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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

海野宿 Ⅵ

2007年12月21日 | 雑記

 

 

 

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海野宿 Ⅴ

2007年12月20日 | 雑記

 

 

 

 

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海野宿 Ⅳ

2007年12月19日 | 雑記

 

 

 

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七苦里の湯 別所温泉

2007年12月18日 | 雑記

 全国に温泉がいくつあるかは判りませんが、記録に残っている国内の温泉地で、最も古いもののひとつに別所温泉があります。別所温泉のシンボルはこの北向観音で、長野の善光寺と一対の寺として、双方が向きあって建てられています。来年は善光寺の御開帳で、沢山の参拝客がお見えになると思いますが、善光寺だけでは片参りと言われ、こちらの別所温泉にある北向観音も拝まないと願いが成就しないと言われています(地元では)。こちらの本坊は近くの常楽寺ですが、住職の半田孝淳大僧正が、比叡山の天台座主になられましたので、今は国宝三重塔がある青木村大法寺の住職が兼務されています。別所温泉の記録が残っているのは万葉集で、そこでは七苦里の湯と呼ばれています。また鎌倉時代には北条家が湯治場として使っていました。

別所温泉の入口には昭和初期の駅舎が現役で使われています。

温泉地なのでもう少し色付きの写真を撮ろうと思っています。

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橙‥海野宿

2007年12月18日 | 雑記

 

 

海野宿にあるガラス工芸店 橙(だいだい) 

 

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海野格子の家

2007年12月17日 | 雑記

 

海野格子の家

 

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決戦川中島

2007年12月16日 | 雑記

 

妻女山展望台にて 

 

妻女山より川中島の眺望(川中島方面と海津城) 

妻女山より川中島の眺望(弁静粛宿 雨宮の渡し)

今日は大河ドラマ「風林火山」の最終回でした。相当脚色してありますので、史実とはかなり異なるようですが、その史実そのものも、446年経った現在では正確には判りません。いずれも空想の域になりますが、実際に上杉謙信と武田信玄による空前の戦があったことは事実です。先日、週刊文春の細川元総理のコラムを読みましたが、どちらかというと生涯不犯で仏に帰依し毘沙門天の化身として信義に生きた上杉謙信に男のロマンを感じるということを書かれていました。一方、作家の童門冬二さんの最近上田であった講演会では、武田信玄は民衆を愛し大切にしたので、今も慕われているとおっしゃっていたそうです。孫子の兵法を用い、あくなく侵略意欲を持った武田信玄については、どうもそのあたりはかなり疑問ですが、勝者の論理として、現在でも経営者やエリート層に受け入れられています。大河ドラマの中のオープニングテーマの中で颯爽と騎馬に跨り草原を疾走するシーンがあり、また戦闘シーンでも騎馬武者による戦いが出てきますが、戦国時代には現在のようなアラビア種の馬はおらず、どの馬も現在よりも遥かに小さい馬でしたので、その点が特に毎回奇異に感じていましたが、あくまでもドラマなのであとは色々と楽しいドラマでした。特にガクトの上杉謙信は良かったと思います。

 

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ウダツ(卯立)の上がる町

2007年12月16日 | 雑記

旧北国街道 海野宿

 

 

 江戸時代の主要道路(五街道)である中山道は日本橋を出発し、現在の軽井沢町追分にある分去で、二つに分岐します。左が本線で、望月、和田宿、更に京の三条大橋まで続いています。この中山道は皇女和宮が14代将軍家茂に降嫁し、江戸へ下向された折、通った道で信濃路内はほとんどが厳しい山道ですが、攘夷派の妨害を避けるため東海道は通らずにこの中仙道を使いました。さて、追分宿の端にある分去を右に進むと、小諸、上田、善光寺を抜け現在の上越市、高田の北陸街道までが北国街道です。中仙道と違い、北国街道はその後も発展を続け、北国街道の基本ルートは明治に入り、国鉄信越線として、また国道18号線として主要な交通路となり、現在では上信越道、更に北陸新幹線のルートにもなっています。

 海野宿は北国街道、僅か半里手前の田中宿と次の上田宿との間に位置していますが、現在も往時の建物が数多く残され特に、隣家との二階部分の塀(防火壁)をうだつといい、これが大きいほどその家の格式が高いとされています。また海野格子や明治に入り養蚕が盛んな頃には2階の屋根上に「気抜き」と呼ばれる小さな屋根が載せられているのが特徴となっています。海野宿は八尾の諏訪町通りと同じく「日本の路100選」にも選ばれていますが、かなり以前から伝統的建築物として行政による整備が進んでおり、通りに面した部分の改修工事は市の許可が必要とされています。またほとんどの家が現在も住居として使われていますのが、それを知らない観光の方が、しばしば勝手に戸を開け、家の中に入ってくるそうです(笑)。

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師走 Ⅱ

2007年12月15日 | 東京
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師走

2007年12月14日 | 東京

 

 

 

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クリスマスセール Ⅱ

2007年12月13日 | 東京
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クリスマスセール

2007年12月12日 | 東京
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記念写真

2007年12月11日 | 雑記

 

 

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ヒルズ展望フロアー

2007年12月10日 | 東京
六本木ヒルズの展望フロアー(1500円)は森美術館と併設されていますが、夜景を見に登る人々はカップルが多く、美術館を見ている人はあまりいません。いつものことですが、東京も寒いと思い一枚多く防寒着を着こんで行くと、都内どこに行っても暑く、結局持って歩くことになります。

(写真は新宿方面  ド○モビルがいつ見ても不釣合いです)
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東京タワー

2007年12月09日 | 東京
コメント (2)
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