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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

人類に希望があるか・・・?

2014-10-17 22:19:52 | 日記
 エボラ出血熱、欧米でも感染者がでている。アフリカの一定部分だけで流行していただけなので、世界は放っておいた。

 しかし、今、それが静かに流行し始めている。致死率は高い。

 このウィルス対策を早急に打ち立てないと、人類はたいへんなことになる。

 下記の記事を読んで欲しい。

http://lite-ra.com/2014/10/post-556.html

「おかしい!!」という声をもっと。

2014-10-17 20:51:38 | メディア
 『毎日新聞』が、次のような記事を掲載した。こういう記事は、どんどん掲載すべきだ。今のような流れを大きな流れにしてはならない。過去に、同じような歴史を経験した日本人は、同じ過ちを繰り返してはならないのだ。


慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」

毎日新聞 2014年10月17日 17時34分(最終更新 10月17日 17時53分)

 ◇田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」

 売国、国賊、国辱……。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか?

 外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。

 10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。

 向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。

 何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)……といった文字・記事が書店やら電車の中づり広告やらにあふれているのだ。

 例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。

 時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。

 「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。

 「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」

農業

2014-10-17 20:25:53 | 日記
 今日、さつまいもを掘り出した。バケツ一杯になった。これからしばらく芋掘りが続く。今日掘ったのは、ほんの少し。今日掘ったサツマイモも含め、それらは、各地に住む血縁者に送る。先週、「芋はまだ?」などという電話があった。掘るという行為が肉体労働であるという認識を持たない者からの電話であった。
 畑での作業は、まったく苦にならないから、こういう言い方をされてもいいのだが、こちらにも農作業の計画がある。

 昨日から、タマネギの苗を160本植えた。各地に住む血縁者からの要求でもっとも多いのがこれ。

 今植えてあるのが、キャベツ、ブロッコリー、ダイコン、レタス、チンゲンサイなど。ほうれんそうは種を蒔いたばかり。

 ニンニクは芽が出て来ている。秋じゃがは、9月になって植えたので、芽が出始めたばかり。

 収穫できるのは、にんじん、さといも、サツマイモ、冬瓜である。

 最近、畑が広すぎるという気がしてきた。これだけ植えても、まだまだ畑には何も植えてないところがある。何を植えようか。

 鍬やスコップを振り上げていると、いつのまにか暗くなる。

 昨日、夕焼けのなかを帰ろうとしたら、稲刈りをした田に夕焼けが映っていた。刈られて残った根の部分が黒々とした線となって、赤(ピンク)と黒の二重奏となっていた。「美しい」と思った。

 こういう「美しさ」を知らないままに生きることは、大きな損失だと思った。

歴史修正主義と闘う

2014-10-17 14:17:42 | 日記
 立花隆の『天皇と東大』第三巻(文春文庫)を読み続けているが、最近の日本社会の動向と、1930年代が相似形であるという認識を深めている。

 「天皇を神とする」信仰めいたものが社会を覆っていく契機となったのが、天皇機関説排撃事件だという、立花の立論は傾聴に値する。「慰安婦」問題を契機にした『朝日』バッシング、それに『読売』、『産経』だけではなく、週刊誌が加わり、国民意識を反『朝日』に持ち込み、「慰安婦」は問題にすべきではないというような歴史修正主義の言説が力を得ている。

 1930年代、偏狭なナショナリズムが、ナショナリストらの暴力的な言動と一緒に台頭してくるために、常識的な人々は彼らの言動を苦々しく思いながら、言論での批判は行うが、それ以外の行動は、「彼らのような言動はよくない、同じ穴の狢になってしまう」というようにしてこなかった。だが、その暴力的な言動が、後に破滅へ向かう進路をつくりだしてしまった。

 そういう歴史を振り返るなかで、あのヘイトデモに対するカウンターデモがヘイト集団とよく似た言動を行うことに批判的な言説が存在するが、しかしああいうヘイト集団に対しては、徹底的に抑え込むことが肝要であるという認識をボクは持ち始めた。おとなしい、言説だけのカウンターでは、彼らの動きを抑えることはできない。そもそも警察権力は右翼集団と手を携えてきたのであって、そういう歴史をみると、警察権力が彼らの暴力的な行動を抑えることはしない、とすると、彼らの暴力的な言動を徹底的に抑え込むためには、カウンターのある種暴力的な言動も許されるのではないかと思うのだ。

 デモクラットは、あまりに理性的に行動するために、暴力的な集団の動きは止められないし、権力も彼らを抑えない。しかし抑え込まないと、歴史の歩みを歪めることになりかねないのである。

 ヘイト集団をはじめとした偏狭なナショナリスト批判のメディアは少ない。『週刊金曜日』、『世界』、『現代思想』くらいだ。『週刊金曜日』は毎週、果敢に彼らと闘う姿勢を明確に示している。『世界』も、きちんとした論説を載せている。

 こういう「転換点」にある時、ボクたちは勇気を持って闘わないと、またあの歴史を繰り返してしまう。歴史に学び、歴史修正主義と闘うこと、これが歴史を学ぶ者に課せられている。