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元始紫式部は川柳人のようですよ!

2008年05月13日 | 川柳

                              

 「元始紫式部は川柳人だった」という、テーマで綴るとこのブログも格調高くなるでしょうか?やってみましょう!!

 滋賀県の瀬田の唐橋を抜け、源氏物語を構想したと言い伝えられる「花の石山寺」。20歳の私が紫式部の部屋の前に立ったときの身の震えはきっと、式部への淡いあこがれだったのかも知れません。

一千年もの時を超え、日本の女流文学の金字塔に立たれた・与謝野晶子・円地文子・瀬戸内寂聴・俵万智さんなども式部を描いています。

わたしは、余り式部ののことはわかりませんが・・なぜ?式部がこんなに長い物語を作り、40歳(はっきりわからない)そこそこで死んでしまったのか・・そこはかとなく寂しい気持ちと寿命の短さに無念な思いを抱いてしまいます。

秋冬は十二単衣に身を包み、夏の暑い盛りも5・6枚も着物を重ね(夏の京都は暑いですから・・)
髪はおすべらかしで伸ばし・・お手入れ大変でしたでしょう。コピーもない時代ですから和紙に草書体で間違わずに一字一字を書き込んで行く、薄暗い蜀台で・・月の明かり、星の明かりの下で綴ったのでありましょうか長編大作。

式部は生みの母に早く死なれ、たった一人の姉も若き頃に失い、学者の血を受け継ぐ才女としての学問、躾を受け、20歳も年上の男性からから求愛され結婚。子供をひとりもうけすぐ、夫君に他界されました。そのたったひとりのいとおしいこどもさえ置いて、一条天皇の中宮彰子に仕えたといいます。

物書きより、先に和歌の歌人として名声があったことが・・ちょっとキーポイントです。
源氏物語には800句近い和歌が詠まれているといいます。その登場人物は400名と書いてありました。

光の源氏の君が・・続々と差し出す恋歌(贈答歌)には続々不特定多数の女性の返歌があり。宮中における光の源氏の仕事の一環とさえ思えてきます。

そんな源氏もいつまでも若くはない・・不特定多数の女性も年老いて行く。

そこを、その本人、主人公になり切って和歌を作るのだから、男性、女性の深層心理さえも架空の性格を投影して年代も考慮して和歌を創るのですから、いかに人物評価能力も才長けていたかがしれようというものです。

(五七五の句を創るにも、難儀している我胸中は季節は春とて、花と散るらん、ひよこが生まれる前からコケコッコーです。)


式部の人物描写も然ることながら、ひとりひとりの年齢体験も重ね合わせ、その人物になりきって和歌を生み出す作業は、物語の展開を進めるよりもはるかに時間がかかることくらいは歌人、柳人なら察しがつくことでしょう。

いろいろな文学がありますが・・万葉集も、古今和歌集も、小説も、短歌も、俳句も、元を正せばそのおおよそは・・「言葉の表現」と括ることもできましょう。

紫式部が後世にまで残しておきたかったのは、男と女の物語だったのでしょうか?
中宮彰子の男性、性教育として描かれた映画もありました。

当の本人しかその真意は決定、断定できるはずも無いわけです。

けれども、書くという行為はある意味常習性になっていくこともブログを創っていく上で何となく解りかけてきました。

 紫式部自身の表現者としての大作を今もって超える人無き現世にあって思うことは、式部自身たくさんの身にかかる死に遭遇し、死という運命には無力な人間であることの自覚が式部を奮い立たせた原動力となって自分の生きた証の結実が

