医師・徳永進氏は、みずからが鳥取県出身ということから、鳥取県から「追放」されたハンセン病者たちを、愛生園を中心に各地で聞き取り調査を行った。それが、本書に書かれている。
文章は、感情的にならず淡々と記されているが、しかしその内容はきわめて悲惨な事実である。悲惨さが文章に表れていないが故に、余計に書かれている内容の悲惨さがにじみ出ている。
ボクも、徳永氏と同じような仕事をしたいと思っている。静岡県から「追放」され、故郷を離れて「隔離」されたハンセン病者たちの生を聞き取りたい。
ボクの生活のなかでは、ハンセン病とまったく接点がない。国賠訴訟などがあれば新聞にも報道されるが、それ以外の時には、まったく無関係である。
無関係であるから無関心、無関心であるから無知、無知であるから、ときに何らかの軋轢が発生したとき、差別の牙が剝くことがある。
無知をなくしたい、無知をなくせば無関心でなくなり、関心を持てば何らかの関わりを持とうとする。そのような日常的な回路とは逆の回路をつくりださなければ、差別はおそらくなくならない。
日本ではハンセン病は消えつつある。それはとてもよいことだが、しかしその病気に関わった方々がひどい差別と迫害をうけた歴史的事実はきちんと記録され、また記憶されなければならない。
そういう仕事がしたいと、この本を読んでさらにそう思った。
よい本だ。読んで欲しい。
文章は、感情的にならず淡々と記されているが、しかしその内容はきわめて悲惨な事実である。悲惨さが文章に表れていないが故に、余計に書かれている内容の悲惨さがにじみ出ている。
ボクも、徳永氏と同じような仕事をしたいと思っている。静岡県から「追放」され、故郷を離れて「隔離」されたハンセン病者たちの生を聞き取りたい。
ボクの生活のなかでは、ハンセン病とまったく接点がない。国賠訴訟などがあれば新聞にも報道されるが、それ以外の時には、まったく無関係である。
無関係であるから無関心、無関心であるから無知、無知であるから、ときに何らかの軋轢が発生したとき、差別の牙が剝くことがある。
無知をなくしたい、無知をなくせば無関心でなくなり、関心を持てば何らかの関わりを持とうとする。そのような日常的な回路とは逆の回路をつくりださなければ、差別はおそらくなくならない。
日本ではハンセン病は消えつつある。それはとてもよいことだが、しかしその病気に関わった方々がひどい差別と迫害をうけた歴史的事実はきちんと記録され、また記憶されなければならない。
そういう仕事がしたいと、この本を読んでさらにそう思った。
よい本だ。読んで欲しい。