ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のお墓(6)

2017-01-15 22:05:17 | 水戸

木食観海
宝蔵寺(谷田町633)
 宝蔵寺から見えるあたりにあったという、羅漢寺という敷地18,000坪という巨大なお寺を建立した坊さんだそうです。もともと藩からはよく見られていなかったようで、徳川斉昭の改革で解体されてしまったようです。木喰仏で有名な木喰五行明満はこの寺で木食戒(火を使わず、肉を避けて、木の実や草だけを食べる修行)をうけたそうです。

 

真仏上人
真仏寺(飯富町3427)
 俗名を北条(大部)平太郎といい、親鸞の門人となって真仏という法名をもらい、浄土真宗の布教につとめたそうです。稲田(笠間市)の親鸞を招いたときの、田植歌の碑が河和田にあります。

 

森尚謙
神崎寺(天王町8-17)
 摂津出身で、徳川光圀に招かれて水戸に来た、儒者で藩医でもあった人だそうです。屋敷内に藩の費用で儼塾という教育機関をつくったそうです。号も儼塾といったそうです。

 

高倉逸斎
光台寺(上水戸3-1-39)
 与力になった人だそうですが、水戸の地理志である「水府温古録」などを著した文人でもあったそうです。藩初にあった、一村消失(二重の年貢取立に反抗した村民が皆殺しにされた事件)を記した人でもあるそうです。

 

戸田蓬軒
酒門共有墓地(酒門町330)
 藤田東湖と共に両田と称されて、徳川斉昭の側近として活動した尊皇派の家老でしたが、安政の大地震によって、小石川の藩邸で死去したそうです。安政の大獄で切腹させられた家老の安島帯刀は実弟だそうです。

水戸のお墓(明治以降)(5)


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