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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

暑さ日本一

2020-08-16 16:59:58 | その他
 今日の浜松市は、暑さ日本一である。東京その他にいる子どもたちからLINEが送られてきた。「テレビで報じられているよ」と。

 私はエアコンを稼働させているが、エアコンを稼働させていない部屋は35.9度である。

 この暑さでは、畑で労働したら倒れるかも知れないと思い、この後水遣りに言ってくるつもりだが、明日はもっと暑くなるかも知れない。

 梅雨明け以降雨は一滴も降らず、連続して強い太陽光線が降り注いでいる。浜松市の COVID-19の感染者数は、今日は5人。昨日はゼロであった。なかなか安心できる状態にならない。

 猛暑と COVID-19により、ほとんど出歩かずに閉じこもっている。

 

高温

2020-08-16 10:01:22 | その他
 浜松市は、連日39度の高温が続いている。私はそれでも夕方畑に出るが、少し動いては休み、ジュースを飲み、また少し動いては・・・の繰り返しである。隣の畑の奥さんは、あの炎天下、ずっと草をとり続けていた。すごい!の一言である。この高温は、農業労働に支障を来している。この頃に、夏草(それらは大きく生長し、根ごと取るためには力が要る)をとらないと、秋野菜の準備が出来なくなる。だから少しずつ準備をしている。

 しかし子どもの頃、夏、30度を超える日はほとんどなかった。だいたい28度程度だった。しかし今や夏になると、35度越えは当たり前となった。

 地球温暖化対策は、もうまったなしの時期に来ているように思う。それは日本だけではない。海外でも、温暖化対策がまったなしの状態であることを示す事例が増えている。

 トナカイの放牧に立ちはだかる気候変動 スウェーデン

シベリア、5月に「極めて異常な」気温観測 平均より10度高い地域も

夕顔と暑さ

2020-08-14 19:20:39 | その他
 毎年夕顔をフェンスにはわせている。夜、月の光に映える大きく白い花弁はとても高貴でもあり、また寂しさもあわせもつ。

 今年もたくさんの苗をつくり、多くの人々に苗をあげたが、たくさん咲いているというような通信があるととても嬉しい。

 さて今日は猛暑で、家の中が35度を超えていた。私自身は家にいるあいだずっとエアコンを稼働させていたが、戸外は太陽の光線も強く、また風も熱風であった。

 だからか、今夕顔を見に行ったが、まだ咲いていない。咲き始めたというところか。暗くなる少し前から咲きはじめるというのが毎年のこと。猛暑は、夕顔の顔を閉ざしてしまうのだろうか。実際咲かないままに朽ちてしまった花弁が見られる。

 夕顔という花のイメージは、『源氏物語』の夕顔という女性のイメージである。繊細で控えめ、そっと生きているという感じか。花弁に顔を近づけると、淡い甘い香り。

 猛暑と夕顔とはまったくあわない。この猛暑、去って欲しい。

 【追記】20時頃見に行ったが、開きかけたところで止まっている。暑いからかも知れないと思い、如露で全体に水をかけてあげた。21時頃行っても、同じ状態。今日浜松は39度。猛暑に夕顔も耐えられないのだろう。
 明日は夕方水を撒いてあげようと思う。

鬱々とした日々

2020-07-28 12:53:25 | その他
 安心して暮らしたい、というのが、庶民の願いである。心配しないで自由に買い物に行けて、図書館で本を読み、少しの旅行にも行ってみたい。

 でも、 COVID-19が全国に蔓延していて、外出は緊張が伴うものになっている。人混みではマスクをつけ、帰宅したらひたすら手洗いをする。感染したくないから、ほとんどの時間を家で過ごす。

 ほとんど一日、エアコンは稼働している。10万円の給付金は電気代で消えるかも知れない。

 私には農作業もあるが、最近の降り続く雨で、日照は不足するわ、雑草は思い切り生長するわ、畑に足を踏み入れれば長靴が沈む。

 長雨と COVID-19で、毎日を鬱々とした気分で過ごす。

 鬱々とした気分は、こういう愚策により、さらに鬱となる。

「Go To Travel」「テレワーク70%」が同時進行する矛盾、政府の新型コロナ対策が「アクセルとブレーキ両方ベタ踏み」状態に

 アホな政治家が利権とつながると、ろくなことはない。

生きることをやめさせる?

