町田の住民から面白いから読んでみろと強くいわれ、昨日届いた本を読み終わった。
しかし、ボクはあまり面白いとは思わなかった。原発について言及している人々の言説について、安富氏はまじめに批評を加えて、そこにある、無責任な、傍観者的な、ずるい、欺瞞的な、安富氏が特徴あると判断された「話法」を「東大話法」とするのだが、それがどうしたのと、私は反応してしまうのだ。
なるほど、この本に掲げられている「東大話法」の20の規則は、様々な政治や経済、社会、教育など、あらゆる分野で繰り広げられている「話法」であって、東大の専売特許のものではない。それは安富氏も指摘していることだが、たとえば政治家のことば、行政マンとの話し合いなどのなかで、私は何度も聞き及んでいる。
安富氏は、香山リカ、池田信夫、この二人の言説を、「東大話法」のある意味でわかりやすい例としてあげているのだが、私には、正直、なぜこういう人の言説をアーダコーダと批評を加えるのかわからない。なぜか。私はこの二人の言説にはほとんど興味関心を持っていないからだ。香山の本は一冊だけ読んだことはあるが、表面的なことの叙述に終わっていて、この人の文は読む必要なし・・と判断しているひとの一人が、この香山だから。したがって香山についての批評は、ただ読み通しただけで、何の感慨も持たなかった。内田については、そのブログがかなり有名らしいということは知ってはいるが、アクセスしたことはない。だから内田を批評しても、私にはどうでもよいのだ。
ボクは、それよりも、たとえば原子力を推進してきた人たちが、こういう場で、こういう言説を吐いた・・・というような、事実を並べてもらった方が有益だと思う。
批評より事実を、私は求める(あるいは、本の間にはさまれていた本の紹介を見て、たとえば『人間と放射線』、センの『正義のアイディア』などを読んだ方が有益だったのではないかと思ったほどだ)。
池田にしても、香山にしても、あるいは原子力推進の東大関係者にしても、安富氏に批判されたから、みずからの考えというか、立場を変えるはずもない。自らが選んだその立場から、思考し、相手の話を都合良く解釈し・・・・は、変わらないのだ。
安富氏はこの本を書いた、そしてよく売れている(昨日来た本は4刷)。20の規則をあげて、これが「東大話法」だとしたところで、現実が変わるの?
少しは実践的なことに関わっている私としては、読む必要のない本であった。
追記 なお著者は、香山、内田を俎上にあげた理由を、「東大話法」を説明するに便利であるから、としている。その意味では批判しているわけではないということだろう。だから私も「批評」としたのであるが、しかし香山も内田もそれぞれ「立場」を持つ人。この「批評」には何らかの対応するのだろうが、私はそれを知ろうとは思わない。
しかし、ボクはあまり面白いとは思わなかった。原発について言及している人々の言説について、安富氏はまじめに批評を加えて、そこにある、無責任な、傍観者的な、ずるい、欺瞞的な、安富氏が特徴あると判断された「話法」を「東大話法」とするのだが、それがどうしたのと、私は反応してしまうのだ。
なるほど、この本に掲げられている「東大話法」の20の規則は、様々な政治や経済、社会、教育など、あらゆる分野で繰り広げられている「話法」であって、東大の専売特許のものではない。それは安富氏も指摘していることだが、たとえば政治家のことば、行政マンとの話し合いなどのなかで、私は何度も聞き及んでいる。
安富氏は、香山リカ、池田信夫、この二人の言説を、「東大話法」のある意味でわかりやすい例としてあげているのだが、私には、正直、なぜこういう人の言説をアーダコーダと批評を加えるのかわからない。なぜか。私はこの二人の言説にはほとんど興味関心を持っていないからだ。香山の本は一冊だけ読んだことはあるが、表面的なことの叙述に終わっていて、この人の文は読む必要なし・・と判断しているひとの一人が、この香山だから。したがって香山についての批評は、ただ読み通しただけで、何の感慨も持たなかった。内田については、そのブログがかなり有名らしいということは知ってはいるが、アクセスしたことはない。だから内田を批評しても、私にはどうでもよいのだ。
ボクは、それよりも、たとえば原子力を推進してきた人たちが、こういう場で、こういう言説を吐いた・・・というような、事実を並べてもらった方が有益だと思う。
批評より事実を、私は求める(あるいは、本の間にはさまれていた本の紹介を見て、たとえば『人間と放射線』、センの『正義のアイディア』などを読んだ方が有益だったのではないかと思ったほどだ)。
池田にしても、香山にしても、あるいは原子力推進の東大関係者にしても、安富氏に批判されたから、みずからの考えというか、立場を変えるはずもない。自らが選んだその立場から、思考し、相手の話を都合良く解釈し・・・・は、変わらないのだ。
安富氏はこの本を書いた、そしてよく売れている(昨日来た本は4刷)。20の規則をあげて、これが「東大話法」だとしたところで、現実が変わるの?
少しは実践的なことに関わっている私としては、読む必要のない本であった。
追記 なお著者は、香山、内田を俎上にあげた理由を、「東大話法」を説明するに便利であるから、としている。その意味では批判しているわけではないということだろう。だから私も「批評」としたのであるが、しかし香山も内田もそれぞれ「立場」を持つ人。この「批評」には何らかの対応するのだろうが、私はそれを知ろうとは思わない。