ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の戦災記憶(2)

2019-04-25 19:55:04 | 水戸

彰考館の門柱(義烈館前 常磐町1-3-1)

 皇室へ大日本史を献上したことに対する下賜金をもとにして、明治42年に建設された彰考館文庫が今の義烈館あたりにあり、大日本史の史料などが保管されていたそうですが、昭和20年8月1日の水戸空襲によって、その大部分は焼失したそうです。この時残ったのが、今に残る1対の門柱だそうです。

 

戦災にあったモチノキ(光円寺裏 酒門町52)

 2発の焼夷弾の1発が破裂して、火が広がったそうですが、光円寺に宿泊していた兵隊も、住職とともに消火を手伝って、本堂への延焼をくいとめたそうです。モチノキの縦に裂けたところは、その際焼けたところだそうです。見学する時は、寺の許可を受けてください。

 

慷慨淋漓之碑台石(神応寺 元山町1-2-64)  

  碑の根元部分と、台石が残っています。幕末の戦乱で死去した、水戸藩諸生派を追悼するために明治17年に建立された石碑だそうです。題字は会津の松平容保、書は画家・松平雪江だったそうです。本堂向って左の塀脇にあります。

 

宝蔵寺戦災復興完成記念之碑(宝蔵寺 谷田町633)

 昭和54年に建てられた碑のようで、寺の全容を戦災前に戻すのに24年かかったということなのでしょう。住職や檀家の苦労はさぞかし大変だったことでしょう。山門をくぐって、左の方にあります。

 

西の谷の洞窟(西の谷公園 天王町)

 爆撃の時に、これらの洞窟は、避難場所として使われたそうです。わき水がでているので、隠れにくかったろうと思います。

水戸の戦災記憶(1)

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水戸の刀(1)

2019-04-24 19:30:11 | 水戸

燭台斬り光忠(徳川ミュージアム 見川1-1215-1)

 伊達政宗が罪を犯した家臣を燭台と共に切ったことから付けられたという名前を持つ、鎌倉時代に光忠という刀匠によって作られた刀で、政宗から水戸徳川家に贈られたそうです。関東大震災で蔵に入ったまま火にかかってしまい、そのままになっていたそうですが、最近の「刀剣乱舞」ブームによって、世に出てきたそうです。今は宮入法廣(のりひろ)によって復元された刀と並んで展示されています。

 

弘道館鹿島神社神刀(鹿島神社 三の丸1-6-4)

 徳川斉昭が弘道館鹿島神社を新設したとき、神刀を自ら作り、「大神のたけくさかしき心もて蝦夷が千島もきり開かなむ」の一首を添えて奉納したそうです。銘は葵くずしで、刃には漆が塗られ、一部刃が見えるようにしてあるそうです。市指定文化財で、今は茨城県立歴史館の保存されているそうです。斉昭は学生警鐘も作ったそうです。

 

東武館の剣術(東武館 北見町2-26)

 藩校・弘道館の剣術方教授だった小沢寅吉は、武芸の衰えるのを憂えて、明治7年に北辰一刀流と新田宮流を伝えようと東武館を創設たそうです。その後、戦災による焼失や、終戦後の武道禁止令などの苦しい時期があったそうですが、昭和28年に財団法人として認可が下りたりして、今にその流れは伝えられているそうです。時に一般にも披露されているようで、写真はだいだらぼうまつりでの刀技披露の様子です。

 

追儺式で行われる鬼神除けの神楽(水戸八幡 八幡町8-54)

 節分祭で行われる追儺式の中で、大神が邪鬼を打ち払うときに、刀を持って舞っていました。写真は水戸八幡ですが、別雷皇太神でも同様の舞が行われていました。

 

安島帯刀(あじまたてわき 酒門共有墓地 酒門町330)

