hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

霊魂

2013-10-27 | 親孝行

10年ぶりに旧友に会い、母親談義をした。

 

・男はみなマザコンである。

・いくつになっても母親は、母親である。

・「母親に誉められたい、認めてもらいたい」という気持ちがいくつになっても強い。

・その母に対しての想いは、年を取ればとるほど増してくる。

・母親に対する気持ちが強ければ、それが仕事の張り合いになる。

 

お互いに、母親に対する気持ちを語り合い、互いに納得するばかりであった。

 

彼は、今年の初め母上を亡くされたとのこと。

 

「今はとてもやるせない。どうしてよいのかわからない」

「母親に対する呪縛からは解放された」

「反面、心に穴が開いてしまった。この気持ち、どこに向けたらいいのかわからい」

 

その気持ちは痛いほどよくわかる。

親に対する気持ち。

私も父親が病院に入院して亡くなるまで、毎朝父親の顔を見るために病院に通った。

だんだんと衰える父を見るとやるせなかった。

人間、必ずゴールはある。

その終末に向けて、一歩一歩近づいていく。

医師からカウントダウンを聞かされるたびに、心が張り裂けそうになった。

その時の気持ちは、子供として、切ない。

 

 

しかし、ゴール後は「もう病院に通わなくてもいいのだ」と思う反面、

親に対する思いは、日々込みあげてくる。

「ああすればよかった、こうすればよかった」

何ともやるせない気持ちである。

特に、毎日毎日その姿を見ていたものにとって、何とも切ない気持ちであった。

父が亡くなり3年が経過した。

 

私は、毎朝、父親と会話をしている。

父の遺影の前で話をする。

最初は2~3分程度であったが、5分、10分となり、最近は15分位話をしている。

遺影の前では、心を開くことができる。

家族の前でも、100%自分の心を開くことができる人は少ないと思う。

しかし、遺影の前で父と話を始めると素直な気持ちになり、何でも話せる。

 

私は、「霊魂はいる」と信じている。

「霊魂なんて迷信だ」という人もいるだろう。

「霊魂がいることは、科学的に証明できない」という人もいるだろう。

では、そのような方に質問したい。

「霊魂がいないことを科学的に証明してください」

この質問に対して答えを出せる人はいるでしょうか?

「いることも証明できないし、いなことも証明できない」

であるならば、「霊魂は存在する」と考えた方が気持ちは楽になる。

 

ということで、私は毎朝、父の遺影の前で父と話をしている。

自分の心を素直な気持ちで見つめることで、今までに気付かなったことに気付くこともある。

その結果、心は解放され、ストレスもなくなる。

 

3年間、私は、父親の霊魂を信じて対話してきた。

肉体は滅びても、霊魂があることを信じて、私は救われてきた。

私のやり方が正解というつもりはない。

一つの対処方法である。

 

最後は、男二人、涙を流していた。

 

 

 

 

 


たい焼き人生

2013-10-21 | 親孝行

たい焼き人生

 

私の好きなものである。

 

「たい焼き」と「親孝行」

 

「たい焼き」を食べると笑顔になる。

 

「親孝行」して親が笑顔になると、私も笑顔になる。

 

笑顔になると、自然と幸せな気持ちになる。

 

幸せな気持ちで過ごす人生は最高。

 

たい焼き人生、万歳!!


父の本

2013-05-14 | 親孝行

人の事業の大きさは、

自己の信念以上に超えることは決してない。

『為せば成る。

為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり』

これに優る名言はない。

 

人間は、どれほど自分の可能性を信じても

信じすぎると言うことはないのである。

なぜならば「本当の自分」は神人であって、

無限の力を発揮し得るものであるからである。

 

諸君よ、

自己の朝の頭脳の明快な時間を

生かすと捨てるとでは、

諸君自身の偉大と矮小と、

成功と失敗と、

博学と無学とが

分かれることを知れ。

 

父の本を久しぶりに読んでいる。

父が元気な時は、父親との会話は少なかったと思う。

内面的な課題に対して、人に語ることは少ないし、まして父親と相談することもなかった。

今にして思えば、もっともっと人生について、教えてもらえばよかったと思う。

 

父の半生を書いた本。

以前には、気づかないことがたくさん書かれている。

改めて、父の本を読むことで、父の偉大さがわかる。

人生の指南書を残してくれた父に心から感謝している。

 


変わりたくない!