2020-07-24 07:32:15 | その他
 人間は病む。病むことは、人間が生きていく上で避けて通れないことだ。人間は死ぬまでは生きていくし、生き続けようとする。だから病むことから逃れようと、人間は努力する。だが「難病」ということになると、病むことから逃れられない。絶望が襲いかかる。

 ずっと前、アウシュビッツ収容所に入れられたフランクルの『夜と霧』を読んだことがある。毎朝、そこでは戸外で、どんなに寒くても点呼が長時間行われる。食べるものも少なく、労働を強制され、息絶え絶えの生活であった。そこで絶望に襲われた人は、息絶えていったという。しかし少しでも希望をもった人は、生き残ったという。フランクルは医者である。彼もいくつかの希望を失わなかった。他者との人間的つながりがあったからであるし、それだけでなく、もう一つ生きていくことを選ぶ力となったことがあった。朝焼けの太陽である。
 私は朝焼けの東の空はあまり見かけたことはないが、しかし夕焼けの美しさは何度も体験している。まだ働いているとき、職場の二階から西の空を見ていたとき、こんなにも美しいものを見ることが出来る、生まれてきて良かったと思った。今でも、農作業が終わり家路につくとき、毎日毎日変わっている夕焼けの美しさを感動をもってみつめる。
 子どもが入院したことがあった。病院のベッドの上で苦しんでいる姿を見て、自分が変わってあげたいと思った。快癒して今では元気に暮らしているが、生きてくれているというだけで、私は満足である。

 他人が死にたいというとき、私はぜったいにそれはよくないことだと言う。死というものは、確かに個人の問題であるが、同時にその人とつながる大勢の人のものでもある。自死は、実は自死ではないのだ。

 京都での嘱託殺人。この事件が報じられて、尊厳死の問題を論じるべきだと色めき立つものが出ている。しかしこの事件は、尊厳死なのか。私には殺人に思える。己の醜悪な思想の実践である。

 香山リカさんが、そのうちの一人のTwitterの文を紹介している。

 コロナが導火線になって、尊厳死法が通ればいいのにね。さすがにALSご一行さまは官邸や五号館前で叫ばねえだろう。ベッドの議員も国会サボるだろうし。

 議員定数を若干減らすよりも、尊厳死法とか安楽死法を通した方が財政は持ち直すと思うけど。

 医師たちの、この事件を起こした「思想」、きわめて醜悪なそれがよくわかる。

 そして二人の医師のひとり、大久保医師の奥さん、衆議院議員でもあった大久保みよさんが、夫のことを記している。

バカにつける薬はない

アスペルガーの夫を支え続けた結果


 文面には、すっきり受容できない部分もあるが、長年の生活経験からの思いが記されているようだ。

 私は、この二人の医師に、ものすごい「思い上がり」を感じる。しかしそれは、多くの男が持つものでもある。多くの男にとっての「生きる杖」って、「思い上がり」なのかもしれない。それは、強烈にその個人だけのもので、他者とつながりをもたない闇そのものだと思う。


訃報

2020-07-14 14:20:07 | その他
 訃報が届いた。しかし亡くなられたのは3月、4ヶ月遅れの訃報であった。   corona下、どこの家庭でも、親族だけの質素な葬儀になっているようだ。葬儀に参列することを望まないから、訃報もずっとあと、落ち着いてからということになる。

 3月に亡くなられたのは、歴史学者の田村貞雄氏である。幕末・維新史の研究からスタートし、殖産興業、地租改正、ええじゃないか、秋葉信仰など幅広く研究されていた。ええじゃないかの研究では、教科書の記述をかえたほどだ。

