明治維新となり、廃仏毀釈が行われて、馬頭観音といった仏教的な表現が避けられ、新しい表示として馬力神という名称が出てきたそうです。確かに、江戸時代の馬力神碑は見あたらないようです。今回は、その馬力神を選んでみました。
香積寺(渡里町111)
門前にある馬頭観音碑群の一つです。明治5年とあり、早い時期につくられた馬力碑の一つのようです。
飯富町(飯富郵便局(飯富町1232)近く)
三叉路の交差点にあります。明治42年とあります。「飯富組合馬車中」とあり、10名の名前が刻まれています。馬車の組合が死んだ馬を弔うために建てたようです。飯富町だけで10名いたのですから、馬車の需要は大きかったのでしょう。
地蔵堂墓地(大塚町 上中妻小学校(大塚町1086-2)校庭東南約50m)
墓地に集められた石造物群の中にあります。明治44年と刻まれています。
地蔵院(内原町908)
これも明治44年に建てられたようです。碑の下部に8名に名前があります。
元内墓地(下国井町 国田幼稚園(下国井町1661-2)東南約100m)
大正11年に個人が馬の供養のために建てたようです。墓地に並べられた石造物群の中にあります。
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