ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

一年を10日で暮らすいい男

2015年01月11日 19時23分05秒 | 釣夜話
今日から初場所が始まる、表題の句は大相撲隆盛を極めた項のことで、遡ること76年1月15日双葉山の69連連勝止まりになった正月だった、私が6才の出来事でメデアはラジオで日本中が騒然なった、今年の正月は横綱大鵬の記録が破られる歴史的な瞬間に立ち会うか白鵬も大横綱候補には間違いない。

親父の店は現代の店舗とは違っていた室蘭時代は店に入ると土間があり、その先は畳が引いあつた壁側には継竿が立て掛けてあり、棚にはテグスやリール等の小物が並べてあり昔からの店舗その物だつた、土間を奥は台所につながつていた、店の正面から居間に上がり込むと部屋の真ん中に囲炉裏が掘つて帳場の机があり大きなそろばんが置いてあつた、顧客は地方の人達で、時々宿屋代わりもしていた。
夜は決まって酒宴になっていたこと思い出す、北海道の磯釣りの竿は竹竿で15尺4本継ぎに竿先に鯨のヒゲを使い当たりを柔する工夫を、継ぎては糸を巻き漆塗り、昔は本物を作っていたので生乾きの竿に触って漆かぶれで毎年の様に被害を受けていた、私が此処に居た。
竹竿の産地は川口で竿作りの職人は此処に居た、親父の代役で訪ねたことがあるが大歓待を受けた記憶が有るが、商談の内容は殆ど覚えていなかったが遠藤商店とは深い繋がりがあつた、戦後食糧難時代馬鈴薯など送っていたが何と言っても大ヒット事件はスルメを送った事で、遠藤商店も売るものがなかったので親父は毎日魚釣りに隣町の鯨半島の漁師から磯舟を買い保管してもらっていた、一度乗せてもらつたことが有るが直ぐ船酔で漁師には成れないと思つた。
大当たりは烏賊で毎晩の様にイカの大漁が続き、翌朝家族全員でイタンキ浜迄イカ運びの日が続いたことを鮮明に覚えていた。
お袋の苦労は大変なものだった、イカを開き縄に並べる家の周りはイカ簾に、数日干し上げ束ねそれを川口竿作り作りの所へおくつた、戦後遠藤商店がスタート出来たのは竿作り作り職人たちが食糧のお返しと川口がら竹竿が送られて来た、戦後の物のない時代、釣具卸商・遠藤商店が一気に隆盛期に入っていつた。続く







沢山の願いの束に我も入る

2015年01月10日 20時53分56秒 | 釣夜話
年明けの初釣は日本海側に場所を移す、近い所では余市、岩内のカレイ釣りから始まる狙いはマガレイの型のいいやっでカレーに混じって廻りほっけに巡り合わせで箱釣になることもある、釣名人は季節のほかに場所とポイントと天候、潮見が大事と様々な角度から 検討していた、情報量は新聞の天気図だけ我が家の大黒柱に架かって気圧計が一番の決め手となっていた。
現在は車社会で誰でも車は持っている、この頃は国鉄時代で店の顧客メンバーには大勢の国鉄マンがいたが、キツプを買い鉄道路線が釣り場であつた。
磯釣り大会など開くと海岸線が続く駅から数駅を決め、釣り自慢の太公望が自分で決めてあるポイントに来ると三々五々列車を降りていた、場所取りは自由で先に入った者の勝ち、魚の餌は生きのいいエラコが一番だが時にはホッキガイ、手に入りやす烏賊やサンマ、 'を使う、大会で上位に入ってくる魚はアブラコ、黒がしら、カジカ等で釣り大会の表彰式には独特な雰囲気があったのを覚えている。

除夜の鐘 聞き漏らしての 夜が明ける

2015年01月09日 20時30分27秒 | 釣夜話
1月もあっという間10日は過ぎる、寒風にも負けず苫小牧防波堤にカンカイ釣りが懐かしい、釣にお金をがけるくらいなら魚屋で買って食べた方が安いと良く云われていたが、趣味で始めたのと釣具店が我家の家業のひとっでもあったので其くらいの文句を云わても屁とも思わなかつたし、親父直伝の数々の釣のテクニック、それにシーズンと場所、それに時間迄、夜來客があり囲炉裏を囲んで酒宴が始まり釣談義が繰り広げられていた、そんな大人の話の中に聞き役になった小学生中学生項の私が居た。
中でも海より川釣りの山女釣の話しが面白く、実際家を出て何日も帰らない事もあった、それ故生では持ち帰えれず焼き干しにていた、人里を離れ入った川の上流に向かっての釣り上り方法で、全くサバイバルで持ち出すものは味噌と米だけその他は全て現地調達、スタイルは小さな菅笠を被り腰には柳魚籠、そして武器にも使える鉈、釣竿は親父が考案して作らしている9尺5本次竹竿で餌は現地でイタドリ虫や川虫で、夕方近くまで釣り上ると河原の太い流木が重なっている所をベースキャンプ にしてその流木の下で焚き火をして自炊釣った魚はそこで内臓を取り出し鉈で作った串に刺し焚き火の周りに立並べる、食器は飯盒ひとつ蓋で山菜に味噌を入れるだけ、魚は無論串刺しが焼き上っているリツクの中から貴重な酒を出し飯盒の中蓋に山女入れ酒を継ぐ、この時の酒は最高とのこと同伴した友人と今日の釣果と明日の予定、その項には飯盒の飯は炊き上がり残った。ご飯はおにぎりに、食事が終わると一夜中の薪を集め山が赤くなるほど焚く、睡魔はどっと。

羆用心の焚き火とか、我家には本格的な親父か作った囲炉裏があり上には山女が多ったが様々な魚が藁で編まれ吊下げてあった。