【屋内退避区域のDASH村 スタッフも動物もすでに避難】 NEWSポストセブン 4/1 07:00
TOKIOが出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナーの「DASH村」に、存続の危機が迫っている。
DASH村は福島第一原発の事故を受け、退避指示が出ている20km圏内ではないものの、屋内退避区域の30km圏内にあるのだ。開村以来、農業指導してくれていたおじいちゃんや動物たちはいったいどうしているのか。本誌は様子を取材するため、許可を得て、村へと向かった。
DASH村のある福島県浪江町にはいると、のどかな山あいの集落が続くのだが、人の姿はもちろん、車もまったく見かけることはない。家にはカーテンがかかっていたり、室内には洗濯物が見えたりと、生活の痕跡はあるものの、人のにおいがまったくしない、まるでゴーストタウンのよう。
ようやくDASH村の前に到着したが、門は固く閉ざされ、「立ち入り禁止」の貼り紙がされている。外から中の様子をうかがうことはできないが、人や動物の気配はまったくなかった。番組でメンバーに大工仕事を教えた島崎英雄棟梁に話を聞いた。
「スタッフともしばらくして連絡が取れたけど、みんな無事に避難したということだけ聞いてます。そのときに動物も怪我なく無事だと聞きましたが、その後、村から避難させたのか、いま動物がどこにいるのかは聞いてないのでわかりません」
※女性セブン2011年4月14日号
【SMAP、プライベートで4億円超寄付】 [デイリースポーツ]
人気グループ・SMAPのメンバー5人が、個人的に4億円以上を日本赤十字社に寄付していたことが27日、本紙の取材で分かった。SMAPとして寄付したものではなく、5人が震災直後からプライベートで別々に寄付したもの。これとは別に、21日に生放送された「SMAP×SMAP」の出演料を全員が全額赤十字に寄付し、草なぎが27日放送のFNS音楽特別番組の出演料を寄付していることが明らかになっており、SMAPは物心両面で被災地の人々を全力サポートしている。
SMAPが「国民的グループ」と呼ばれるにふさわしい心温まる行動をしていた。
メンバーは東日本大震災直後から「一人の人間としてできることをしたい。お役に立てていただければ」とそれぞれ個人的に日本赤十字社に義援金を寄付。SMAPとして話し合っての寄付ではなく、自発的にプライベートで送ったため金額はそれぞれ違うが、5人の総額で4億円を超えているという。
SMAPは震災に心を痛めており、21日放送のフジテレビ系「SMAP×SMAP」を生放送にして「今僕たちに何ができるだろう」をテーマに、日本全体の結束と募金を呼びかけた。ほかにも、4月2日放送のテレビ朝日系「SMAPがんばりますっ!!」でも震災についてのコーナーを予定するなど、震災の復興支援に積極的に取り組んでいる。
「日本の力を、信じてる」をテーマにした新しいACの広告では「あなたはどんなときでも一人じゃない。僕らがみんなついています」「互いに譲り合い、助け合いながら強く未来を信じて、今一つになるとき」と被災者を励ましている。また、5人は今後ジャニーズ事務所が立ち上げる支援プロジェクトへの参加も宣言している。
メンバーは「自分にできることをしただけ」とこれまで義援金を送ったことは一切明かしておらず、所属のジャニーズ事務所でも「寄付をさせて頂いたことは事実ですが、気持ちですので、公表は控えさせて頂きます」と寄付は認めているが、金額などは公表していない。
【一人で被災地を訪問したKAT-TUN・田中聖「被災者の方に『来てくれたことが何よりうれしかった』と言われて…」】
ジャニーズのタレントが総結集し1日、東京・代々木第一体育館前で東日本大震災の被災者への
募金活動を行った。宮城県の避難所を訪れ、支援物資を届けたKAT‐TUNの田中聖(25)を
はじめ、被災地に知人、家族がいるメンバーもいる。またジャニーズの中には、子どものころ、
1995年1月の阪神・淡路大震災を体験したメンバーもいる。彼らは「今度は僕らがお返しを
する番」と強い決意を口にした。
3月27日に宮城県の避難所を訪れ、救援物資を配るなどしたKAT‐TUNの田中聖(25)は
「被災地はがれきですごかった」と被災地の現状を明かすとともに、エールを送った。
田中は06年に「24時間テレビ」で知り合った難病の少年・武田捷冶(しょうや)くん=宮城県
松島町=を心配し、26日に車に物資を詰め込み、1人で東京を出発。現地まで「5~6時間
かかった」という。捷冶くん一家の無事を確認し、27日に捷冶くんらと多賀城市の避難所を
訪れ、東京から持ち込んだ米や水、缶詰、レトルトカレーを被災者に配った。
「現地はとにかくがれきが山のようになっていてすごい状態でした。言葉がありません。
でも被災者の方に『来てくれたことが何よりうれしかった』と言われて…。それが自分も
本当にうれしかった」と振り返り「たくさんの方が集まれば大きな力になる。こんな時だから
笑顔を忘れずやっていきたい」と誓っていた。
ソースはhttp://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/04/02/0003914370.shtml
