(旧軽井沢 雲場池 10月25日)
北杜夫さんが死去。
中学の頃、遠藤周作と北杜夫が私の友人の間でブームとなった。
私は遠藤派でしたが、A君は熱心な「どくとるマンボウ」派で、ある年、年賀状を北杜夫さんに出したことがあります。
年始になってしばらくたった頃、教室にいるとA君は小躍りしてやってきて、北杜夫さんから返事がきたとの事。
見せてもらうと、丸みのある朴訥な字体の万年筆の文字で一言添えられていました。
後年 A君は出版社に就職し現在は編集長として活躍しています。(はず)
北杜夫さんの誠実な人柄が偲ばれます。
昨日は四半世紀ぶりにゴルフをする。
ぎっくり腰が完治しないところに加え、全身筋肉痛となる‥‥
ゴルフは自然の中で行われるスポーツですが、自然を破壊して造成するのであまり好きではありません。
ところが、その際植栽されたカエデやもみじが大きく育ち、ところどころ黄色や赤色の彩りが見事で、しばらく観賞して
いたい気分でした。しかし実際のプレー中はそんなことをしている余裕はありませんので、残念な気持ちがし、
コンペが早めに終了したので、帰途、旧軽井沢にある別荘地や雲場池周辺を歩いてきました。
観賞とは、模倣が最高度に達したものであり、観賞する対象を「我が物とする」ことであると小林秀雄は述べていますが、
このような錦彩る景色にカメラを構え、自然をモノを切り取る行為も、対象を我が物とする行為であると改め認識しました。
小林秀雄が東慶寺に墓所を求めたとき、すでにいっぱいで最初は断られたとのことでしたが、
小川が流れれている際の土手の一部が開いているのを見つけ、無理を言って土手を崩し、
整地してもらったそうです。近くの円覚寺や、壮大壮麗な建長寺などの大伽藍寺院とは
比べると、非常に女性的な小さな寺院ですが、墓所が鬱蒼とした木々の間に挟まれ、
猛暑の中でも風が吹くと爽やかな空気が満ちています。
北鎌倉周辺や寺院内でもさるすべりがあちこちで咲き誇っていましたが、家の木の方が大きく
花火のごとく咲いています。よく見るとどの木も良く剪定がされてありました。うちでは
ほとんど剪定していませんので、その差で花を多く咲かせたければあまり切らずに、
幹を楽しむなら大きくばっさり切るようです。
北鎌倉駅から建長寺まで歩いてきましたが、そこで路線バスに乗り、鎌倉駅まで向かいました。
2010年5月4日に訪れた時の記事
2007年8月に訪れた時の記事
小川が流れれている際の土手の一部が開いているのを見つけ、無理を言って土手を崩し、
整地してもらったそうです。近くの円覚寺や、壮大壮麗な建長寺などの大伽藍寺院とは
比べると、非常に女性的な小さな寺院ですが、墓所が鬱蒼とした木々の間に挟まれ、
猛暑の中でも風が吹くと爽やかな空気が満ちています。
北鎌倉周辺や寺院内でもさるすべりがあちこちで咲き誇っていましたが、家の木の方が大きく
花火のごとく咲いています。よく見るとどの木も良く剪定がされてありました。うちでは
ほとんど剪定していませんので、その差で花を多く咲かせたければあまり切らずに、
幹を楽しむなら大きくばっさり切るようです。
北鎌倉駅から建長寺まで歩いてきましたが、そこで路線バスに乗り、鎌倉駅まで向かいました。
2010年5月4日に訪れた時の記事
2007年8月に訪れた時の記事
(御射鹿池)
小林秀雄と岡潔の対談が行われた昭和40年ですが、戦後まもなく世界の美術界は抽象画に代表される(音楽も同じ)
人間の負の主張をモチーフにした個人主義が席巻していましたが、岡はそのことに警鐘をならしています。
個人主義とは何か。小林は自由主義の最たる社会組織であるアメリカにはすでに全体的には個人の独自性はないと看破していますが、一歩進んで、岡はピカソをはっきりと好きではないと言い、長時間鑑賞するに耐えない作品と述べています。
人間の暗い欲望をモチーフにした作品は見るに耐えないと言っているのです。
美しいものを美しいと感じ、悲しい事を悲しいと感じることが健全な精神であるということが忘れられた社会が現代の病であると言っているのです。
