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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

時空を舞う音

2014-05-03 00:33:47 | 日記
 夜、フジ子ヘミングのピアノコンサートに。全国ツアーで、二カ所だけチケットが完売しなかったというので、ボクは名古屋/愛知県芸術劇場コンサートホールに行った。

 ボクの席は二階席。ステージの上、ボクの席からフジ子ヘミングのピアノを弾くところがよく見えるところ、ちょうど一階の客席を見おろすかたちになる。もっとも良い席である。SS席。なんと1万2000円。

 素晴らしい演奏であったことをまず記しておかなければならない。

 まず、クラシック音楽の漫画、たとえば「のだめカンタービレ」をみると、ピアノ演奏の場面で、ピアノから音が立ちのぼっていくように描かれているが、まさに今日、ボクはフジ子ヘミングが弾くピアノから音が立ちのぼってくることを感じた。

 その音、ひとつひとつの音が輝き、それが生きていてホールの空間に立ちのぼると同時に降りてきて、ボクらの耳に到達する。

 その音、ユニセフのマークに子どもたちが手をつないでいる絵があるが、フジ子ヘミングの音はそういう感じである。それぞれが個である音が、手をつなぎ、音楽を織りなしていく。その音をたとえるなら、それは子どもでないといけない。なぜか、ひとつひとつの音が輝いて、生きているからであり、またとても活動的であるからだ。フジ子ヘミングは81歳。しかし彼女の指が生み出す音は、81という年輪を重ねながらも、生き生きとしている。

 今日、スカルラッティ、ショパン、リストなどの曲が演奏された。いつも読書やネットに向かっているとき、ボクはバックにクラシック音楽をかけているが、だからだろうか、それぞれの曲の個性にあまり気がついていなかった。だが、今日、いろいろな曲を真剣に聴き、四方八方に飛び跳ねる曲、内にこもろうとする曲、やるせない曲・・・・曲は、いろいろな表情をもっていること、同じ作曲家のものでも、曲によってかなり曲想が異なっていることを教えてもらった。

 最後のラ・カンパネラは、フジ子ヘミングを象徴する曲であるが、さすがに圧巻の演奏であった。ピアノから湧き出したあの音が、ホールの四次元の空間を、個性をもったひとつひとつの音がつながりあって、舞い踊るのだ。ボクは、目を閉じながら、それを感じることができた。

 コンサートホールでの生演奏は、オーケストラでもピアノリサイタルでも、音は決して平板ではなく、厚みをもっている。その厚みをもった音が、聴衆の全身をつかむのだ。この音は、CDなどでは絶対に出ない。

 音楽にしても、美術にしても、生であることが重要だ。なぜかというと、生は輝いているからだ。

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