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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

臨川庵は、今、臨済宗臨川寺として

2009年07月20日 | Weblog
深川大工町の臨川庵は、今、臨済宗臨川寺という名前のお寺になっている。元は庵であっただけに小さいお寺であるが、芭蕉ゆかりの墨直しの碑、芭蕉由緒の碑などが、門から入ってすぐ左の狭い境内にある。墨直しの碑は、神谷玄武が芭蕉の弟子、各務支考が建立した碑を模写して建てたものだという。
仏頂和尚は、元禄八年(1695)幕府に臨川庵を寺とするように請願をし、十八年後の正徳三年(1713)、「臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺」の山号寺号が許可され、和尚の開基で臨済宗の妙心寺派の寺となったのである。徳川幕府は、原則として新しいお寺の開基を認めていなかったから、仏頂和尚の影響力がいかにに大きいものだったかが分かる。仏頂禅師は雲巌寺四十五世徹通和尚と親交が厚く、晩年は雲巌寺で山庵を営んだが、その二年後の正徳五年(1715)、74歳でその山庵で病没している。