 信立(のぶたつ)が名で、帯刀(たてわき)は通称だそうですが、通称の方が通用しているようです。徳川斉昭の命で家老になったそうで、その時から帯刀を名乗るようになったそうです。朝廷から与えられる正式な官職ではないものの、武士が官名を自分の通称に使うことが広く行われていたようで(百官名というそうです)、大石内蔵助(くらのすけ)良雄などもその例のようです。帯刀は皇太子の護衛官、内蔵寮(くらりょう)は宮中の御料を司った役所のことのようです。安島帯刀は、徳川慶喜擁立や、戊午の密勅(水戸の辞世句)に関わったとして、幕府に捕らえられ、安政の大獄で切腹を命じられてそれに従ったそうです。藤田東湖と共に両田といわれた、戸田蓬軒の実弟です。

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水戸の蛙股(4)

2019-04-23 20:18:54 | 水戸

 今回は具象的な彫刻が中央にほどこされた蛙股のあれこれです。

 

愛宕神社(愛宕町10-5)

 本殿側面の蛙股は、彩色された松でした。

 

中原不動尊(中原町786)

 拝殿正面の鰐口が下がっている所の奥です。この彫刻は二十四孝の一つ、楊香(ようこう)のようです。父と共に山で虎に遭遇し、「天の神よ私だけを食べて、父を助けて下さい」と願ったところ虎は退散したという話です。

 

神崎寺(かみさきじ 天王町8-17)

 神崎寺内・観音堂裏に残っている旧観音堂にある笹の葉が彫刻された蛙股です。

 

八卦堂(はっけどう 三の丸1-6)

 弘道館記碑の鞘堂(さやどう)である八卦堂の八面それぞれに、鶴が彫られた蛙股がありました。頭を上げた鶴と下げた鶴が交互に並んでいました。

 

薬王院(元吉田町682)

 本堂と薬王院の間にある四脚門にある蛙股です。回向堂側には梅が、本堂側には松がありました。

水戸の蛙股(3)

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水戸の多重石塔 (1)

2019-04-22 21:25:09 | 水戸

  五重や十三重などの石造多重塔は、目立って、存在感のある塔ですが、かなり安定は悪そうです。地震などでの倒壊が多いからなのでしょうか、あまり古いものは見あたりませんでした。

 

妙徳寺(日蓮宗 加倉井町909)  十三重石塔

 

正覚院(真言宗豊山派 開江町393)  十三重石塔

 

宝蔵寺(真言宗豊山派 谷田町633)  十三重石塔

 

東光寺(天台宗 大場町1369)  十三重石塔

 

中根寺(真言宗豊山派 加倉井町595)  五重石塔

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水戸のアートタワーが見える場所(2)

2019-04-21 19:31:52 | 水戸

 磯崎新設計による、水戸芸術館の一部であるアートタワーの展望台部分の高さは86.4mで、平日は午後6時まで、土日・祝日は午後7時まで俯瞰を楽しめるそうです。設計初めの段階では人がのぼることは想定されていなかったと聞きました。

 

ちとせ市民運動場(ちとせ2)

 那珂川河川敷の低い場所にある運動場なので、アートタワーがよく見えるようです。

 

ファミリーマート駐車場(金町2-1-10)

 近いこともありますが、ここはアートタワーを見るポイントのひとつのようでした。

 

水戸京成百貨店(泉町1-6-1)東側脇

 脇道でアートタワーが空間にはまったように見えると、楽しいものです。

 

神崎寺(かみさきじ 天王町8-17)

 水戸大観音の横にアートタワーがありました。

 

好文カフェ屋上(千波町3080)

 好文カフェの屋上は、誰でもあがって風景を楽しめる水戸の展望台です。

 

千波湖南岸

 今ちょうど見ることのできる、八重桜とアートタワーのながめです。

 

好文橋(見川町)

 好文橋は偕楽園公園を見渡せるよい場所ですが、アートタワーを見るのにもよい場所です。

 

開江町県道113号線沿い(水戸太平洋生コン㈱水戸工場(開江町1632)あたり)

 5-6kmくらい離れていますが、小さいながら見ることができました

水戸のアートタワーが見える場所(1)

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