飯沢匡という劇作家がいた。飯沢は『武器としての笑い』(岩波新書)を書いた。飯沢の劇は、笑いがまさに権力と戦う武器となっていた。
そして井上ひさし。彼も「笑い」を大切にした。井上作、こまつ座上演の劇はたくさん見た。いやそれだけではなく、ボクは彼の戯曲を購入して読んでいる。
彼の劇は、厖大な集積された知識の上につくられる。たとえば夏目漱石なら、彼は全集はいうまでもなく、その評伝など関連文献を読みあさり、そのうえ、その人物をまったく異なった視点から見させる奇想天外の劇に仕立て上げる。その見事さ。いつもボクは、彼の劇と戯曲に感嘆の声を上げていた。
飯沢と井上の共通点は、現在の社会、政治のあり方を凝視し、そこに孕まれている矛盾を止揚することを意識しながら、劇をつくってきたということだ。
そしてその方法的な違いは、「武器としての笑い」と「希望としての笑い」である。
時々、ああ井上ひさしはもう亡くなっているのだ、と思うことがある。雑然とした書庫に、彼の作品を発見するときだ。彼の戯曲は決して長くはないのだが、そのなかにはものすごい量の知識が詰まっている、そうした文を書かなければならないとボクも思うが、とても真似は出来ない。しかしそうした方向性を以て、ボクは仕事に取り組む。
この本にも、井上の「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに」のことばがあった。
そして高橋敏夫は、井上の笑いを繙いていく。
・・笑いは絶望のさなかに、点灯させる。はるかかなたに点灯させるのではなく、笑ういまとここで点灯させる。だとすれば、笑いは遠くの希望に繋がるというより、それじたいすでに希望のあらわれではないか。
高橋は、井上の生き方をこう記す。
現実認識はあくまでも暗く深刻に。そしてそんな現実を変更する実践においてはあくまで明るくはつらつと。
井上の劇の台詞には、ボクたちを激励するものがふんだんにある。
小さな火花も 広野を焼きつくす
大きな火事も 一本のマッチが火付け役
小さな堤防も 蟻の穴から崩れ去る
小山のようなご馳走も 一口ずつ食べなきゃなくならぬ
万里の長城も 石ひとつから始まった
どこかでだれかが 小さな火花を燃やすかぎり
人間に人間に まだ望みは残されている
小さな火花も 広野を焼きつくす
広い海原も 小さな水滴の集合
深山の森林も 一樹一樹の木の連合
満天の星空も 小さな星屑の大合同
百年の歳月も 一日一日の集大成
だからだれでもが 小さな火花になるべきだ
そうすれば人間の 未来に期待が持てるだろう
(『道元の冒険』より)
そして井上ひさし。彼も「笑い」を大切にした。井上作、こまつ座上演の劇はたくさん見た。いやそれだけではなく、ボクは彼の戯曲を購入して読んでいる。
彼の劇は、厖大な集積された知識の上につくられる。たとえば夏目漱石なら、彼は全集はいうまでもなく、その評伝など関連文献を読みあさり、そのうえ、その人物をまったく異なった視点から見させる奇想天外の劇に仕立て上げる。その見事さ。いつもボクは、彼の劇と戯曲に感嘆の声を上げていた。
飯沢と井上の共通点は、現在の社会、政治のあり方を凝視し、そこに孕まれている矛盾を止揚することを意識しながら、劇をつくってきたということだ。
そしてその方法的な違いは、「武器としての笑い」と「希望としての笑い」である。
時々、ああ井上ひさしはもう亡くなっているのだ、と思うことがある。雑然とした書庫に、彼の作品を発見するときだ。彼の戯曲は決して長くはないのだが、そのなかにはものすごい量の知識が詰まっている、そうした文を書かなければならないとボクも思うが、とても真似は出来ない。しかしそうした方向性を以て、ボクは仕事に取り組む。
この本にも、井上の「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに」のことばがあった。
そして高橋敏夫は、井上の笑いを繙いていく。
・・笑いは絶望のさなかに、点灯させる。はるかかなたに点灯させるのではなく、笑ういまとここで点灯させる。だとすれば、笑いは遠くの希望に繋がるというより、それじたいすでに希望のあらわれではないか。
高橋は、井上の生き方をこう記す。
現実認識はあくまでも暗く深刻に。そしてそんな現実を変更する実践においてはあくまで明るくはつらつと。
井上の劇の台詞には、ボクたちを激励するものがふんだんにある。
小さな火花も 広野を焼きつくす
大きな火事も 一本のマッチが火付け役
小さな堤防も 蟻の穴から崩れ去る
小山のようなご馳走も 一口ずつ食べなきゃなくならぬ
万里の長城も 石ひとつから始まった
どこかでだれかが 小さな火花を燃やすかぎり
人間に人間に まだ望みは残されている
小さな火花も 広野を焼きつくす
広い海原も 小さな水滴の集合
深山の森林も 一樹一樹の木の連合
満天の星空も 小さな星屑の大合同
百年の歳月も 一日一日の集大成
だからだれでもが 小さな火花になるべきだ
そうすれば人間の 未来に期待が持てるだろう
(『道元の冒険』より)