 廣田昌希さんも含めて、現代の政治社会状況に対する憤りは、「黒熱の鉄」のようであった。

 私の知人が次々と亡くなられていくのは、日本社会へ絶望を抱いたのかも知れないと思ったりする。

 寂しい限りである。手紙を送る相手がまたひとり亡くなった。

道理が通用しない時代

2020-07-13 10:13:22 | その他
 韓国ソウルの市長が自殺した。市長のセクハラ事件が告訴されたことから、弁護士でもある市長は被告人→犯罪者として断罪されることに耐えられなかったのだろう。
 その市長の自殺に関して、ソウル市が市葬を行うという。私はすべきではなく、家族その他で粛々と葬儀を執り行うべきだと思う。確かに、市長のリーダーシップのもと、ソウル市は良い政策を展開していた。それに関する本も読んだ。日本の自治体もそれをまねしてもらいたいと思った。それはそれとして評価はするが、しかし市長が自死を選んだのは、みずからの行為を振りかえり、静かにこの世から去って行きたいと考えた上でではないのか。
 私は、被害者の気持ちに寄り添うような判断がなされるべきだと思う。

 さて中国は、香港に対する支配を強化している。香港の中国本土化を強行しようとしている。それにより香港の中でも喜ぶ者もいるだろうが、若者をはじめ、香港に見切りをつけて出て行く者も多いようだ。
 自由、民主主義を維持発展させることは道理である。その道理が踏みにじられている。

 日本でも、道理はすっ飛んでいる。COVID-19 の治療にあたった医療関係者には何もせず、安倍晋三=自民党・公明党政権にとって利権となる「GO TO キャンペーン」には多額のカネをつかうようだ。もちろん税金である。しかしその事業は、感染源となっている東京など大都市の人々を地方に拡散することによってCOVID-19 を蔓延させる政策である。
 安倍晋三=自民党・公明党政権は、あたりまえのことで、そしてすでに何度も書いてきたことなのだが、感染を広げないためには、検査をして感染者を被感染者と接触しないようにして、ウィルスを閉じこめるというwithout corona をめざすことでなければいけなかったのに、それをせずに放置して、今度はウィルスを広げようとしている。

 ウィルスを広げるために1・7兆円もつかい、ウィルス感染者を治療する医療関係者たちにはカネをださない。

3割の医療機関で夏のボーナス減、『不支給』の病院も 「気持ちの糸が切れかねない」と危機感 【新型コロナ】

 ことごとく順番が狂っている。そういう狂っている政策を行う日本政府には、まったく道理がないし、道理を蹴っ飛ばしているのだ。

 安倍晋三=自民党・公明党政権は、消えてもらわないと、日本は沈没する!


上から目線

2020-07-08 09:26:45 | その他
 『東京新聞』の文化欄のコラムで、「月島」というネームで、小林哲夫『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)という本の紹介をしている。読んではいないのでわからないが、世界各地の女子学生が、重大な問題を提起したことを記しているという。

 その末尾に「上から目線の社会学者が書いた一九六八年論とは大違いだ」とあった。

 社会学者が1968年頃の学生運動を論じた本が出されているが、私はいずれも読んではいない。小熊英二、小杉亮子・・

 小熊の本は部厚くていけない。多数の文献を渉猟してさらっと書いている。『社会運動史研究』2の山本義隆氏の文を読むと、初歩的なところで間違っているという指摘がある(「ガリ切り」を知らない!)し、またほかでも、羽田で京大の山崎博昭くんの死を、官憲側の死因をそのまま記しているという指摘がある。

 また小杉亮子の本も、その書名が「東大闘争の語りー社会運動の予示と戦略」なるもので、その書名、「何、予示って」という、およそ読んでみたくないものだ。

 まさに「上から目線」である。社会学者の歴史記述は、そういうものが多い。それらは、歴史学の訓練をしてきた者としては、いい加減な内容であるというしかない。文献の資料価値について、軽重がなく、またしたがって史(資)料批判がないからだ。

