ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の古木(20)

2024-03-26 21:31:42 | 水戸


 今回は保存樹の話です。数字のほとんどは、令和3年に行われた水戸市緑化推進会議の資料にあるものです。写真は見川で見た樹齢700年のキリシマツツジです。

 

 水戸では、樹木で、地上1.5m高の幹周りが1.2m以上、樹高が10m以上、株立ちの場合は樹高が3m以上、はん登性では枝葉の面積が30㎡以上という条件のうちどれかを満たす場合、保存樹として指定しているそうです。

 

 令和3年に保存樹は172本あったそうです。推移を見ると漸減しているようで、平成24年には222本あったようですが、平成29年には198本と200本を割り、その後も減っているようです。ウロなどで倒木の危険性があって伐採されたり、枯死したりしているのでしょう。

 

 数字の大きな樹木も資料に紹介されていました。幹周りで最大なのは7.52mのケヤキ、樹高では37mのスギ、株立ちの樹高では4.5mのキリシマツツジ、樹齢では800年のケヤキだそうです。個人情報の関係で明細が記されていないのでくわしいことは分かりません。私の見た限りでは、竃神社(本町1-1-17)にあるケヤキの幹周りは7.37m(保存樹表示板)、見川にあるキリシマツツジの樹高(株立ち)は3.8m(保存樹表示板)、六地蔵寺(六反田町767)にあるスギは樹齢1100年(表示板)で、それらが数字的に大きな樹木なのですが、どうなのでしょう。六地蔵寺のスギは、たぶん記録からは外されたのでしょう。偕楽園(常盤町1-3-3)の太郎杉の樹齢は800年とありました。写真は竃神社にあるケヤキです。

 

 年ごとの指定本数を見ると、昭和50年は10本、平成1年は3本、令和1年は2本です。平成22年から令和1年までの10年間で11本指定されているようで、今もぽつぽつと指定されているようです。主に自薦のようなので、これからもふえていくのでしょう。ぶらっと歩きをしていると、まだまだ保存樹指定の資格がありそうな樹木は見られますので。

 

 現在、ぶらっと水戸では、水戸の巨木水戸の古木を合わせて約140本ぐらいご紹介しています。まだ未紹介のものが10数本ありますので、私の見た古木は150本程のようで、全体の9割近いようです。これからもあきずに探してみます。

 

 山のない水戸では、多くの古木が寺社や民家で育っているようです。それには、守り育てている人たちの役割が大きいと思われます。これからも維持する人たちの努力が続いていってくれますよう心から願っています。

水戸の古木(19)

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水戸・百樹園の樹皮(10)

2024-03-25 21:29:35 | 水戸

サクラ(バラ科)
 横長の縞模様の皮目で、暗褐灰色だそうです。桜の樹皮は樺細工(桜皮細工)という伝統的な木工工芸品に使われるそうです。また、樹皮は生薬として、解毒、解熱、鎮咳に使われるそうです。

 

シンジュ(ニガキ科)
 樹皮は灰褐色で皮目が多いそうです。別名ニワウルシというそうですが、ウルシの仲間ではなく、かぶれないそうです。シンジュは神樹で、英名tree of heavn(天国の木)などの和訳だそうです。

 

タラヨウ(モチノキ科)
 樹皮は灰褐色でなめらかで、若い枝は緑色だそうです。ハガキノキともいわれ、光沢のある葉の裏側に細い棒などで字を書くと、字の部分が黒くなるそうです。

 

ツバキ(ツバキ科)
 樹皮は灰白色から黄褐色で、なめらか、小さなコブ状の皮目があるそうです。幹は密で固いそうです。長命なようで、水戸市内にある報仏寺桂岸寺には150年の、那珂市東木倉の吉田神社には300年のツバキがあります。

 

トウネズミモチ(モクセイ科)
 樹皮は灰色でなめらか、皮目が点在するそうです。古くなると縦に裂けるそうです。ネズミモチの葉は葉脈が透けて見えないそうですが、トウネズミモチの葉脈は透けて見えるそうです。

水戸・百樹園の樹皮(9)

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水戸の工事(27)

2024-03-24 21:24:25 | 水戸

遊具取替(後田第1街区公園 青柳町)
 公園に設置された遊具の取替工事がよく見られます。古くなって事故がないようにという配慮なのでしょう。単なる交換でなくて、今はやりらしい複合型の遊具が設置されることが多いようです。(撮影 2/11)

 

逆川河岸改修(桜川合流点手前)
 逆川下流の河岸はもろいようで、あちこちでくずれている個所がありましたが、この工事でほぼ問題はなくなりそうです。工事は舟付橋から下流でおこなわれていました。写真は駅南中橋から撮りましたが、奥手少し右に見えるのは駅南出合橋です。(撮影 2/24)