TOKIOが出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナーの「DASH村」に、存続の危機が迫っている。
DASH村は福島第一原発の事故を受け、退避指示が出ている20km圏内ではないものの、屋内退避区域の30km圏内にあるのだ。開村以来、農業指導してくれていたおじいちゃんや動物たちはいったいどうしているのか。本誌は様子を取材するため、許可を得て、村へと向かった。
DASH村のある福島県浪江町にはいると、のどかな山あいの集落が続くのだが、人の姿はもちろん、車もまったく見かけることはない。家にはカーテンがかかっていたり、室内には洗濯物が見えたりと、生活の痕跡はあるものの、人のにおいがまったくしない、まるでゴーストタウンのよう。
ようやくDASH村の前に到着したが、門は固く閉ざされ、「立ち入り禁止」の貼り紙がされている。外から中の様子をうかがうことはできないが、人や動物の気配はまったくなかった。番組でメンバーに大工仕事を教えた島崎英雄棟梁に話を聞いた。
「スタッフともしばらくして連絡が取れたけど、みんな無事に避難したということだけ聞いてます。そのときに動物も怪我なく無事だと聞きましたが、その後、村から避難させたのか、いま動物がどこにいるのかは聞いてないのでわかりません」
※女性セブン2011年4月14日号
【SMAP、プライベートで4億円超寄付】 [デイリースポーツ]
人気グループ・SMAPのメンバー5人が、個人的に4億円以上を日本赤十字社に寄付していたことが27日、本紙の取材で分かった。SMAPとして寄付したものではなく、5人が震災直後からプライベートで別々に寄付したもの。これとは別に、21日に生放送された「SMAP×SMAP」の出演料を全員が全額赤十字に寄付し、草なぎが27日放送のFNS音楽特別番組の出演料を寄付していることが明らかになっており、SMAPは物心両面で被災地の人々を全力サポートしている。
SMAPが「国民的グループ」と呼ばれるにふさわしい心温まる行動をしていた。
メンバーは東日本大震災直後から「一人の人間としてできることをしたい。お役に立てていただければ」とそれぞれ個人的に日本赤十字社に義援金を寄付。SMAPとして話し合っての寄付ではなく、自発的にプライベートで送ったため金額はそれぞれ違うが、5人の総額で4億円を超えているという。
SMAPは震災に心を痛めており、21日放送のフジテレビ系「SMAP×SMAP」を生放送にして「今僕たちに何ができるだろう」をテーマに、日本全体の結束と募金を呼びかけた。ほかにも、4月2日放送のテレビ朝日系「SMAPがんばりますっ!!」でも震災についてのコーナーを予定するなど、震災の復興支援に積極的に取り組んでいる。
「日本の力を、信じてる」をテーマにした新しいACの広告では「あなたはどんなときでも一人じゃない。僕らがみんなついています」「互いに譲り合い、助け合いながら強く未来を信じて、今一つになるとき」と被災者を励ましている。また、5人は今後ジャニーズ事務所が立ち上げる支援プロジェクトへの参加も宣言している。
メンバーは「自分にできることをしただけ」とこれまで義援金を送ったことは一切明かしておらず、所属のジャニーズ事務所でも「寄付をさせて頂いたことは事実ですが、気持ちですので、公表は控えさせて頂きます」と寄付は認めているが、金額などは公表していない。
【一人で被災地を訪問したKAT-TUN・田中聖「被災者の方に『来てくれたことが何よりうれしかった』と言われて…」】
ジャニーズのタレントが総結集し1日、東京・代々木第一体育館前で東日本大震災の被災者への
募金活動を行った。宮城県の避難所を訪れ、支援物資を届けたKAT‐TUNの田中聖(25)を
はじめ、被災地に知人、家族がいるメンバーもいる。またジャニーズの中には、子どものころ、
1995年1月の阪神・淡路大震災を体験したメンバーもいる。彼らは「今度は僕らがお返しを
する番」と強い決意を口にした。
3月27日に宮城県の避難所を訪れ、救援物資を配るなどしたKAT‐TUNの田中聖(25)は
「被災地はがれきですごかった」と被災地の現状を明かすとともに、エールを送った。
田中は06年に「24時間テレビ」で知り合った難病の少年・武田捷冶(しょうや)くん=宮城県
松島町=を心配し、26日に車に物資を詰め込み、1人で東京を出発。現地まで「5~6時間
かかった」という。捷冶くん一家の無事を確認し、27日に捷冶くんらと多賀城市の避難所を
訪れ、東京から持ち込んだ米や水、缶詰、レトルトカレーを被災者に配った。
「現地はとにかくがれきが山のようになっていてすごい状態でした。言葉がありません。
でも被災者の方に『来てくれたことが何よりうれしかった』と言われて…。それが自分も
本当にうれしかった」と振り返り「たくさんの方が集まれば大きな力になる。こんな時だから
笑顔を忘れずやっていきたい」と誓っていた。
ソースはhttp://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/04/02/0003914370.shtml