2013-03-29 | 親孝行

脳には「自己保存の法則」「統一・一貫性の法則」というのがあるらしい。

以前にもブログで書いたが、「脳に悪い7つの習慣」(林成之著)に書かれている。

人間のクセとして、「生きたい」という本能に根ざしたもので、「生きるために自分を守る」という考え方がある。その結果、自分の考え方・生き方を大切にすることになる。

これが過剰反応すると「変わりたくない」ということになる。

 

また、「正誤を判断」し、自分の主義主張が一貫して行動することは、素晴らしいことである。

しかし、この法則も過剰反応する場合がある。

例えば「自分と違う意見や考え方を排除し受け入れたくない」、というケースがある。

これは、世の中に様々な形で見ることができる。

政治の世界もこの連続であろう。

粉飾決算など不祥事を起こして弁明する企業経営者もこのケースが当てはまる。

この場合は「統一・一貫性の法則」が過剰に反応し、マイナス要素が現れている。

さらに、年老いた経営者が若い部下の意見を聞かないなどは、老害の典型的なパターンであろう。

また、既得権がある人は、変わりたくない、と様々な理由をつけて他人の意見を拒む。

このような人は、「自己保存の法則」「統一・一貫性の法則」が過剰に反応して、悪い面が強調されてしまう。

 

では、どうすればよいだろうか?

付き合い方を考える必要がある。

「自己保存の法則」「統一・一貫性の法則」が過剰反応する人でも、良い面はたくさんある。

その良い面を捉えて、付き合うことである。

まずは自分の主張することは控えて、良い面をほめることである。

人間誰しも褒められればうれしいし、その人が好きになる。

一生懸命に褒めて、支援すれば認めてくれる。(ヨイショではない)

より良い人間関係が出来たら、次のステップに進もう。

 

この考え方は、年齢が上の方と付き合う場合には活用できる。

例えば先日ブログに書いた「嫁姑問題」である。

年長の姑は、この2つの法則が過剰に反応している、と捉えたらどうであろうか?

であるならば、付き合い方は見えてくる。

まずは、良い面を探すことである。当然、良い面を客観的にみつける観察力は必要である。

そうすれば、良い面を話題にして、褒めることである。

誰しも、自分のことが、一番興味がある。さらに褒められれば嬉しい。

 

親孝行も同じである。

年老いて両親の考え方を変えることなど、到底はできないだろう。

であるならば、変わらないことを前提にして考えたらどうであろうか?

客観的に今の立場を眺めることが必要である。

年老いた親と言い合っている自分を、第三者の立場でその光景を眺める、そんな感覚だろうか。もう一人の自分を持つことで、客観的に判断することができる。

 

どのような場合でも、相手の考え方や価値観を変えようとしないことだ。

正しいことを言うのは良いことである。ただ相手がその正しい意見を採用するかは別問題である。

そのことをわきまえて、敢えて主張する場合はどうするか?

それは、「質問」である。

あくまでも良い人間関係を築いた上である。

まだ、親しくなっていない人に急に質問しても、「こいつ、何だ?」と思われるだけである。

良い人間関係になってから、「質問」をすることである。

 

例えば、人財育成を捉えてみよう。

上司に、「○○のような人材教育をやりましょう」と提案するのも良いかもしれない。

でも、上司の考え方が違っていたらどうであろうか?

では、このような質問をしたらどうであろうか?

「今の社員に対して、何が課題ですか?」

「3年後は、今の社員にはどのようになっていてほしいですか?」

そこで、相手の価値観にフィットする提案をしたらどうであろうか?

