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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

私はこれに賛成した政党には今後投票しません

2020-03-12 22:20:37 | 政治
 西日本新聞記事。

新型コロナ特措法 「乱用」の歯止めは厳格に

 いかに緊急事態とはいえ、憲法が保障する国民の権利を制限することも可能になる法律の改正案である。「乱用」を防ぐ歯止めは厳格にすべきだ。

 衆院内閣委員会はきのう、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正案を、与党や立憲民主、国民民主両党などの賛成多数で可決した。この特措法は民主党政権時代の2012年に制定され、最大の特徴は首相が強制力を伴う「緊急事態宣言」を発令できることだ。改正は新型コロナウイルス感染症も特措法の対象に加える内容である。

 緊急事態宣言は、国民の生命や健康に著しく重大な被害を与える恐れがあり、全国的かつ急速なまん延で国民生活と経済に甚大な影響を及ぼす恐れがある場合、首相が諮問委員会に意見を求めた上で発令できる。

 首相が緊急措置の期間と区域を定め、対象となった都道府県の知事は外出自粛や興行施設の利用を制限する要請のほか、臨時医療施設のために土地や建物を所有者の同意がなくとも使用できるようになる。

 何より危ぶまれるのは、国民の私権を制約するほど強力な権限を認めている割には、発令の要件が抽象的であり、恣意(しい)的な決定や運用を招くことはないか、という点だ。

 この認識は濃淡こそあれ、与野党で共有している。安倍晋三首相が宣言について「どのような影響を及ぼすか十分に考慮しながら判断したい」と慎重な姿勢を示すのも当然だ。

 野党は国会の事前承認を求めていたが、「やむを得ない場合を除き、国会へ事前に報告する」との文言を付帯決議に盛り込むことで与党と折り合った。

 実は、この付帯決議にこそ重要な事柄が盛り込まれている。緊急事態宣言は専門的な知識に基づいて慎重に判断する▽施設の利用制限を要請する際は不利益を受ける者へ十分配慮する▽政府対応の客観的、科学的検証を行う-などだ。

 首相による唐突な一斉休校の要請や中国、韓国からの入国制限など、国内外で困惑や批判を招いた一連の対応の反省と教訓に基づく内容と言えるだろう。問題は、それが改正案本体ではなく法的拘束力のない付帯決議でいいのか、ということだ。

 改正案はきょう衆院を通過して、あす参院で可決、成立する見込みという。残された時間は短いが、政府に白紙委任するわけにはいかない。将来に禍根を残さないためにも、与野党の充実した審議を強く求めたい。


【演劇】劇団民藝「集金旅行」

2020-03-12 17:04:57 | その他
 今日は観劇の日である。閉ざされた空間、多くの人が集まるなど、新型コロナウィルスの集団感染の条件にあてはまるのではないかという危惧を抱きながら浜松アクトシティの大ホールに向かった。やはり観劇者は少ない。ほとんどの人はマスクをして、警戒を怠らない姿勢で客席にいた。私も同様、マスクをし、手袋をしていった。

 劇団民藝。かつては滝沢修、宇野重吉ら、そうそうたるメンバーを擁していた。私はとりわけ滝沢修のファンであった。何も話さなくても、そこにいるだけでものすごい存在感を感じた。

 もちろん現在も、日本の第一流の劇団である。安心して見ていられるし、やはりみていて「うまい!!」と思った。劇団そのものに貫禄がある。

 「集金旅行」は、井伏鱒二の作品である。舞台の中央に銀色のgateがしつらえてあった。俳優たちはその枠の中で演じていた。あたかも結界があるかのように。それは、この枠の中で井伏文学が演じられているのだということを示そうとしていたのか。

 井伏鱒二の小説の多くを読んでいるわけではないが、井伏の文には余分なものがない。短文の連なりで話を展開させていくというイメージを私は持っているが、舞台の運びも余分なものはなく、淡々と、時にはユーモアを交えてストーリーが展開される。

 荻窪にあるアパート、その所有者が亡くなり、アパートの土地所有者がその住人に出ていくことを求める。しかし住人たちは、そのアパートが好きなのだ。そのアパートを存続させるために、10号室を借りている井伏が、かつての住人で部屋代を払わないで逃げた人々から部屋代を集金しようと西日本を旅する。7号室の住人である小松さんは、かつて自分を「だました」(?)男たちから慰謝料を取ろうと、その旅に同行する。

 岩国、下関、福岡、福山と・・・空間的な移動という緯線と、アパートの住人や小松のかっての男たちの東京からでていった後の時間的経過としての経線が、うまい具合に織り込まれて立体的な構造になっていた。そしてそのなかに、庶民というか人々の生活が映し出される。ストーリーが適度なテンポの中で展開し、冗長なところもなく飽きさせず、舞台に観客を集中させていた。

 太宰治、志賀直哉、林芙美子、横光利一が台詞の中にでていたが、その特徴が短い台詞に示され、また最後の場面で太宰役が井伏文学の特徴を早口でしゃべっていた。

 よい演劇をみた。

 こういう満足感は、加藤健一事務所の劇では得られないものだ。やはり老舗劇団はうまいし、貫禄がある。


かけがえのない命

2020-03-12 09:29:41 | 社会
 昨日から『南三陸日記』を紹介している。そこには、南三陸町というひとつの町に関わって2011年3月11日に始まるいのちの姿が描かれていた。

 身近なひとたちのいのちがなくなること、それがもたらす悲しみの諸相がシンボリックに記されている。いのちはかけがえのないものだということが、そこからは浮き彫りにされていく。

 巻末に、防災対策庁舎で最後まで町民に避難を促す放送をおこなっていた女性のことが書かれている。この話は「美談」として流布している。しかし、これは「美談」なのかと著者は問う。この女性も死ななくて良かったいのちだということ、その女性の家族、そして女性の夫の姿を通して訴える。

 東日本大震災において、たくさんのいのちが失われた。そのいのちは孤立していたわけではなく、家族を始め無数のつながりがあった。そのつながりはそれぞれ個性的である。それが断ち切られたのである。

 この本は、9年前に起きた東日本大震災を想起するために、そしていのちを考えるために、おおきな刺激を受ける本である。

 かけがえのないいのち、尊厳ある人間をたいせつにしなければならない。