第六天魔王に願い生まれた、才色兼美の美女紅葉は、琴を都で教えていましたが、源経基の御台所に召され侍女となりました。やがて紅葉は経基の子供を身もごりますが、邪法を使い、御台所を殺そうとしますが、比叡山の大行満律師の法力により、企てが露見し、紅葉は捕らえられ、信濃の戸隠に流されました。「御台所の嫉妬で流された」とうそをついた紅葉を根上がりの里の村人は哀れみ、内裏屋敷を建て住まわせました。この麗人は村人に病があると、加持祈祷により病気を治癒させました。紅葉はこの里に東京、西京、一条二条など、都にちなんだ地名を付けましたが、子供が生まれると、やはり経基に会わせたく思い、村人には、「経基の迎えのものが来た」といい村を離れ、戸隠山中に住む山賊一味を見方に付け、村々を襲わせ軍資金を集め、京に向かう準備をしました。このことが冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂に追討を命じ、維茂は山賊を打ち破りますが、戸隠の岩屋にいる紅葉は、妖術を使い、維茂の軍を道に迷わせます。妖術を破るには、神仏の力によるしかないと考えた維茂は、上田の別所にある北向観音で宝剣を授かり、紅葉を成敗します。紅葉三十三才でした。維茂は水無瀬の一堂を建て「釜岩紅葉大禅尼」の法名をおくり、弔いました。
これが鬼女紅葉の伝説ですが、おそらく事実は全く別のものだったと思われます。紅葉は濡れ衣を着せられて、無念の最後だったのではないか。そんな事を紅葉のお墓がある鬼無里村(現在は長野市)のお寺からの帰り道、吹雪の裾花渓谷を眺めながら、ふと思いました。
来月、天台宗では明治以降初めて長野県出身の半田孝淳大僧正が天台座主に就任いたします。ご出身は上田の古刹「常楽寺」で北向観音の本坊でもあります。傳燈相承式は四月二十六日、比叡山延暦寺総根本中堂にて行われます。