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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

石牟礼道子

2018-04-13 15:13:35 | その他
 知らなければならない、感じなければならない、石牟礼道子という人間を。

 石牟礼道子が亡くなった。生きているときには、傍らにある『苦海浄土』に安心していた。

 なくなってから、石牟礼道子と、真剣に向き合わなければならないと思った。

 今日、『現代思想』5月臨時増刊号「総特集 石牟礼道子」が届いた。

 生きることは、学ぶことだ。生きることは感じることだ。

 石牟礼道子から学び、感じる、その作業も始めなければならない。


「まず料理。洗濯。掃除だよ」

2018-04-13 11:35:03 | その他
 「まず料理。洗濯。掃除だよ」は、稲垣えみ子さんの文の末尾。

稲垣えみ子「リヨンに行って分かった、日本のおじさんが孤独なワケ」

 定年後の日本のオジサンへの呼びかけである。

 日本の男は、自立していない。その通りだと思う。

 私は若い頃、自立ということばを考えた。経済的自立は当然であるが、精神的自立だけでなく、生活的自立を確立すべきであると考え、それを実現すべく生きてきた。精神的自立の前提として、経済的・生活的自立がある。

 料理、洗濯、掃除のうち、前二者は確実にやってきた。掃除も、時たまはやる。

 今日も、新しく買ったカッターシャツを洗い、それが綿100パーセントであるため、アイロンをかけた。ついでに他のシャツもアイロンがけをしたのだが、某社のスプレー糊をつかって乾しておいたらシミが出来ていて、もう一度洗ったところだ。

 私は当然日常的な料理はふつうにできる。まったく困らない。

 しかし、若い者をみていると、まったく何もしないし、親も教えない。また私の従兄連中も、すべて奥さんがやっている。奥さんに先立たれたらどうするつもりかと思ってしまう。

 とにかく自立ということを全く意に介さないようだ。

 イタリアの老人のように、私はおしゃれをすることはない。私は労働者であるという自覚から、在職中でも私はブラックジーンズで通していた。

 おしゃれはしないが、いちおういつもきちんとした服は着ているつもりである。

 近所の老人、勿論男性は、いつもおなじ服を着ていて、家族はそれでよいのだろうかと心配しているくらいである。何も出来ない老人、カネを稼いでこなくなったら、家人に邪魔者扱いされる。

 そういうときのために、男性は、生活的自立を図るべきである。