小林秀雄と岡潔の対談が行われた昭和40年ですが、戦後まもなく世界の美術界は抽象画に代表される(音楽も同じ)
人間の負の主張をモチーフにした個人主義が席巻していましたが、岡はそのことに警鐘をならしています。
個人主義とは何か。小林は自由主義の最たる社会組織であるアメリカにはすでに全体的には個人の独自性はないと看破していますが、一歩進んで、岡はピカソをはっきりと好きではないと言い、長時間鑑賞するに耐えない作品と述べています。
人間の暗い欲望をモチーフにした作品は見るに耐えないと言っているのです。
美しいものを美しいと感じ、悲しい事を悲しいと感じることが健全な精神であるということが忘れられた社会が現代の病であると言っているのです。
(写真は御射鹿池です 3週連続)
読む本がないので書店をぶらついていると、文庫本コーナーの新刊の棚に新潮文庫で「人間の建設」(小林秀雄・岡潔の対談)が目立つところに置かれていた。
既読であり小林秀雄全集に掲載されているので持っているのだが、文庫版はどこでも持ち歩きできるので購入し再再読。
小林秀雄の対談相手は多岐にわたるが、以前はもっぱら小林の言葉のみ注意して読んでいた。
岡潔の名はかつて学校で教わった、日本人数学者として唯一世界的な実績を残した方であるという知識位しかなかったが、今回詳細に読んでみると岡潔の言葉も大変面白く、なおかつ本質を捉える普遍的要素が感じられ、非常に感動したのでご紹介したいと思います。
この対談は昭和40年10月に「新潮」掲載されたものであるが、今読んでみても古さは全く感じられない。
本対談の中で岡は「世界の知力は低下してきている」と三度(多分)話している。享楽的な文化に対して警鐘を鳴らしています。
Pax Romana とは政治的安定を指す言葉ですが、それは権謀術数に人類の注意や能力を注ぎ込んだ反作用として、本来の美や誠意とは懸け離れた退廃的文明をもたらした政治的安定を指す言葉です。
岡は現在の世界はローマ帝国時代に似てきているということを話しています。近代の西洋文明の源流はすべてギリシャ時代に出来たものであるのだが、例えばミロのビーナスは有る程度理解できるが、その奥にあるもは全く理解できないと言いながらも、ギリシャの高い精神性と美意識を持った健全な文化からローマ時代に移り2000年もの長きわたり人々は退廃して行った実例を「知力は低下してきている」と述べているのです。
現代は第二のローマ帝国であるとも言えると思います。
読む本がないので書店をぶらついていると、文庫本コーナーの新刊の棚に新潮文庫で「人間の建設」(小林秀雄・岡潔の対談)が目立つところに置かれていた。
既読であり小林秀雄全集に掲載されているので持っているのだが、文庫版はどこでも持ち歩きできるので購入し再再読。
小林秀雄の対談相手は多岐にわたるが、以前はもっぱら小林の言葉のみ注意して読んでいた。
岡潔の名はかつて学校で教わった、日本人数学者として唯一世界的な実績を残した方であるという知識位しかなかったが、今回詳細に読んでみると岡潔の言葉も大変面白く、なおかつ本質を捉える普遍的要素が感じられ、非常に感動したのでご紹介したいと思います。
この対談は昭和40年10月に「新潮」掲載されたものであるが、今読んでみても古さは全く感じられない。
本対談の中で岡は「世界の知力は低下してきている」と三度(多分)話している。享楽的な文化に対して警鐘を鳴らしています。
Pax Romana とは政治的安定を指す言葉ですが、それは権謀術数に人類の注意や能力を注ぎ込んだ反作用として、本来の美や誠意とは懸け離れた退廃的文明をもたらした政治的安定を指す言葉です。
岡は現在の世界はローマ帝国時代に似てきているということを話しています。近代の西洋文明の源流はすべてギリシャ時代に出来たものであるのだが、例えばミロのビーナスは有る程度理解できるが、その奥にあるもは全く理解できないと言いながらも、ギリシャの高い精神性と美意識を持った健全な文化からローマ時代に移り2000年もの長きわたり人々は退廃して行った実例を「知力は低下してきている」と述べているのです。
現代は第二のローマ帝国であるとも言えると思います。
