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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

国立大学の法人化

2020-05-21 08:43:23 | 政治
 現在国立大学はない。全国各地にあった国立大学は「国立大学法人 〇〇大学」となり、そこで働く人々は公務員ではない。

 OECD加盟国で、高等教育への公的支出がもっとも少ない国が、日本である。そのため、「国立大学」といっても、すでに私学並みに学費は高額となっている。

 COVID-19 流行の前でさえ、学生たちはみずからの生活を維持し、学費を稼ぐためにアルバイトに精を出していた。それでないと学生生活は続けられないのだ。最近の学生は本を読まないと批判されるが、読む時間はないし、本を買う金もないのだ。

 日本に蔓延している「自己責任」、教育を受けるのも「自己責任」で、受けたければ自分で稼げ、というのである。他方、たとえば企業が工場を高台に新設すれば何十億円という補助金が支給される。自治体による企業への補助金は、至れり尽くせりである。

 しかし個人には支給されない。COVID-19 に関して一人一人に10万円が支給されるというが、いったいいつくるか。その間、固定資産税や自動車税の請求はきちんときている。とる方はきちんとやるが、国民に税金を返す(10万円は返すのだということを認識すべきである、我々は消費税はじめ多額の税をとられている)ことは、遅々としてすすまない。

 さて国立大学が法人化されるときに文部大臣であった有馬朗人が「「国立大学法人化は失敗だった」 有馬朗人元東大総長・文相の悔恨」というインタビューを受けている。
 
 国立大学が法人化したことで、「2004年に国立大学が法人化されると、その後、毎年1%ずつ運営費交付金が減らされていきました。こうしたことが約10年続きました。この結果、運営費交付金には人件費が入っているので、若手研究者が雇えなくなったんです。全国の大学で正規雇用の若手研究者がガタっと減り、理工系で博士課程に進む数も大きく減りました。」と、有馬はマイナス面を指摘しているが、法人化を批判する意見のなかに、国立大学を法人化することによって政府は高等教育予算を減らそうとしている、というものがあったはずである。有馬は、今ごろになってこれを批判している。

 しかし有馬は法人化することによってプラス面が生じたという。ひとつは、「大学の執行部が以前よりしっかりして、総長や学長が「これをやる」と決めると教授会もサポートするようになりました。」というのだが、しかし実際は総長(学長)を中心とした専制的な体制ができ、教授会は独立した機関ではなくなり、戦前からの「教授会の自治」は剥奪されたのである。教員人事においても、研究業績のない人間が教授として採用されるようになり、また文科省からの天下り人事も増えた。
 要するに、法人化することによって、そしてそこに大学運営費がエサとなることによって、文科省の上意下達的な支配が強まったのである。

 有馬がプラスとしてあげているのは、産学協同の定着化である。しかし私はいまもって、それには賛成できない。文科省からの運営費交付金が減っている中、企業からのカネに頼るようになり、その結果基礎科学よりもカネに直結するような産業界からの要請にもとづく研究が増えていったのである。
 はたしてそれはよいことなのかどうか。私は最終的にはマイナスになると思う。

 日本政府の施策は、いつも近視眼的で、目の前の成果だけに着目し、将来を展望しての長期的な研究には関心がない。大学政策も、それに従っている。

 有馬が運営費交付金の減少を理由に「法人化は失敗だった」というが、それは法人化する前からわかっていたことだ。批判的精神をもたない者が、官僚の口車にのって官僚の意図通りのことを行ったのである。
 批判的精神の欠如は、「失敗」を生むのである。

 

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