ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の鞘堂(1)

2019-04-09 20:13:06 | 水戸

 鞘堂(さやどう)とは、建造物を風雨から守るために建てられた、覆いのための建物のことだそうです。覆堂(ふくどう、おおいどう)、覆屋(おおいや)などともいうようです。その鞘堂のあれこれです。

 

春日神社(赤尾関町661)

  写真左側の建物が、本殿の鞘堂です。本殿は明和8年(1771)に再建されたそうですが、痛みがほとんどなく、はじめから鞘堂内にあったらしいとのことです。今の鞘堂は平成3年のものだそうです。

 

芳賀神社(栗崎町1677)

  境内社である護国神社の鞘堂です。鞘堂の蛙股のは、珍しい鯉の彫刻がほどこされています。石段をのぼって、一段高い右側にあります。ここには、疱瘡神社など5社を合祀した境内社をおおう鞘堂もあります。

 

綿引家住宅(吉田町2192)

 屋敷神をおおう、立派な鞘堂です。屋敷の東北側にありますので、いわゆる鬼門である艮(うしとら=東北)の方角を守るという意味があるのでしょう。

 

祇園寺(八幡町11-69)

 開山・心越の墓の鞘堂です。明の亡命僧で、徳川光圀の招請で水戸へ来て、曹洞宗寿昌派を日本に伝えた、広い知識を持った教養人だったようです。山門を過ぎて、すぐ左奥にあります。

 

八卦堂(三の丸1-6)

  弘道館記碑をおさめた鞘堂です。この碑は、藤田東湖が藩校・弘道館の目的と方針を明らかにした文を書いて、徳川斉昭の名前で刻したものだそうです。「小さき家作あり これも亦(また)つまらぬ者よと通り過ぎて帰京後聞て見ればこれぞ名高き大なる寒水石の碑なりと」と書いたのは、明治22年に水戸を訪ねた正岡子規で、この頃、鞘堂は今とは違った姿だったようです。写真で、堂内の白い四角く見えるものが碑です。

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