4月18日
先週の土曜日、所用で長野に行ったついでに善光寺へ向かうも、渋滞の列で断念。
今日は、曇りで肌寒く参詣者は少ないだろうと思うも、
前から予定を立てていた、観光バスの皆さんはそんなこと関係なく、
次々とバスが連なり、鈴なりの善男善女が大門から参道を歩いていた。
ところが、いつも停める駐車場は空いていたので、ご利益のある回向柱に
触りに行くことができた。
もっとも回向柱を松代から運んだ日にも、触っているのでこれで2度目。
ただその時は、前立本尊と善の糸で結ばれておらず、小松ご住職の手による
文字も書かれる前だったのだが切り出されたばかりの白無垢の木の肌触りが
暖かかった。
2週間ほどで、すでに何万人の人の願いを込められ触られた回向柱は
色合いが深みを増し、慄然と建っている。
先週の土曜日、所用で長野に行ったついでに善光寺へ向かうも、渋滞の列で断念。
今日は、曇りで肌寒く参詣者は少ないだろうと思うも、
前から予定を立てていた、観光バスの皆さんはそんなこと関係なく、
次々とバスが連なり、鈴なりの善男善女が大門から参道を歩いていた。
ところが、いつも停める駐車場は空いていたので、ご利益のある回向柱に
触りに行くことができた。
もっとも回向柱を松代から運んだ日にも、触っているのでこれで2度目。
ただその時は、前立本尊と善の糸で結ばれておらず、小松ご住職の手による
文字も書かれる前だったのだが切り出されたばかりの白無垢の木の肌触りが
暖かかった。
2週間ほどで、すでに何万人の人の願いを込められ触られた回向柱は
色合いが深みを増し、慄然と建っている。