ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の読みにくい漢字(2)

2020-02-14 20:33:46 | 水戸

酈懸(偕楽園 常盤町1-3-3)
 「てっけん」は梅の種類で、花びらがない品種だそうです。菊慈童(きくじどう)という能の舞台になった酈懸山(てっけんざん)という、今の中国南陽市あたりにあった地の名前が梅に付けられたようです。足柄市最乗寺では、開山和尚が、自身の手植えの梅が咲かないので、幹に鉄拳を下して咲かせたので、鉄拳梅といわれたという伝説があるそうですが、これには花びらがあるそうです。酈懸では、暖かかったりすると花びらが少し残ったり、咲き始めにあっても落ちてしまうという所があったりするようです。形から茶筅梅(ちゃせんばい)ともいわれるそうです。

 

仙奕台(偕楽園 常盤町1-3-3)
  「奕(えき)」には、かさなる、両脇上下に重なって連なるといった意味があるそうで、それから碁のことをいうようになったそうです。仙人が碁を楽しんだ高台という意味のようです。石製の碁盤と将棋盤があり、千波湖や桜山をながめるには絶好の地です。

 

穢迹金剛尊天堂(祇園寺 八幡町11-69)
 「えじゃく(えせき)こんごうそんてんどう」と読むようです。穢迹金剛尊天は、梵語の烏樞沙摩(うすさま)明王を漢訳した名前で、穢(汚穢と邪悪)を除くという意味の守護仏のようです。中国・明から来日し、光圀によって来水して、祇園寺の開山となった心越がもたらした仏を安置したお堂だそうです。寺額には「金仙殿」とあります。

 

遅月上人分骨瘞蔵碑(神崎寺 天王町8-17)
 「瘞蔵」は「えいぞう」と読み、埋めるという意味のようです。遅月(ちげつ)は俳句をよくした、備中で生まれた僧侶で、水戸では神崎寺、田野町不動院、飯富町竜光院などに滞在したそうです。俳句では多くの門人を持ち、立原翠軒と交流があり、江戸に出て死去したそうです。翠軒は分骨して、それを水戸に持ち帰り、碑文を書いて瘞蔵碑を建てたそうです。碑文によると、滑稽で、誰とでも交遊した人物だったようです。遅月は、大井神社となりにあった竜光院に芭蕉句碑を建てています。

 

祝融(満徳寺解説 赤尾関町)
 満徳寺解説に、「中御門天皇の御代(みよ)正徳二年(1712)不幸にして祝融(しゅくゆう)に罹(かか)り灰燼(かいじん)に帰せり」とあり、また、明応2年(1493)宥誉(ゆうよ)上人の開山で、明治元年に再び焼失して、再建されたものであるなどと書いてあります。難しい漢字ではないですが祝融(しゅくゆう)は、中国・炎帝の子孫とされる火を司る神で、それから火事のことを祝融というようになったそうです。

水戸の読みにくい漢字(1)

コメント
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