にせものと本物のたまねぎを剥く
7月句会の席題「にせもの」
池さとし氏が順番の選者だったのが、課題の選者とぶつかっているので、急遽私に選者をせよ!という編集部からの指示でありました。
「にせもの」と御題をつけた、さとし氏でありますが・・私にとって、難儀な選考になっちゃうな。
私なら「ほんもの」と題をつけたいところです。
さとし氏の生涯にとっていつも、大きな川柳のたましいの壁だったのが「にせもの」の諸事だったのかも知れない。
本物志向がとてつもなく強い氏であるからして、人一倍「にせもの」と対峙してきた人生であったろうと、そこそこ推察ができようものです。
ある人は私に「本物と付き合いなさい」と遺言を残された女性もおられれば、現役の女性経営者には「にせものと付き合わなければ本物がわかりませんよ。」とアドバイスをされる。
それこそ、虚と実のあわいで生きるのが人間なのだと、岡崎守氏の言葉を思い出す。
自分が本物か、にせものなのかは自己判断意外に方法はあるまいと思います。
自問自答するしか、答えがないのであります。
本物志向であっても、人間は所詮駄馬。
駄馬の自覚があればこそ、白いペガサスの夢を見て自己啓発に挑むのかも知れません。
選者として見落としてならないのは、この題「にせもの」は、
にせものの中に潜む、真実。にせものの中でうがつ「ほんもの」
本物の風体の中にある「にせもの」
さすが、北海道川柳界のいぶしギンさとし氏の「出題」
選考に当たる、このにせものの私が選ぶのですからどうなることか?
30分一本勝負で、130句と対峙する。
この心地よい緊張感と、瞬発力がたまらなく好きなのです。
本物の句だけは、見逃すまい。エッセンスの村へ。
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