 だから私は、少なくとも、社会運動を研究する場合は、「当事者的想像力」を持て、と主張している。

 研究のための研究。私は、今までそういう研究はしてこなかった。

聞きたくはありません

2020-07-07 12:23:27 | その他
 私は、あなたの息子の嫁の実家がどういう立派な家庭であるかを
 聞きたくありません。

 私は、あなたの息子がどれほど立派になっているのかを
 聞きたくありません。

 私は、あなたの父親がどれほど有名人と知り合いであったのかを
 聞きたくはありません。

 最近、そういう話をする人が、私のまわりで増えている。

 その度に、あゝこの人とはもうつきあう必要はない、と思ってしまう。

 私にとって、あなたの息子の嫁の実家、あなたの息子、あなたの父親、すべて関係ない人たちです。

 私は、そういう話を聞くための人生の時間を持ちあわせてはいません。

 それって、自慢話ですよねえ。

人吉市の災害

2020-07-06 13:48:24 | その他
 昨年12月、宮崎に行った。熊本でレンタカーを借りて、復路で人吉市に寄った。人吉市の人吉城は、鎌倉時代、静岡県の相良から人吉に移り住んだ相良氏の居城であった。

 人吉市では、その他青井阿蘇神社にも行った。神社は国宝でもある。その神社が大きな被害を受けたようだ。神社のとなりにあるお土産屋さんも被災したのだろうか。確か、神社の前には川があり、橋もあった。
 落ち着いた良い街であった。

 ネットで球磨川流域の被害状況をみて、行ったことがあるだけに、とても憂慮している。

【演劇】こまつ座「きらめく星座」

2020-06-29 18:51:08 | その他
 井上ひさしの演劇だけを上演するこまつ座。静岡県は、5月後半から6月はじめにかけて巡演する予定であったが、COVID-19 のためにほとんど中止となった。浜松は5月22日からであったが、一ヶ月ほど遅れての公演となった。

 座席は、横、前後ろを空けるようにして、「距離」をとっての観劇となった。観劇の風景も、COVID-19 以前とは、まったく変わってしまった。今までのように演劇を見られなくなってしまったということがとても残念である。
 また劇団も全国で中止が決まり、経営的にも苦労しているはずだ。

 さて私はこの劇をずっと前に見ている。私は集英社文庫で、この戯曲を持っているが、奥付をみたら1988年刊行であった。おそらくそれ以前にどこかで見て、よかったので購入したのだと思う。

 こまつ座はいつも見応えがある。今回も、である。演劇は、もちろん戯曲をもとにして上演される。戯曲の完成度が高いと自ずから上演される劇も良いものになる。井上ひさしの戯曲は言うまでもなく完成度が高い。

 今回見ていて、あらすじはほぼ頭に入っていたが、細部にはこんなところがあったのかと驚いたことがある。
 ひとつはオデオン堂の息子が軍隊から脱営して逃げまわるのだが、最初は九州の炭鉱に入り込む。そこで朝鮮人労働者と一緒になり、朝鮮人が強制的に連れてこられたこと、賃金が支払われていないことを知るのである。それが語られていた。
 また「帝国の道義」ということばがあった。大日本帝国の戦争政策には「道義」がないことを、脱営した息子と傷痍軍人である妹の夫がほぼ同時に語るのである。

 井上ひさしの戯曲は、明るく、楽しい。しかしそのなかに問題とすべき現実が入りこんでいる。戦時体制下の統制や動員、そのなかでの密告の横行、物不足、しかし戦争で儲けている者たち、そして企業整備令によるオデオン堂の廃業・・・
 楽しいが故に、よけいにそうした現実が明瞭になる。最後の場面、市川春代の「青空」という唄を楽しそうにうたうのだが、それを空襲警報が中断させる。
 戦争は明るく、楽しい日常を奪う、いや破壊するのである。

 7月の観劇は、加藤健一事務所である。加藤健一事務所の劇は、加藤健一自身が楽しむためのものでしかない。加藤が静岡県出身だということからしばしば上演されるのだろうか。加藤が選んで上演する劇は、表層的な人間関係のみが面白おかしく演じられるだけで、見た後すぐに消えていく、記憶に残らない。

