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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

特定秘密保護法案に反対!!

2013-11-27 23:26:45 | メディア
 言論機関としての新聞社は、当然、特定秘密保護法案に対する批判を強めている。昨日の衆議院の強行採決を受けて、今日の各紙の社説はその蛮行を糾弾する内容となっている。

 とても全紙を載せるわけにはいかないので、『中日新聞』(『東京新聞』)のそれを掲載する。


特定秘密保護法案 国民軽視の強行突破だ

2013年11月27日

 広く疑念の声があがる特定秘密保護法案が衆院の本会議で可決した。巨大与党が力ずくで、渦巻く反対論をねじ伏せたのだ。強行突破は看過できない。

 福島で二十五日に開かれた地方公聴会は、いったい何のためだったのだろう。首長や学者ら七人が意見を述べたが、賛成者は一人もいなかった。「慎重に、国民のために議論を尽くすことが大切だ」「外国の信頼よりも、国民の信頼を得るべきだ」-。もっともな意見が続出した。

 とくに原発事故で放射能の拡散予測が隠された体験があるだけに、「一番大切なのは情報公開だ」と語った人もいた。

◆数の力でのおごりだ

 その翌日に衆院の本会議で、一部野党との修正協議を経た法案が、駆け足で可決された。つまり、福島の公聴会はたんなる“儀式”にすぎず、与党は耳をふさぎ、尊重もしなかったのだ。あまりに乱暴である。

 さまざまな危うさが指摘される秘密保護法案であるため、報道各社の世論調査でも「慎重審議」を求める意見が、60%台から80%台を占めていた。国民の声すら軽視したに等しい。

 与党は圧倒的な数の力におごっている。修正案に加わった日本維新の会さえ、この採決には退席した。この強行可決をあえて暴挙と呼ぼう。

 修正案自体も評価に値しない内容だ。秘密の有効期間は最長三十年だったが、「六十年を超えることができない」という規定が加わったため、「六十年原則」の方が幅を利かせる恐れがある。

 その場合も七項目の例外が設けられていて、中には「政令で定める重要な情報」という、あいまいな言葉が挿入されている。これでは半永久的に国民から重要情報が遮断されてしまう。

◆議員こそ反対の先頭に

 特定秘密の指定や解除などについて、首相が「その適正を確保するため(中略)指揮監督する」という条文も、効力を発揮しないだろう。首相は行政機関の「長」の上に存在する「長」であるから、公正な審判役たりえない。

 約四十万件とも見積もられる特定秘密の膨大な文書に対し、首相がいちいち目を通すはずもない。全くの空文である。

 有識者会議もたんに基準を示すだけの存在だ。本当に実質的な秘密に値するかどうかのチェックは、司法権さえからも受けない仕組みなのだ。

 付則では「独立した公正な立場において検証し、監察する新たな機関の設置」が書かれた。だが、あくまで検討事項にすぎないし、具体的な中身も不明である。法案が抱える欠陥を補えるとは到底、期待できない。

 国会への特定秘密の提供も付則に記されたものの、その方策はやはり検討事項にとどまる。この法案が国権の最高機関さえ素通りし、官僚機構が情報支配を進める原点に変わりはないのだ。

 問題のありかは特別委員会の審議を経ても山積している。衆院本会議で可決・通過したので、次は参院に移る。もっと議論して、廃案に持ち込んでほしい。

 とくに憲法の観点から疑念が持たれている点を重視すべきである。国民主権や基本的人権、平和主義の三大原則から逸脱していることだ。

 いわゆる「沖縄密約」や「核密約」などの問題は本来、活発に議論されるべき国政上の大テーマである。これに類似した情報が特定秘密に指定されると、国民は主権者として判断が下せない。

 国会議員といえども、秘密の壁に阻まれてしまう。仮に情報を得たとしても、政策秘書や所属政党に口外すると、処罰対象になる。議員は院内での免責特権があるものの、国会追及はとても期待はできないだろう。

 国政上のテーマについての言論を封じ込める法案とは、ほとんど情報統制の世界に近い。国会議員自身の問題でもある。どれだけの議員が、この深刻さを理解しているか。本来は議員こそ反対の先頭に立つべきなのだ。

 軍事面に過度に傾いている法案であるうえ、安倍晋三内閣は来年にも集団的自衛権の行使ができる「国家安全保障基本法案」の提出をめざしている。平和主義とも相いれないはずだ。

◆三角形は美しく保て

 特定秘密の取扱者は、飲酒の節度や借金などまで調べ上げられる。調査は親族にも及ぶ。人権上の懸念が持たれるのも当然だ。反原発運動など、さまざまな市民活動の領域まで、公権力が監視する心配も濃厚だ。

 行政権だけが強くなる性質を持つ法案である。民主主義の三角形を美しく保つためにも、あらためて反対表明をする。

研究の意義

2013-11-27 22:47:48 | 日記
 先日、ある資料館から講師の依頼があった。ボクが公民館の歴史講座で遠州報国隊について話したことを知って依頼してきたのだ。3回の講座だそうだ。テーマは、国学。

