完全な健康体になっていないので、意欲があまりわかない。以前購読していた『芸術新潮』、今月号は買った。特集が「フェルメールの静かな革命」だったからだ。
フェルメールという画家は、昔から注目されていたわけではない。私がフェルメールを知ったのは、今はどうしているかわからないが劇団民芸の女優さんのAさんからであった。
民芸をやめてから、Aさんは一人芝居なんかをしていたが、最近はその消息を聞かない。もう20年近く前、しばしば会っていたときに、フランスのパリでフェルメールの絵画が集まるそうだから
見に行こうと誘われている、というようなことを言っていた。
時に美術の展覧会に行くという趣味を持っている私でも、フェルメールをその時は知らなかった。
その後、いろいろなところからフェエルメールの情報が入ってきて、何故に注目されるのかがある程度理解できるようになった。何年前か、東京都美術館に「真珠の耳飾りの少女」を見に行ったこともある。
みずからの絵の才能を自覚していたフェルメールは、絵を描くとき、にんまりと微笑みながら、光が持つ絵の効果を十分に認識しながら、いたずら心をもっていたように思う。必死に絵を描くというのではなく、若干醒めた目で、こうしてみよう、こうしたらどうかなどと、その絵を見るであろう人々の反応を思い浮かべながら描いていたのではないか。
新潮社が発行している雑誌ではあるが、現在でも時々『芸術新潮』は買う。次号の特集は、ムンクとルーベンスである。これもきっと買うだろう。
フェルメールという画家は、昔から注目されていたわけではない。私がフェルメールを知ったのは、今はどうしているかわからないが劇団民芸の女優さんのAさんからであった。
民芸をやめてから、Aさんは一人芝居なんかをしていたが、最近はその消息を聞かない。もう20年近く前、しばしば会っていたときに、フランスのパリでフェルメールの絵画が集まるそうだから
見に行こうと誘われている、というようなことを言っていた。
時に美術の展覧会に行くという趣味を持っている私でも、フェルメールをその時は知らなかった。
その後、いろいろなところからフェエルメールの情報が入ってきて、何故に注目されるのかがある程度理解できるようになった。何年前か、東京都美術館に「真珠の耳飾りの少女」を見に行ったこともある。
みずからの絵の才能を自覚していたフェルメールは、絵を描くとき、にんまりと微笑みながら、光が持つ絵の効果を十分に認識しながら、いたずら心をもっていたように思う。必死に絵を描くというのではなく、若干醒めた目で、こうしてみよう、こうしたらどうかなどと、その絵を見るであろう人々の反応を思い浮かべながら描いていたのではないか。
新潮社が発行している雑誌ではあるが、現在でも時々『芸術新潮』は買う。次号の特集は、ムンクとルーベンスである。これもきっと買うだろう。