一昨日隣家のおばあちゃんが急死した。いつもとても元気で、ほとんど毎日会話をしていた。今後楽しい会話ができないと思うととても寂しい。
今朝、ものすごく強い雨が降った。この時期にこんな強雨が降るのは珍しいと思いながら、雨音を聞いていた。
この強雨は隣家のおばあちゃんの涙ではないかと思った。自分が亡くなったという自覚はおそらくなかっただろうと思うほどの急死であった。
亡くなって三途の川を渡ろうとするときに、なんで私はこんなところにいるのだろうと近くにいた人(?)に尋ねる。すると、「あなたは亡くなられたのですよ」と言われる。驚いて聞いてまわったら、みずからの死が確かなものだということがわかってくる。
自分自身が死ぬということをまったく準備していないから、もう一度戻りたいと頼んでも、誰も聞いてくれない。
一気に悲しみが押し寄せ、滂沱の涙が流れる。
コロナ禍のもと、そうして旅立っていった人がたくさんいるのだと思う。亡くなっていく本人が、まったくこころの準備もなくあの世へと旅立つ。酷である。
そういう死をできるだけ減らしていくのが、政治ではないかと思う。