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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

ウダツ(卯立)の上がる町

2007年12月16日 | 雑記

旧北国街道 海野宿

 

 

 江戸時代の主要道路(五街道)である中山道は日本橋を出発し、現在の軽井沢町追分にある分去で、二つに分岐します。左が本線で、望月、和田宿、更に京の三条大橋まで続いています。この中山道は皇女和宮が14代将軍家茂に降嫁し、江戸へ下向された折、通った道で信濃路内はほとんどが厳しい山道ですが、攘夷派の妨害を避けるため東海道は通らずにこの中仙道を使いました。さて、追分宿の端にある分去を右に進むと、小諸、上田、善光寺を抜け現在の上越市、高田の北陸街道までが北国街道です。中仙道と違い、北国街道はその後も発展を続け、北国街道の基本ルートは明治に入り、国鉄信越線として、また国道18号線として主要な交通路となり、現在では上信越道、更に北陸新幹線のルートにもなっています。

 海野宿は北国街道、僅か半里手前の田中宿と次の上田宿との間に位置していますが、現在も往時の建物が数多く残され特に、隣家との二階部分の塀(防火壁)をうだつといい、これが大きいほどその家の格式が高いとされています。また海野格子や明治に入り養蚕が盛んな頃には2階の屋根上に「気抜き」と呼ばれる小さな屋根が載せられているのが特徴となっています。海野宿は八尾の諏訪町通りと同じく「日本の路100選」にも選ばれていますが、かなり以前から伝統的建築物として行政による整備が進んでおり、通りに面した部分の改修工事は市の許可が必要とされています。またほとんどの家が現在も住居として使われていますのが、それを知らない観光の方が、しばしば勝手に戸を開け、家の中に入ってくるそうです(笑)。

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