浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

空襲被害者の補償

2018-06-06 22:08:52 | その他
 今日の『東京新聞』社説。

 戦時中、一髪の爆弾が落下し、その爆発により二人の人が亡くなったとする。一人は軍属、今で云う「公務員」、もう一人は民間人。同じ爆弾で亡くなっても、軍属には戦後遺族等に恩給などが支給された。しかし民間人にはない。

 当時、国家総動員体制がしかれ、民間人であっても戦争協力を強制されていた。拒否したら牢獄、そんな時代であった。にもかかわらず、軍人や軍属、あるいはその後対象者が拡大され、勤労挺身隊員などにも支給されるようにはなったが、あくまでも国家との「雇用関係」があった人だけだ。

 ドイツでは、こうした差別をしていない。まったく理不尽である。中心となって運動を行っていた杉山さんも今は亡い。空襲被害者が訴訟をおこしても、司法は知らぬ顔だ。こんな冷たい国家に憤りを覚える。


空襲被害者 法制定で国が補償を

2018年6月6日

 今国会でも素通りしてしまうのか。先の大戦での、空襲被害者ら戦災傷害者への補償のことだ。民間人被害者に対し、国はほとんど何もしてこなかった。早急な法制化で、政治が救済すべきだ。

 杉山千佐子さんの無念も少しは晴れようか。一年前、そんな期待もしたが、結局空振りだった。

 名古屋市の杉山さんは、空襲被害者の救済に半生をかけた人だ。願いもかなわぬままに、一昨年九月、百一歳で帰らぬ人になった。

 ところが昨年の通常国会で、彼女の死去が引き金にもなり、三十年近く絶えていた超党派議員(空襲議連)の立法化への動きが活発に。空襲被害者ら民間戦災傷害者を援護する法案がまとまった。だが加計、森友問題や「共謀罪」法の強行採決などで国会が混乱、法案提出にはいたらなかった。

 東京、名古屋など各地への米軍の無差別空襲では、約五十万人が死亡したとされる。

 戦後、国は旧軍人・軍属、遺族には、恩給などで累計約六十兆円の援護をしている。一方、空襲被害などの民間被害者には「(戦時中)雇用関係を結んでいない」ことを理由に補償を拒んできた。

 戦時下、防空法などで民間人も行動が制限された。杉山さん=当時(29)=は名古屋空襲で左目を失い障害が残った。その戦災を自己責任のように扱われた揚げ句、民間人だけ補償がないのでは「おかしい」と怒るのも当然だ。

 一九七二年、名古屋で「全国戦災傷害者連絡会」を設立。繰り返し援護法の制定を訴えた。ドイツなどヨーロッパでは、民間人もほぼ平等に補償されている。

 八〇年代までに野党が十四回提出した援護法案はすべて廃案に。国を相手取った損害賠償訴訟も次々退けられた。立ち上がった空襲議連への戦傷者らの期待は大きいだけに、再び見送りになれば、その落胆は想像に難くない。

 放置している国に先んじ、名古屋市と浜松市が毎年、見舞金を支給している。金額の多寡でなく、援護すべき「民間人」の存在を公に認めたことに両市の制度の意義がある。しかも、名古屋市は今年から、一人二万六千円の金額を一万円余引き上げた。

 議連案は一人五十万円の一時金と被害の実態調査が柱だ。不満の声はあるが、猶予してもいられない。今国会も政府の相次ぐ不祥事による混乱が目に余るが、議連は法制化を急ぐべきだ。戦傷者の高齢化は待ってはくれぬのだから。
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驚くべきこと

2018-06-06 08:36:30 | その他
 近年私が驚くのは、アベを支持する人々の知性のレベルである。アベのためには、どんなことでも言い、どんなことでもする、というあり方だ。

 森友、加計問題でも、官僚たちがウソをつく、公文書を偽造する。またアベの思考を擁護するために、とんでもないことを平気で語る。

 今朝、この文を読んで驚いた。

長谷川三千子と竹内久美子のセクハラ擁護がヤバすぎ!「オタクよりセクハラ男のほうが大切」「チンパンジーなら慰安婦OK」

 長谷川三千子は、野上弥生子の孫だということは考えなくても、いちおう学者として生きてきた人だ。竹内久美子は、どこかの雑誌の雑文を読んだことがある記憶はあるが、あまり知らない。

 この二人、いちおう「学者」という肩書きを持っている様だが、彼等の話すことは、まさに根拠も、客観性のない、荒唐無稽の放言としか言いようがない。しかし、なぜこういうことができるのだろうか。

 学問には、当然手続きというものがあり、みずからの主張がきちんとした根拠を持っているのだということを立証しながら論を進める。歴史学では、史料批判を行い、依拠できる史料であることを示しながら、主張を行う。そういう習性をもってしまったがために、私自身はいい加減なことを書いたり言ったりすることはできない。

 だがアベ応援団は、そういうことを平気でする。なぜそれができるのか、私は不思議でならない。

 『朝日新聞』の「政治季評」で、豊永郁子氏の「忖度生むリーダー、辞めぬ限り不祥事続く 豊永郁子さん」を読んだ。

 豊永氏は、森友問題の証人喚問を見ていて、アイヒマン裁判を想起したのだそうだ。

・・・・・・官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は、国家のためという建前をちらつかせながらも個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ、彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し、率先して行動するのだろうかと心配になった。

 ハンナ・アーレントは『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(邦訳は、みすず書房、みすずの本はよいものが多いが、高い!)は、凡庸な人がつまらない動機によって大きな悪に手を染めてしまうことを解き明かしたものだが、森友問題でも同じようなことがおきていたとするのだ。

 そうだとするなら、アベ応援団の荒唐無稽の放言は、いったいどんな利益があるのだろうか。アベを支援する組織に呼ばれると、講演料が100万円くらいになると聞いたことがあるが、カネのためなのだろうか。

 議論は冷静に、生産的なものにしていきたいが、アベ応援団の議論は、議論にならない放言によって構成されている。そしてそれを活字にして出版される。何という時代であることか。

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