同級生・tei と、私
不思議と、二人連なるリズムが合う
小学6年生の時も然り
而も、よくよく、おんなせんせいに、縁がある様である
・・・ リンク→おんな せんせい
木下雅子先生
中学二年、三年時の
担任の おんなせんせい
美人で長身の先生は独身
理科が教科の才女で
吾々の自慢の先生であった
昭和45年 (1970年 ) 2月
中学三年生
公立高校の進学校を決めるに大詰めの段階にあった。
私と同級生・tei
担任の木下雅子先生とのマンツーマンで、
再度 進路相談を行うことに為ったのである。
私の場合は、希望した高校に、確実に合格するは難しい。
・・・と、謂う事であった。
それは西館1階の理科準備室で行われる。
準備室前には、クラスメイトの女子生徒・福本サンの姿もあった。
先ず、同級生・tei が入室した。
簡単な引き算である。
私と女子生徒・福本サンが残り、二人して廊下に佇んだのである。
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西館1階の理科室
クラスメイトの女子生徒・福本サン
美人で
爽やかな人であった。
順番待ちをしている二人、
どちらかとなく、喋りだしたことから
ちょっとした物語と発展した。
リーダー格の
福本○○さん
女子生徒との猥談で
顔を染めたは
担任のおんなせんせい
「 このー、怪物 」
私の顔 が、テレビアニメの怪物君に似ているとチャカスのだ。
「 似てへんわい 」
・・・とは、云ったものの、まんざらでもなかった。
彼女、貶したつもりであらうが、
私は貶けなされている気がしなかったのである。
あーでもない、かうでもない。
・・と、他愛もない話しで盛上ったのである。
そして、成り行きで つい羽目を外して仕舞った。
挙句、話題が翔んだ。
何憚ることもなく
「 聞きたいことがあるんや 」
「 なに ? 」
「 ラブシーン観ていて、俺ら男は○○立ってくるけど 」
「 女のおまえらは、どうなるんや 」
「 あそこが、こそばゆくなる 」・・・と、彼女 躊躇が無い。
「 あそこ ? ・・って、どこや ? 」
「 あそこって、あそこ・・よ 」
「ふうん ? 」
私が、全く予期せぬ応答であった。
彼女の方が、一枚も二枚も うわてだったのである。
・
進路相談を終えて、同級生・tei
室から出て来るや否や
「 おまえら、アホか 」
「 なんの話しとるんや、まるきこえやったぞ 」
「 そんな卑猥な話し、廊下でするかぁ 」
「 先生、変な顔しとったぞ 」
「 おまえらの話しが気に為って、もう俺の進路相談もクソもあるかい 」
・・・と、口では云ったものの、
まんざらでもなさそうで、顔は笑っていた。
本当のところは、先生も苦笑していたんだと。
次は私の番
呼ばれて室に入る
私の進路相談
私は、大阪市立都島工業高校の建築科を希望した。
所謂 「 天下の都工 」 である。
穏やかな口調で以て反対された。
淀川中学では4年前に一人、都工・建築科へ合格をみたが (・・・菊田さん)
その人は相当優秀な成績だったらしい。
2年前、冒険して失敗した人がいて、それ以外は誰も受験していない・・・だから
「 西野田にしなさい 」・・と、云う。 ( ・・・大阪府立西野田工業高校の建築科 )
確実に合格するところを選びなさい。 ランクを下げなさい・・・と、そう云うのだ。
決して冒険はするな・・と、謂うことであった。
職員会議でも、それが結論だった。・・・と云うのである。
石橋を叩いて渡れ・・・とな。
これはもう、相談でなく、勧告である。
私としたら
冒険、チャレンジ・・と、謂う認識は無かった。
有るは、どうしても行きたい・・と、謂う願望、夢であった。
私は、合格の確立を訊ねた。
確立は半々だという。
「 全くの、五分・五分ですか?」
「 5.5の方ですか、4.5の方ですか?」
・・・・
先生、答えなかった。
リンク→蛙の子は蛙
昭和45年 ( 1970年 )
3月14日
大阪万博が開幕した
夢を実現するは男のロマン
結局
先生の勧告を受入れなかった。
私とtei
己が希望を押し通したのである。
試験の前日の16日 (月)
公立高校の受験生を集めて、
学年主任の大沢先生が各々に激励して周った。
「 心配するな、大丈夫 ・・」 ・・・と。
私の番が来た。
「 お前はなァ、・・・」