高齢化が進んでいることについて、何度かここに記した。子どもの数が少なく、高齢者がどんどん増えていくと(といっても、あと20年くらい。その後は高齢者は亡くなり、急激に日本の人口は減っていく)、高齢者が高齢者の世話をするということにならざるを得ない。
高齢者が生活する「地域」は、まさに福祉の場となる。となると、「地域」に住む人々が自覚的に自分たちの生活の中に、「支え合い」の視点を持って行かざるを得ない。
先日ボクは中山間地域の、いわゆる「限界集落」を訪問したが、高齢者たちは元気で損得なく助け合って生きていた。頭が下がった。平野部なら介護ヘルパーなどに依頼することができるが、介護ヘルパーも来てくれない山奥では、そこに住む人々が助け合うしかない(それで介護保険料を納めさせるなんて、ヒドイ!!)。
しかしこの中山間地域の現状は、何れ平野部でも体験することになる。何といっても、少子高齢化である。働く人々が減っていくのだ。自公政権の悪政、少子高齢化対策を徹底的にさぼってきたことが、今後の日本の衰退をつくりだしていく。
さて、となると、「地域」での福祉ということを本格的に考えなければならない。
ボクは基本的に地域福祉のエリアは、中学校区ではないかと思う。中学校区に、自治会長や民生委員、婦人組織や学校、そしてもちろん行政などを巻き込んだ組織をつくり、「地域」の福祉をどうするかを真剣に話し合うのだ。現在、地区ごとに社会福祉協議会があるが、これは官製の上意下達の組織となっているので、一度解散させて新しくつくりなおす。
そこでは、上意下達の話し合いはしない。ボトムアップで福祉計画をつくりあげる。それを行政に伝え支援を求めていく。
そしてもちろん、実際に動く人が求められる。そういう人には、適正な報酬を与える必要がある。無料で完全にボランティアというのは、長くは続けられない。
ボクが住む地域のことをみてみよう。現在の地域福祉に関わっている民生委員会議や地区の社会福祉協議会は、上意下達の運営により、そこに善意であつまる人々を手段として扱っている。行政の下請けの仕事を次ぎ次とやらせ、まさに奴隷状態である。
そして何より、行政にやる気がない。思いつきの仕事を機械的にやらせるだけで、「やっています」のアリバイづくり。地域や高齢者の実態なんて、知ろうとも思わない。自分がそこにいる間、与えられた仕事を与えられただけやる、それだけだ。一歩を踏み出そうとしない。市の職員=公務員がよく批判されるが、なるほどと思えるようなことに、今日遭遇した。
人間を、手段としてではなく、目的として扱え、とは、カントが言ったことだと覚えているが、すべからく高齢者福祉もそういう視点で再構築していくべきだ。
もう時間がないのに・・・・
高齢者が生活する「地域」は、まさに福祉の場となる。となると、「地域」に住む人々が自覚的に自分たちの生活の中に、「支え合い」の視点を持って行かざるを得ない。
先日ボクは中山間地域の、いわゆる「限界集落」を訪問したが、高齢者たちは元気で損得なく助け合って生きていた。頭が下がった。平野部なら介護ヘルパーなどに依頼することができるが、介護ヘルパーも来てくれない山奥では、そこに住む人々が助け合うしかない(それで介護保険料を納めさせるなんて、ヒドイ!!)。
しかしこの中山間地域の現状は、何れ平野部でも体験することになる。何といっても、少子高齢化である。働く人々が減っていくのだ。自公政権の悪政、少子高齢化対策を徹底的にさぼってきたことが、今後の日本の衰退をつくりだしていく。
さて、となると、「地域」での福祉ということを本格的に考えなければならない。
ボクは基本的に地域福祉のエリアは、中学校区ではないかと思う。中学校区に、自治会長や民生委員、婦人組織や学校、そしてもちろん行政などを巻き込んだ組織をつくり、「地域」の福祉をどうするかを真剣に話し合うのだ。現在、地区ごとに社会福祉協議会があるが、これは官製の上意下達の組織となっているので、一度解散させて新しくつくりなおす。
そこでは、上意下達の話し合いはしない。ボトムアップで福祉計画をつくりあげる。それを行政に伝え支援を求めていく。
そしてもちろん、実際に動く人が求められる。そういう人には、適正な報酬を与える必要がある。無料で完全にボランティアというのは、長くは続けられない。
ボクが住む地域のことをみてみよう。現在の地域福祉に関わっている民生委員会議や地区の社会福祉協議会は、上意下達の運営により、そこに善意であつまる人々を手段として扱っている。行政の下請けの仕事を次ぎ次とやらせ、まさに奴隷状態である。
そして何より、行政にやる気がない。思いつきの仕事を機械的にやらせるだけで、「やっています」のアリバイづくり。地域や高齢者の実態なんて、知ろうとも思わない。自分がそこにいる間、与えられた仕事を与えられただけやる、それだけだ。一歩を踏み出そうとしない。市の職員=公務員がよく批判されるが、なるほどと思えるようなことに、今日遭遇した。
人間を、手段としてではなく、目的として扱え、とは、カントが言ったことだと覚えているが、すべからく高齢者福祉もそういう視点で再構築していくべきだ。
もう時間がないのに・・・・