4月7日
毎日同じアングルです。まだここ位しか咲いていませんが、
時間や天候により微妙な花の色の変化、蕾が膨らんでピンクになり、
開くと白く変わって行く様など、見飽きることがない。
こうして、よく見続けていると、
普段自分達はいかにものを見ていないかが、良く分かります。
ものは意識的に見なくては、何も見えてきません。
小林秀雄は目にも触覚があると言い、
鑑賞とは美しさを我が物とする行為であると言っています。
また鑑賞とは、消極的で受動的な態度ではなく
既成概念から離れ、己を虚しくしたところから積極的に対象に入り込んで行く
強い心で臨まなくては、何も見えてきません。
そういう姿勢を芭蕉は「風雅」と言っていますが、
それは今様の審美家達がああでもないこうでもないと言っている
ものではなく、また定家などの新古今の編者達が幽玄などとも言っている
ものでもないというようなことを述べています。
外堀沿いや内堀のソメイヨシノはもう少しです。
毎日同じアングルです。まだここ位しか咲いていませんが、
時間や天候により微妙な花の色の変化、蕾が膨らんでピンクになり、
開くと白く変わって行く様など、見飽きることがない。
こうして、よく見続けていると、
普段自分達はいかにものを見ていないかが、良く分かります。
ものは意識的に見なくては、何も見えてきません。
小林秀雄は目にも触覚があると言い、
鑑賞とは美しさを我が物とする行為であると言っています。
また鑑賞とは、消極的で受動的な態度ではなく
既成概念から離れ、己を虚しくしたところから積極的に対象に入り込んで行く
強い心で臨まなくては、何も見えてきません。
そういう姿勢を芭蕉は「風雅」と言っていますが、
それは今様の審美家達がああでもないこうでもないと言っている
ものではなく、また定家などの新古今の編者達が幽玄などとも言っている
ものでもないというようなことを述べています。
外堀沿いや内堀のソメイヨシノはもう少しです。