昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

ヤングおーおー

2022年08月20日 19時50分54秒 | 4 力みちてり 1970年~

「 昨日の ヤングおーおー 見たか 」
「 おー、見た、見た 」
「 機械科の三好が、出とったやろ 」
「 出とった、出とった、あいつ よかったなあ 」
「 俺は会場におったんや、一緒にいっとったんや 」
・・・と、同級の下辻。
1972.5 修学旅行
「 ナニーッ 」
「 ほんまかいや、お前もおったんかいや 」
「 なんやお前、なんで俺も 誘うて呉れへんかったんや 」
「 俺も行きたかったなァ 」
月曜日 ・朝一番教室では、
昨日のTV、ヤングオーオーの話題でもちきりだった。

ヤングオーオー
昭和47年 (1972年) ( 高校二年 3学期頃 )
ゲスト歌手は三善英史
会場に偶々居た、同姓同名の人 と、然も 同い年 と謂う
たった それだけの理由で以て
機械科の三好は幸運にも、ステージに上ったのだ。
照れくさそうにして、桂三枝の質問に答えている三好。
彼の学生服の襟には、
吾が校、都島工業高校の襟章が、彼の機械科のMの襟章が見える。
全国の人が、この瞬間を、然も同時に、見ているのだ。
「 あいつ、ええ想いしたなぁ 」 ・・・と。
人生、偶々
こんなことが起る。


三善英史
昭和29年生まれ
謂わば、同級生である
♪ 恋はいつの日も はかないものだから

じっと 耐えるのが つとめと信じてる
・・・雨
記憶に残るフレーズである

昭和47年
毎日新聞 ・ 夕刊のコラムで、三善英史の記事が、偶々目にとまった。
新しいタイプの歌謡曲として
水前寺清子の応援歌でもなく、
北島三郎の演歌でもなく、
艶歌でもなく、また、ムード歌謡曲でもなく
歌も、歌い手も、歌声も変わってゆく ・・・と。
これからの時代は、三善英史の如く、中性化へと向かっていく
・・・と。

時代は進化する
中性化は、きっと 時代の進化の課程なのであらう
「 男女同権 」
・・・と謂う、殊更なる言葉も 今や死語である。
然し、私は
男女差別無き社会は、然りと雖も
男女区別の無き社会は、納得がゆかない
・・・そう、想う 


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