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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【映画】11・25自決の日

2012-06-26 21:08:33 | 日記
 悪税である消費税の増税が衆議院で可決されたとき、ボクは若松孝二監督の「11・25 自決の日」をみていた。

 副題には、「三島由紀夫と若者たち」とある。作家三島由紀夫は、1970年11月25日、市ヶ谷の防衛庁内で、自衛隊員に演説した後、自らを決した。

 私は三島の文学は、晩年といってよいかどうかはわからないが、死に近付くにつれて、彼の美学が急速に主観性を強めていったと考えている。彼の文学作品は、美しいのだ。どういう美しさかというと、なかなか難しいのだが、三島はおそらく美というものに強い関心を抱いていたのだろうと思う。

 強烈な主観に基づく美は、もちろん現実には存在し得ない。存在し得ないからこそ、現実ではなく、彼岸の世界に求めていく。彼岸の世界に入るためには、死を迎えなければならない。いかなる死を通して、彼岸に到達するのか。彼は、割腹自殺と介錯による死こそ、みずからの美への「凱旋門」であると考えていたのではないか、と思っていた。つまり私は、三島の死はみずからの主観的な美の希求の帰結であると考えていた。

 そして若松監督の映画を観ると、三島の自決は、その背景として、1960年代末の激しい学生運動があったこと、これがつくり出したものであるということを示唆していた。右も左も、激しい運動の内外では、個々の生き方が問われていた。

 生き方を問うということは、死に方を問うことでもあった。

 三島と森田の2人が自決したのだが、若松は最後に「何か残ったものはあるか」と三島の夫人に問わせている。三島の「決起」に参加した一人は、その問いに何も語らず、両手を広げた。そうなのだ、何もない、何も残さなかったのだ。

 1960年代末の学生運動をはじめとした大きな「時流」は、結局何も残さなかった、日本では。

 三島の、とくに「晩年」の作品には、豊かな日本的色彩が描かれている。しかしその色彩は、最期には、三島の血の色で染め上げられてしまった。