「~前略~ここから先は修験の山で女人禁制になっているため、私は遠慮して帰って来たが、こういう規則はいつまでも守って貰いたいと思う。男女同権を主張する人は反対するだろうが、女を入れたらろくなことはないと、女の私がいうのだから確かである。~後略」
これは白洲正子の「西行」の一節で、読後なるほどと思った。
先日NHK教育テレビで白洲正子の特集を放送していたが、福井県で奈良の二月堂へ水を送る神事がありその取材した際、
やはり女人禁制であったのだが、関係者の配慮で中に入ったという場面があった。
それを見ていた家の者はやはり昔から女性は低く見られていたということを言っていたのだが、どうもそういうことではなさそうな気がした。
そもそも男尊女卑という考え方は明治時代以降の一部の者の考えであり、確かに権力者の多くが男性に違いはないのだが、
江戸時代から明治、大正、昭和初期までの庶民の一般家庭では「かかあ殿下」があたりまえ。なにより怖い山の神とは「奥さん」の別称である。
元来男女平等というのはあたりまえで、そもそも男性女性どちらが上でどちらが下かということは本来ありえない話である。
男女の差は性としての区別のみ存在する。
女人禁制というのは、男性が上の立場だから低い地位の女性は入ってはいけないものと思われがちだが、実は白洲正子の指摘の通りの意味だったのかもしれない。そんな気がする。
諸般により忙しく全く更新していませんでしたが、東日本大震災で亡くなられた方々、被災された皆様には心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
さくらの季節になりましたので、また写真を載せて行きたいと思います。
これは白洲正子の「西行」の一節で、読後なるほどと思った。
先日NHK教育テレビで白洲正子の特集を放送していたが、福井県で奈良の二月堂へ水を送る神事がありその取材した際、
やはり女人禁制であったのだが、関係者の配慮で中に入ったという場面があった。
それを見ていた家の者はやはり昔から女性は低く見られていたということを言っていたのだが、どうもそういうことではなさそうな気がした。
そもそも男尊女卑という考え方は明治時代以降の一部の者の考えであり、確かに権力者の多くが男性に違いはないのだが、
江戸時代から明治、大正、昭和初期までの庶民の一般家庭では「かかあ殿下」があたりまえ。なにより怖い山の神とは「奥さん」の別称である。
元来男女平等というのはあたりまえで、そもそも男性女性どちらが上でどちらが下かということは本来ありえない話である。
男女の差は性としての区別のみ存在する。
女人禁制というのは、男性が上の立場だから低い地位の女性は入ってはいけないものと思われがちだが、実は白洲正子の指摘の通りの意味だったのかもしれない。そんな気がする。
諸般により忙しく全く更新していませんでしたが、東日本大震災で亡くなられた方々、被災された皆様には心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
さくらの季節になりましたので、また写真を載せて行きたいと思います。
だいぶさぼってしまいましたが、7月、8月は近所の「信濃国分寺」のハスの花が綺麗でしたので、その写真ばかり撮っていました。
もともと平泉の中尊寺の藤原泰衡の首桶に入っていたハスの種が起源で、縁あって上田までやってきたハスです。
ハスの花は午後閉じると書いてありますが、本当かどうか確かめに夕方行ってみましたが、そこそこ咲いていました。
ハスの花は開いてから散るまで4日間、開いては閉じを繰り返しています。
7月中旬に同寺で毎年蓮フェスタというイベントが行われていますが、
今年は、そこで「紅小蓮」苗を購入し、大きめの睡蓮鉢に植え家でも育てています。
下のカエルが写っている写真が家で育てたものですが、ダブルでした。
一苗では寂しいので、もう一苗はホームセンターで「碗蓮」を買い一緒に植え込みましたが、
蓮の成長は早く蕾が見え初めてから短期間で花首が上がってきます。