 久しぶりに中心街に行ったが、浜松市民のほとんどはマスクをして、秩序正しい行動であった。

韓国映画

2020-06-02 15:48:54 | その他
 Amazon primeで「ワン・サニーデイ One Sunny Day」を見た。韓流である。

 婚約者のいる女性と別れたひとりの男が、ソウルから済州島にやってくる。男性が安宿で宿泊中、財布などを盗まれる。同じ飛行機で、取材にきた女性も、携帯電話を盗まれる。同じ時に警察署に被害届を出す。

 そして同じ民宿に泊まり、それぞれがそれぞれの仕事をする。離れたり合流したり・・・・。最後は、めでたし、めでたしとなる。

 若い男性と若い女性の出会い。そしていつのまにか好意を持ち、しかしそれが本当なのかどうかを自らの心に問いながら、また相手の気持ちもわからないから相手の顔色をうかがい、おっかなびっくり会話をする。

 その動きが、済州島の美しい景色と、そして音楽をバックに展開する。

 韓流が中高年の間で流行る理由もわかる。

 ノスタルジア。若かった頃、そういう恋愛の体験、あるいは疑似体験をしながら現在に至った中高年。もうあの時代に戻ることはない。

 もう現実化することのない夢が、ドラマとして美しく描かれる。

 私も見入ってしまった。女優のキム・ジウォンさん、とても美しい女性である。残念ながら私の周囲にはいなかったなあ。

受診

2020-05-27 21:34:09 | その他
 日々農作業に従事しているからか4月頃から腰痛が続いていた。いつもいっているいわゆる「かかりつけ医」を訪れた。

 まず驚いたのは、私の前に一人、私の後に一人、わたしを含めて3人しかいなかった。いつもこうなんですかと尋ねたら、午後はだいたいこういう状況だということであった。

 そして待合室に入るときに検温、おでこのあたりに照射して計測するようだ。受付、会計のところ、診察室、いずれにも透明の「壁」がつくられていた。

 薬の処方箋をだしてもらい、隣にある薬局に入ると、ここでも透明の「壁」。

 COVID-19 流行の後、これからの生活は変わるなあとつくづくと思った。

 医療機関、経営がむつかしくなるところもあるのではないかと思った。

古典不要論?

2020-05-17 00:09:06 | その他
 昨日の『東京新聞』の文化欄のコラム「大波小波」が、高校国語の古典不要論に言及していた。2022年度から実用文を学ぶ論理国語と文学作品を学ぶ文学国語に分かれることに対する危惧の念を表したものだ。

 論理国語といっても、論理的な文章、たとえば丸山真男らの評論文を読むのではなく、契約書とかそういうものを読むのだと聞いたことがある。ナンセンスそのものだ。

 さらに高校国語の古文や漢文も不要だとする議論も出ているという。これもナンセンスというしかない。

 人間、生きていく上であらゆる分野についての基礎的な知識を持っていることにより、人生は豊かになるのだ。古文、漢文もそのひとつだ。

 私の高校時代は、ほとんどすべてを学んだ。理科は、生物、地学、化学、物理、社会科は地理、倫理社会、世界史、日本史、政治経済。そして国語では様々な文章を読んだ。

 古文については、高校1年時の夏季休暇、古文の宿題として「竹取物語」を読まされた。2年時は「徒然草」(どこかの文庫本を買わされた)であった。もちろん現代語訳ではない。そして9月にはその試験があった。おかげで、古文が好きになった。「徒然草」に書かれている内容に、現在の私たちにも考えさせるものを見つけ古文を見直すきっかけになった。

 そして岩波新書の『日本文学の古典(第二版)』を読み、歴史的に古典文学を捉えようとする視点を学び、石母田正の『平家物語』、秋山虔の「源氏物語」関係の本、永積安明、西郷信綱、広末保のそれぞれの本を読み進めていった。日本の古典文学のなかに、興味深いものをたくさん発見した経験がある。

 このコラムで紹介されている『新・紫式部日記』(日本経済新聞出版社)、『言の葉は、残りて』(集英社)も読みたくなった。

 古典文学は、学ぶに値する。