goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】小島毅『天皇と儒教思想』(光文社新書)

2021-02-07 13:39:28 | 

 いろいろなことを学んだ。私は、近代天皇制、そしてそれにつながる現代の天皇制は、近代初期に「伝統」が捏造されたことを、何度か話したことがある。

 ただ儒教についての勉強はしていなかったので、この本を読んでみた。書かれている内容は以下の通り。

 お田植えとご養蚕/山陵/祭祀/皇統/暦/元号

 天皇、皇后が行う田植えと養蚕についてはまったく知見をもっていなかったが、これもあたかも古来から行われているかのようにみなされているがそうではない。

 天皇の墓地たる「皇陵」とて、近世末期から近代初期に「これではないか」と比定されたもので、根拠不明が多い。神武天皇陵がその典型である。

 祭祀も近代初期につくられた。皇統も、現天皇家は北朝の系統なのに、戦前の歴史教育では南朝正統論。

 本書でふむと思ったのは、和暦の意義である。日本だけが伝統的な和暦を捨て去った。韓国や中国はいまだ日常生活で保持している。それは正しい姿勢であると思い、和暦のカレンダーを購入して、今私の背後にある。これからは、和暦でみていこうと思う。

 学問的知見の基づいた主張は納得できるものがたくさんあり、読む価値はある。私は図書館で借りた。

 読んでいて 面白かったことを2点紹介する。一つは「馬鹿」のルーツ。 紀元前3世紀、秦の2世皇帝に仕えたおべっか使いの男がいた。 自分に逆らうものを見分けるために鹿を馬と称して皇帝に献上した。不思議に思った皇帝が近臣たちに質問した。これは何だ、と。その男は、それは鹿ですと答えた者たちを自分に逆らう可能性があるとして粛清したそうだ。「莫迦」が古い表記で、 バカはサンスクリット語で「愚か者」を意味し、その音訳が本来の語源であるそうだ。その後秦は、皇帝に直言できるまともな政府高官がいなくなり、民心に背く政策をごり押しで行ったため、圧政に苦しむ人々が各地で決起してあえなく滅亡したという。

 現在の日本の政府高官は「馬鹿」ばかり。いずれ日本も滅びることになるだろう。

 もう1つは仏壇である。日本で家の中に仏壇を設けて祖先の位牌をおく風習は江戸時代に始まるとされている。寺請制度のもと、仏教信者であってキリシタンではないことを証明するために仏像を家庭内に安置し、その仏壇に位牌を置くようになったのだそうだ。しかしこの位牌、仏教にルーツがあるのではなく、儒教からだそうだ。

 日本の風習にある儒教的なものを知らなければならないと思った。


とにかく感染しないこと

2021-02-06 21:58:00 | コロナ

  COVID-19については、このブログで何度も同じことを書いてきた。しかし一向に政府や厚労省の医系技官の姿勢が改まらない。最近は同じことを書くことがイヤになってきた。

 さて私は、何度もとにかく感染しないようにすることが大切だと書いてきたが、それを裏づける記事がある。

コロナ感染、無症状でも後遺症長引く可能性


男はダメ!

2021-02-06 09:05:16 | 社会

 森というオリンピック・パラリンピック組織委員会の会長がバカなことを話した。テレビも見ない、また新聞が一日遅れで届く関係で詳細を知ることができるのは遅れる。

 森某の発言を読んだ。その問題部分。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を選ぶというのは、文科省がうるさく言うんですよね。だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これもうちの範囲で言いますが、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか、いま?5人か?10人いるイメージだね。5人います。
 女性っていうのはやっぱり優れたあれがありまして競争意識が強い。誰か1人が手を挙げて言われると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。みんな発言されるんです。前の発言されたことについて、関連しているんではないんですね。思いのままにいかれる、どんどんと。で結局、女性っていうのは、あんまり言うと、また新聞に漏れるとこれまた悪口言ったとなりますけど、女性を、必ずしも、数で増やしていく場合は発言の時間をある程度、規制をしておかないとなかなか終わらないで困ると言っておられました。誰が言ったか言いませんけど。まあそんなこともあります。

 私はこの発言に女性の優秀さをみる。男というのは潜在的に「競争意識が強い」。他人を押しのけてでも、立身出世を望んでいる。しかしそれをみずからの力ではなく、上にいる者の「引き」に期待する。だから上の者が行うことに異を唱えない。「御説ごもっとも」であって、異論反論を避ける。おかしいと思っても声を挙げない。情けない男たちなのだ。私は在職中、そういう姿を見てきた。男たちはそのかわり、蔭で何ごとかを語る。私の発言に、「私もそう思っていたよ」とか。私はじゃあ賛成の意見を言ってくれればよかったじゃないかと思うが、男は言わない。

 しかし女性たちは発言する。自分自身の、上に引き立てられての「出世」なんか期待していないから、自由に発言する。異論反論もである。素晴らしいことではないか。だがなかには少数ではあるが、男のような女もいる。そういう女はいつの間にか「出世」している。

 日本のシステムは腐っている。異論反論をもたない者を引き上げて「出世」させるから、要するに自主性を持たない、上意下達のろくでもない者ばかりが「リーダー」となる。日本社会全体がこういうシステムを捨てない限り、日本の未来は暗い。

 


生と死の境界

2021-02-06 08:56:04 | 日記

 あまりにも日常的に接していた人が姿を見せないという状況に、未だなじめない。隣人の突然の死を受け入れられない自分自身をみる。

 花壇や家の周りを、私はタネを買ってきて花を咲かせるのがひとつの趣味である。昨年はタキイ種苗の会員になったことから珍しいタネを買い昨秋それを蒔いた。今それが少しずつ咲き始めている。

 いつも、隣家のおばあさんは、私が育てる花を見て褒めてくれていた。今春も、それを励みに栽培してきたのに、いなくなってしまった。

 生と死の境界は断絶していない、日々の生のその延長線上に死はあると思う日々が続く。しかしそうであっても、生と死は人間を切り裂く。生者は死者と会うことも話すこともできない。隣家の家族の悲しみは、私の比ではないだろう。

 だが私も喪失感をもちながら生きている。みずからの死を遠望しながら。


身近にあるのかもしれない

2021-02-03 21:15:00 | 日記

 先日隣家のおばあさんが亡くなられたことを記した。一昨日、畑に行ったら、久しぶりに隣の畑のおばあさんがいた。久しぶりなので話したところ、旦那さんが最近亡くなられたという。すでに80歳を過ぎていたが、餅をのみ込めずに苦しんで亡くなられたとのこと。

 話を聞くと、葬儀場も火葬場も混んでいて、なかなかたいへんであったとのことだ。

 浜松地方でもこうなのだから、都会ではより多くの方々がこの世を去っていることだろう。

 私自身の余生はどのくらいかと考えてしまう。

 一昨日から本を捨て始めた。読んだけれども面白くなかったもの、読んではいないけれども価値がなさそうなもの、その多くは時事的なものだ。あるいは対談本。そして雑誌・・・

 メディア関係の本、以前記者になった者にあげることにしてあったが、今はどこにいるのか、連絡があれば送るつもりでいる。

 毎年行っている講座、次年度もよろしくというメールがあったが、もう辞退しようかとも思う。

 読みたいと思って買った本。いつもいつも仕事に追い立てられてその関連本を読むことに時間をとられ、読まずに本棚に飾ってあるものが多い。残された時間、そうした文化遺産ともいうべき本を読むことにつかいたいと思い始めた。芥川龍之介全集は、その一環でもある。残すは第12巻のみ。今日、書簡集を読み終えた。