ものごとは、スムーズに運ぶと思う。

 

とういうことで、私もこのブログを書きながら、自分に教えられた次第である。


価値観

2013-03-27 | 親孝行

今は桜の季節である。

いつまで桜の花が咲いているか非常に気になる。

日々変化する天気や気温の変化に一喜一憂している。

でも、この変化が楽しい。

我が家では、椿も咲き、モミジの葉が色づき始めた。

春は、四季の中でも変化があり、違いを楽しむのがまた良い。

 

この変化や違いは、季節だけではない。

街並みも良く見ると、違うことに気づく。

当たり前の話だが、同じ家は一軒もない。

黄色い壁の家もあれば、グレーの壁の家もある。

マンションもあれば、個人民家もある。

当然である。でもこの違いを見ながら、意外と楽しんでいるかもしれない。

もし、同じ街並みであったらどうであろうか?

どの家も2階建てで、塀の色はグレー。窓や玄関の配置も同じ。

それこそどれが自分の家かわからなくなる。

酔っぱらって帰ったら、どこかわからなくなりそうだ(笑)

仮に、このような景色が延々と続いていればどうであろうか?

味気なく、面白味もない街並みに違いない。

 

季節も同じであろう。

日本は四季があるが、仮に1年365日、今日(3/27)と同じ気候であったらなばどうであろうか?少々肌寒く、桜のチリギワをヒヤヒヤしながら見ている。

毎日毎日このような状態であったならば、天気予報でも桜の話はでないし、誰も桜に見向きもしなくなるだろう。

実際の天気は日々変化し、毎日違うから楽しいのであろう。

 

では、人間ではどうであろうか?

背の高い人もいれば、低い人もいる。

相撲取りのように太っている人もいれば、モデルのように痩せている人もいる。

足の速い子供もいれば、文章が得意な人もいる。

さらに、音楽が得意な子もいるし、絵が上手い人もいる。

世界中をみても、自分と同じ人がいるだろうか?

隣の人と考え方も違うだろうし、同じクラスの人でも価値観も違うだろう。

そうが当然なのである。

 

しかし、人間は頭でわかっていても、実際の行動になると、違うようだ。

自分の価値観を押し通そうとする人が多い。

 

例えば、嫁舅問題である。

最近は核家族化しており、昔に比べたら少ないかもしれないが、永遠のテーマであろう。

お嫁さんと義理のお母さん。

義理のお母さんと同じ年のお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ場所で生まれたお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ教育を受けたお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ家庭で教育を受けたお嫁さんはいるだろうか?

 

いないと思う。

 

仮に義理のお母さんと同じ年のお嫁さんがいたら、なんと恐ろしい家だろう(笑)

義理のお母さんとお嫁さんは、年も違うし、育った環境も異なる。

当然、考え方や価値観は異なるのは、当たり前である。

 

異なるのが当たり前なら、ではどうすればよいのか、ということである。

自分中心に考えていれば、「違う考え方」に出くわす。

さらに「違う価値観」に違和感を覚える。

そうすれば、腹が立つし、時には喧嘩もする。

当然である。

異なる者同士、自分中心に考えていれば、一生交わることはない。

 

では、どうすればよいのか?

どうすれば、義理のお母さんとお嫁さんは仲よくできるのであろうか?

例えば、講演会場であれば、ここで意見を求めたくなる。

研修であれば、グループワークの時間になる。

各グループで検討し、様々な考え方を共有することで、気づきがある。

 

しかし、今はブログであるので、このまま書くことにする。

「自分中心の考え方」から「相手中心の考え方」に変えるのである。

「自分軸」から「相手軸」に、軸足を変えるのである。

相手の立場に立ち、考えてみることである。

お嫁さんなら、「義理のお母さんならどのように考えるだろうか?」

義理のお母さんなら、「うちのお嫁さんは、どんな価値観で判断するだろうか?」

このように考えることで、双方の妥協案が産まれてくるだろうし、今までとは違った結論に到達するに違いない。

相手から一方的に「こうしなさい」「うちの考え方はこうです」と押し付けられれば不満が出る。

しかし、双方で自主的に自分の考え方を変更するのであれば、不満はない。

ちょっと、軸足を変えるだけで、解決することができる。

 

答えは身近にある。

軸足を変えることに気づくか、気づかないだけである。

そして、気づけば、あとは実行するだけである。