 

信号設置(宮町1 36°22'09.4"N 140°28'46.1"Eあたり)
 今建築中の大型マンション前に信号機が設置されていました。駅南の東西に走る大通りの交通量は増えてきているようです。(撮影 3/16)

 

道路拡張(常磐町 36°22'31.6"N 140°27'24.8"Eあたり)
 偕楽園の駐車場から正門方面に行く道路で、この曲がり角部分は大型バスが通るのに大変だったのでしょう、偕楽園側を削って、道路を拡幅したようです。(撮影 3/16)

 

公衆トイレ設置(弘道館公園 36°22'36.5"N 140°28'37.4"Eあたり)
 弘道館公園にあった公衆トイレが、場所を変えて新築されているようです。北柵御門の土手(写真奥手左)近くです。大分前のことですが、一人型公衆トイレの年間維持経費が1000万円だと聞いて驚いた記憶があります。現在はどうなのでしょう。(撮影 3/24)

水戸の工事(26)

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水戸のロゴマーク(6)

2024-03-23 21:30:15 | 水戸

龍のひげ(元吉田町3267-4)
 龍の髭をデザインしたのでしょうか、中国的雰囲気を持つ、3つの渦巻きがロゴマークになっています。龍のひげは、水戸で知名度の高いラーメン店のようです。

 

麺一直(見川町2267-3)
 ここも行列のできる有名なラーメン店のようです。六角の亀甲模様の中に、「一直」の文字を入れたロゴマークのようです。

 

島村楽器(宮町1-2-4 マイムビルB1)
 音符とハープをデザインしたのでしょうか、アポロの羽根のようにも見えました。東京に本社がある楽器店のようです。

 

のぎく保育園(酒門町5038)
 酒門町を通る備前堀に向かってある保育園です。最近全面的に建て直したようです。昭和56年開業だそうですが、そういわれると、昭和の雰囲気を持ったロゴマークのような気もします。

 

ほりの菓子店(本町2-4-7)
 いかにも水戸の菓子店らしく、梅の花をロゴマークにしたようです。自家製餡(じかせいあん)の手作り菓子店だそうです。

水戸のロゴマーク(5)

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水戸の二十三夜塔(9)

2024-03-22 21:44:46 | 水戸

 今回も建立年のわかる二十三夜塔です。

 

二十三夜塔(大足町36°23'07.2"N 140°21'48.6"Eあたり)
 寛政4年(1792)です。かろうじて寛政まで読めますが、左方に壬子(じんし みずのえね)が読めるので、寛政4年であることがわかります。右下には、単に「村講中」と刻まれています。Y字路の角に建てられた青面金剛等4基の石造物群の中にあります。6代文公・徳川治保(はるもり)の時代のようです。この年、財政の逼迫で、初めて藩士の禄の半分が差し引かれるという半知借上がおこなわれたそうです。

 

廿三夜供養(鹿島神社 内原町496)
 上部にサクという勢至菩薩をあらわす梵語、右下に「寛政六(1794)甲寅(こういん きのえとら)天」、左下に「閏(うるう)十一月吉日」がそれぞれ刻まれています。鹿島神社境内には、外にも寛政5年(1793)と刻まれた「二十三夜供養」塔がありますが、一方か両方が道路工事などで移されてきたものなのでしょう。これも治保の時代です。

 

二十三夜尊(地蔵院 金谷町325)
 右下に「寛政九丁巳(ていし ひのとみ)年」、左下に「一月吉日」とあるようです。二十三夜塔の建立月には十一月が多いようなので、一月というのは珍しいようです。治保の時代です。8代斉脩(なりのぶ)がこの年に生まれたようです。

 

廿三夜供養(飯富町36°25'46.4"N 140°24'54.8"Eあたり)
 これはむりやりで読んだ「文政」(1818-31)の廿三夜供養塔です。Y字路の角に、庚申供養塔と共に並んでいます。その前には「飯富馬車中」と彫られた明治になって建てられた馬力神碑が建っています。文政年間は、哀公と諡(おくりな)された、8代斉脩(なりのぶ)の時代です。「夷人」の来航が目立つようになり、会沢正志斎がその危機を訴えた「新論」を書いた時代です。

 

二十三夜尊(観音堂 五平町1002)
 碑の上に日と月、右に「明治二年」、左に「己巳(きし つちのとみ)霜月(11月)二十三日」とあるようです。旧内原町では、明治になって初めて建てられた二十三夜塔碑のようです。観音堂前に並ぶ石造物群の中にありました。旧守派の市川三左衛門が処刑され、版籍奉還が行われ、徳川昭武が水戸藩知事になった年のようです。

水戸の二十三夜塔(8)

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