こちらはシングルでした。2苗で6個の蕾が上がってきましたので、張り合いがいいですね。
小蓮でないと巨大になるので、家庭では手に負えなくなると思いますが、
落ちていた実を拾って、少し削り水を入れたコップに入れておいたところ、数日で芽が上がってきています。
8月に入ってまもない頃、朝の6時前に国分寺に行って、ぼんやりと写真を撮っていると、
偶然、高校時代の恩師と行き会いました。
先生のご自宅はここから2Km離れたところにあるそうですが、ハスが綺麗なので、マラソンの途中で、ハスを見てお参りをし、再び返って行くというコースをとっているそうです。
「まあ、一里だな‥」とおっしゃていました。
先生の授業は大変面白く、今でも教えていただいた内容も一部ですが良く憶えています。
お年は70歳くらいになられるかと思いますが、現役の頃と変わらずお元気でした。
さて、その先生が言うのには、この場所に立って眺めていると、「バサバサッ」っと音がして花がパッと開く瞬間を見ることがあるそうです。
自分もほぼ毎日通っていたのですが、そういう経験はなかったので「部分部分だけ見ていても気が付かないんですね」と自分の解釈を話しました。
その後、しばらくの間、その開く瞬間を見ようとやはり通いつめましたが、
私には見ることができませんでした。
ただバサっと音がして葉が揺れる音は何度か聞こえました。
カエルが葉から落ちて立ち上がった葉が揺れた音かと思いましたが、
もしかしたらそれが開く瞬間だったのかもしれません。
ネットで検索してみると、ハスが開くときポンと音がするというのは、迷信であると
書いてあるページがありましたが、また来年、確かめようと思います。
もともと平泉の中尊寺の藤原泰衡の首桶に入っていたハスの種が起源で、縁あって上田までやってきたハスです。
ハスの花は午後閉じると書いてありますが、本当かどうか確かめに夕方行ってみましたが、そこそこ咲いていました。
ハスの花は開いてから散るまで4日間、開いては閉じを繰り返しています。
7月中旬に同寺で毎年蓮フェスタというイベントが行われていますが、
今年は、そこで「紅小蓮」苗を購入し、大きめの睡蓮鉢に植え家でも育てています。
下のカエルが写っている写真が家で育てたものですが、ダブルでした。
一苗では寂しいので、もう一苗はホームセンターで「碗蓮」を買い一緒に植え込みましたが、
蓮の成長は早く蕾が見え初めてから短期間で花首が上がってきます。
こちらはシングルでした。2苗で6個の蕾が上がってきましたので、張り合いがいいですね。
小蓮でないと巨大になるので、家庭では手に負えなくなると思いますが、
落ちていた実を拾って、少し削り水を入れたコップに入れておいたところ、数日で芽が上がってきています。
8月に入ってまもない頃、朝の6時前に国分寺に行って、ぼんやりと写真を撮っていると、
偶然、高校時代の恩師と行き会いました。
先生のご自宅はここから2Km離れたところにあるそうですが、ハスが綺麗なので、マラソンの途中で、ハスを見てお参りをし、再び返って行くというコースをとっているそうです。
「まあ、一里だな‥」とおっしゃていました。
先生の授業は大変面白く、今でも教えていただいた内容も一部ですが良く憶えています。
お年は70歳くらいになられるかと思いますが、現役の頃と変わらずお元気でした。
さて、その先生が言うのには、この場所に立って眺めていると、「バサバサッ」っと音がして花がパッと開く瞬間を見ることがあるそうです。
自分もほぼ毎日通っていたのですが、そういう経験はなかったので「部分部分だけ見ていても気が付かないんですね」と自分の解釈を話しました。
その後、しばらくの間、その開く瞬間を見ようとやはり通いつめましたが、
私には見ることができませんでした。
ただバサっと音がして葉が揺れる音は何度か聞こえました。
カエルが葉から落ちて立ち上がった葉が揺れた音かと思いましたが、
もしかしたらそれが開く瞬間だったのかもしれません。
ネットで検索してみると、ハスが開くときポンと音がするというのは、迷信であると
書いてあるページがありましたが、また来年、確かめようと思います。