「エースをねらえ!」だったかに出ていた「地獄」と「天国」の描写。
天国と地獄のどちらにも、ご馳走が盛られた円テーブルの周りに1メートル以上もある長い箸を持った人間達がいるそうです。ただ、地獄にいる人たちがその長い箸でテーブルの上の食べ物をはさんで必死に自分の口に入れようとあがいて飢えていくのに対し、天国ではそれぞれの人がその長い箸でテーブルの向こう側にいる人に 「はい、どうぞ」 と食べさせ合っているのです。
最近、夫婦や家庭というものについていろいろと考えることが多い私。ぼんやりとこの話を夫婦に当てはめて考えてました。
テーブルの周りで相対するのが夫婦とすると、テーブルの上の 「ご馳走」 は相手に対する 「思いやり」 や 「愛情」 なのかも。もっと具体的に、子供のいる家族では 「自分の時間」 なのかもしれません。
カップルのどちらかが自分一人のプライベートな時間を過ごしたがる時、もう一人は子供を見ていないといけません。プライベートな時間が両者の間で公平に取られていればいいのですが、どちらかが一方的に自分の趣味ややりたい事ばかりに走ってしまうと、もう片方にはだんだん不満がたまり最後には 「自分の時間」 の取り合いになってしまいます。
「はい、どうぞ」、「ありがとう。じゃあ、お礼にあなたもはい、どうぞ」・・っていうのがカップルの間の 「天国」 なんでしょうね。
世の中、「天国のカップル」 と 「地獄のカップル」 とどちらが多いんでしょう。
天国と地獄のどちらにも、ご馳走が盛られた円テーブルの周りに1メートル以上もある長い箸を持った人間達がいるそうです。ただ、地獄にいる人たちがその長い箸でテーブルの上の食べ物をはさんで必死に自分の口に入れようとあがいて飢えていくのに対し、天国ではそれぞれの人がその長い箸でテーブルの向こう側にいる人に 「はい、どうぞ」 と食べさせ合っているのです。
最近、夫婦や家庭というものについていろいろと考えることが多い私。ぼんやりとこの話を夫婦に当てはめて考えてました。
テーブルの周りで相対するのが夫婦とすると、テーブルの上の 「ご馳走」 は相手に対する 「思いやり」 や 「愛情」 なのかも。もっと具体的に、子供のいる家族では 「自分の時間」 なのかもしれません。
カップルのどちらかが自分一人のプライベートな時間を過ごしたがる時、もう一人は子供を見ていないといけません。プライベートな時間が両者の間で公平に取られていればいいのですが、どちらかが一方的に自分の趣味ややりたい事ばかりに走ってしまうと、もう片方にはだんだん不満がたまり最後には 「自分の時間」 の取り合いになってしまいます。
「はい、どうぞ」、「ありがとう。じゃあ、お礼にあなたもはい、どうぞ」・・っていうのがカップルの間の 「天国」 なんでしょうね。
世の中、「天国のカップル」 と 「地獄のカップル」 とどちらが多いんでしょう。