四万十凸凹隊 ごぞまる絵日記

四万十川水系を中心に沈下橋を見て回りました

黒田郡(くろだごおり)伝承に迫る

2014年01月05日 | 

1月3日高知新聞朝刊 「本県沖 海底遺構調査へ」

志和の沖
684年の白凰年間に大地震(南海地震)がありました。
東海・東南海・南海連動型地震だったと言われます。

沖合にあった黒田郡(くろだごおり)って広大な地域(約12平方km)が、沈んだと言われています。
黒田郡は、須崎市野見から四万十町興津沖まで続く大きなものでした。
戸島千件、野見千件などといい、黒田郡にあった千件近い大集落が、一瞬にして沈んでしまいました。
黒田郡の陥没の音は、遠く京都まで聞こえたといいます。
道後温泉では、一時期温泉が出なくなったといいます。
以来伝承として語り継がれた黒田郡ですが、今回本格的な調査が、高知大と海洋機構の合同グループで行われます。
また、四万十町志和の諏訪神社は、黒田郡に鎮座していた諏訪大明神のご神体が、志和の浜に漂着したので海辺の丘陵港山に奉祀したのが始まりと言われています。
その祭日に奉納される踊り古い調べの舞楽「志和おんや踊り」は、もともと黒田郡で踊られていたものであるといいます。
大祭は、陰暦8月18日で志和礁神社祭と同日であるそうです。
志和礁神社とは、志和沖約4kmにある暗礁に鎮座する神社です。
志和礁(しわし)は、沈んだ黒田郡の山頂だそうです
黒田郡と共に沈んだ5神社を祭っていると言われ、大祭の日志和の浜辺に五色の旗を立て、沈んだ黒田郡の総霊を祭ります。
昔は、おんや踊りは、志和礁の上で踊られたといいます。

下に地図を乗っけましたんで見てください

500年~1000年に一度昭和の南海地震をはるかにしのぐ巨大地震に見舞われるそうです。
・・・(;一_一)
そんなことがあった海でありますが、
海面下では着々と第二の黒田郡となる準備がされているかもしれません??

【参考文献】
窪川町史
志和物語 諏訪将人著


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