 浜松市は賀茂真淵誕生の地。そして「遠州国学」といわれるように、国学者が輩出した地域である。したがって、この地域では国学礼賛の風潮がある。

 しかしボクは、国学については批判的であり、国学が日本の近代化に歪みを生じさせたという認識を持つと同時に、1930年代の狂信的な時代、「国体」とか「昭和維新」などの基盤になっていたという考えを持っている。もちろん、ボクはこれらについて、本格的な研究をしたことはない。これらの認識を深めながら、現代日本における国学の意味を問うことも必要だろうと思い、引き受けることにした。

 まず第一弾は、国学者がもっとも大切と考える『古事記』などを、最近の研究成果に基づいて「脱構築」させ、国学者が依拠した『古事記』などの「力」を消すこと、第二弾は、近世における国学の位置や意味を示しながら、それが維新変革の際、日本の近代化をどのように歪めたか、またその後遺症がどのように残っているか、第三弾は、国学的な潮流が日本的ファシズムとどのように結合したか、これらを解明していきたいと思う。

 早速いくつかの文献を注文した。今まで研究したことのない分野の研究をはじめることになるが、これは自らの知的世界を広げると同時に、現代のおかしな風潮と対決することにもなる。いかなる研究も、現代社会のありようとの、熾烈な格闘でなければならない。その意味で、格闘のし甲斐があるというものだ。

 これについては、町田の住人が積極的に支えていただけるようでたいへん心強い。

 

戦争前夜

2013-11-27 09:01:06 | 政治
 まさに立法府にいる議員たちは、みずからの政治的役割を放棄する保安に賛成をしたということだ。今日の『中日新聞』の「特報」欄は、保阪正康、坂野潤治両氏の話を交えて、「戦争前夜」を訴えている。

 その見出しは、「「秘密」礼賛 衆院は死んだか」である。
 
 そしてこれがそのリード部分である。

特定秘密保護法案が衆院で強行可決された。数を頼りに反対意見を無視する与党の態度は許されない。野党の姿勢もぬるい。国会は政策論争の場ではないのか。状況は、泥沼の戦争に突き進み、国会が機能を失った昭和初期に似ているという。だが、まだ参院が残されている。信念のある議員は気骨を示す時だ。 (荒井六貴、鈴木伸幸)

 しかしボクは思う。この自公による安倍政権の成立は、マスメディアの今までの報道がもたらしたものであるということを(『中日』は除く)。あの異常なまでの「小沢たたき」をはじめ、マスメディアは自民党に明らかに肩入れしていた。検察や官僚の意向を忖度して報道していた。

 まさに、メディアからの自立を私たちは考えなければならないのだが、しかし、秘密保護法がそれを遮るだろう。

 「戦争前夜」の時代にしてはならない。


ノルマ

2013-11-27 00:05:52 | 日記
 労働の現場にノルマというものがはびこっている。郵便局勤務者には、年賀状12000枚というノルマが課される。銀行に勤める者は、ボーナスシーズンに定期預金のノルマが、スーパーに勤める者には、歳暮シーズンに歳暮のノルマが課される。ボクは、そのすべてに少額ながら貢献する。働く人々の苦難を見捨ててはおけないからだ。

 今日はスーパーに行って、歳暮を依頼してきた。最近ノルマが減って、7万円になったといっていた。かつては数十万円分のノルマがあったと聞いている。

 ノルマのない職場も、とても過酷だ。休日労働や深夜までの労働があり、眠くてしようがないという。ボクは、その疲れた姿を見て哀しくなった。ボクは、できうる限り休息をとってほしいと思って、「本を読め」と言わないようにした。またメールも差し控えるようにした。

 いずれにしても、若い人たちの労働環境はとても厳しい。

 ボクは、学生時代労働法を学び、そして社会に出た。そのとき、厳しい労働に明け暮れる働きながら学ぶ高校生を知った。それについてボクは、ルポルタージュを書いたことがある。その書き出しを記す。


  野麦峠を訪れる観光客の胸中にあるのは、あの『あヽ野麦峠』に描かれた幼い少女たちが日本近代に残した重い足跡なのだろうか。冬になると野麦峠に雪が降り、少女たちの足跡を消していったように、時の流れは「女工哀史」を歴史的な事象として、おびただしい書物の中に埋め込んでいってしまう。だが、書物の中だけに「女工哀史」はあるのだろうか。

  日本の多国籍企業が低賃金労働力を求めて、韓国、台湾、東南アジアなどに侵出していっているのは周知のことであろう。繊維産業ももちろんその例外ではない。「女工哀史」はそのままのかたちで、まず海外で演じられている。貧困という民衆のありようが、日本企業に甘い汁を吸わせている哀しむべき、いや怒るべき事実がある。
  時間という経線と、空間という緯線が私たちの前に交わっているのである。

  だが、その交点の真下、つまり私たちの足元にも「貧困」があり、その「貧困」を貪っている者たちがいることは、あまり知られていない。


 これを書いたのは、1982年だ。
 
 彼女たちのその後は、多くは豊かで、幸せな日々を送っている。それを見るにつけ、「貧困」は消えていくのだろうと思っていた。だが、21世紀、またもや「貧困」が大きくぶり返してきている。

 ああここでも、歴史は繰り返していると思った。

 エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いたように、今また過酷な労働の実態を記さなければならなくなっている。これはいったいどうしたことか。

 歴史は、何かを解決したのだろうか、歴史を学ぶ者として考えることが多くなっている。こんなはずではなかった。