感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

砥石城か戸石城か

2008年06月19日 | 雑記
上田市伊勢山は砥石城への登り口にあるこの陽秦寺から南に下りながら街道の左右に家が立ち並ぶ門前町の体をなしていますが、起源は、おそらく眞田幸隆の前の海野氏支配の時代から砥石城の城下町として栄えたところです。中山太郎という民俗学者の著作の巫女研究の叙述の中に、江戸時代後半から明治初期にかけて信濃歩き巫女の分布として禰津の巫女集落以外にこの伊勢山にも何人かの巫女集団があったとあります。以前「巫女の系譜1」を書いて、続きがまだまだあるのですが、どうしても近隣の話となり今そこに生活をしている人々がいますので、あまり突っ込んだ話はできずらいものがあります。いずれにせよ来年の大河ドラマでは話題になりますので、それまでにはもう少し調べて書き足す予定です。
さて、この伊勢山にいた巫女の起源は、眞田一族の女忍者の末裔であると考えるのが通常の見方でまたそこにロマンを感じさせますが、代々この地に住む知り合いに聞くと「わしは巫女がいたことなど聞いたことがない(アルバイトで今巫女をしている人はいるけど)」と言っていますので、もう少し聞き取り調査の必要もあります。ただ中山太郎の記録にありますので、住んでいたことは確実で、維新後の巫女禁止令とともに廃業し、他所へ出て行ったので、いつしか地元の人々の話題にも載らなくなったのでしょう。

砥石城については、戸石と書く場合もありどちらも正しいとされていますが、この古刹(陽泰寺)にはっきりと砥石と書いてありますので歴史的にはこの字の方が有力で、また実際に砥石城には砥石の原石が露頭していますので、戸石という表記を使うのは疑問に思うようになりました。

米山城の思い出
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上田市伊勢山  陽泰寺

2008年06月19日 | 雑記
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夕暮れ

2008年06月19日 | My Garden
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