するを実証せしめむとす。
この御祭神勅奉行の道のいかに尊く、
このことのみが日本の道である事を信じさすことが出来得るのである。
熱血憂国の志士は、必ず誓って我等の魂を背負い、
神洲護持に邁進して下されるを深く信じ、
我等は魂となりて、天駆り国駆りつつ永遠に皇国護持に仕え奉るなり。
ここに波瀾に富んだ草莽の臣 津村満好の生涯を白玉のごとき静けさの中に終らむとす。
・・・

筑摩書房  橋川文三 編集 解説
現代日本思想体系 31
( 昭和49年 ( 1974年 ) 4月2 日 購入 )
超国家主義  
行動  遺書と辞世歌  影山庄平ほか  から


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