「源氏物語」。

男と女のモチーフが後世まで残せることくらいは、万葉集で実証済みではなかったでしょうか。

古今東西、あらゆる文学者(女性)は文中の空蝉に式部を投影したといわれてきました。

が、これからも、まだまだいろんな解釈がなされて行くでしょうね・・抑圧された宮中の中で彼女の女性としての精神解放の書であることだけは、まちがいないと思いますが

 物語の女性たちの悲喜こもごも、「光の源氏」は美男子で地位は高いわけですが
あくまでも、一貴族の長編ロマンです。

 和歌という三十一文字の世界で疑似体験を壮絶に成し遂げた紫式部。

      川柳は人間の心模様を森羅万象にのせて諷詠するものです。

        紫式部様・・元始あなたは川柳人でありました。

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今よりも若い日はない・・森編

2008年05月13日 | 川柳

        今よりも若い日はない 食談議


 昨日は友人6名と北海道茅部郡森町という、大沼国定公園(千の風生誕地から15分八雲より)へ、お花見と会食を兼ねとっても楽しいひと時を過ごしてきました。海の幸がおいしい中華料理に舌鼓。

 その会の名前も「今より若い時はないんでない会」という、姥桜のように生きたい6人組が自然の美しさと、おいしい料理を作ってくれるお店で会食会談に花を咲かせました。

天からの恵みとはよく言いますが、「人間関係」も天からの恵みがあるようです。

ボスは作らない。自然体を大事にする。自己実現能力と仏心のすぐれた友人たちとの会話はつかぬ間の非日常だと・・Yさんの弁。

茶道の先生、お寺の住職の妻、生家がお寺、経営者などの構成で話題は信じられないほど地球を一回りします。

お寺の各流派のお話。茶道のお話。ハングル語を習っているお話。美術品・骨董品のお話。お料理のお話。旅行のお話。日本文化。韓国文化。中国文化。趣味のお話。経済。保母のお話。どこまでも話題が際限ないのが素晴らしい。女性では珍しいユーモアと隠れた教養が自然と流れ出す・・心豊かなすばらしき仲間たちです。(合言葉は100歳になっても今より若い日はない!)

若緑色の「御黄衣ざくら」や「関山ざくら」や「しだれざくら」の前で写真をとっても「今より若い時はないから・・とりましょう・・」と、まるで10代の気持ちでかかわりあえる。こころを豊かに積み重ねるすてきな女性達。(こころの醜い人はノーサンキューです。)

「きっと、私たちが出会うように天がしてくれたのねー・・」とSちゃんは言う。

「ところで・・聞いて・・Sちゃんが去年ねー・・豪華客船飛鳥に乗ったのよ(笑)」私

「エー・・乗ったの・・すごーい・・!」Uさん

「私なんか飛鳥を見たくて5枚もはがきを出して、整理券ももらえなかったのに・・この人は大阪まで飛鳥に乗って飛行機で帰ってくるんだから・・帰ってきたらお土産話待ってるよーって言って電話をしたら関空から帰る所だったのよ・・もう笑っちゃうんだから・・」私

「へー大阪まで乗れたんだー・・」Yさん

「飛鳥に乗ったまでは良かったけれど、船酔いしちゃって・・」Sちゃん

「エー・・あんな大きい船でえ・・」Uさん

「たまたま海が荒れてて・・船酔いするとは自分でも思わなかったの・・それで具合が悪くて、寝てばかりいて何も見ていないの・・」Sちゃん

「だから・・電話で・・どうだった・・って聞いたらSチャンが・・どうって・・見れなかったよ・・って、言うでしょう・・変だなーと思ったら船酔いしに大阪まで行っちゃったんだねー・・この人は・・」私

わたしの憧れの豪華客船クルーズ2泊3日にチャレンジした彼女でしたが、「飛鳥」の思い出は辛い「船酔い」の思い出だそうです。

以前も日本舞踊でがんばりすぎて、「腰壊すから・・気をつけなー・・」て言って心配していたら、案の定「腰を壊して」日本舞踊ができなくなった彼女。

10年前に甲状腺ホルモンの難病にかかり、辛い日々を過ごし、「医者をあてにしない!主治医は自分になる」と言って、体質改善、ストレスのある生活を改善して自然食だけを口にして病院の先生も「いつ直るかはわかりませんねー・・」のどん底から這い上がって健康を取り戻した彼女。

その大変さを知っているだけに、「飛鳥」乗船は、「見送りに行くよ・・」と言う気持ちになってしまいました。そしてまた、無事に帰ってこれたかナーという心配もあります。

今より若い時はない日々を、ゆったり風のようにさやかに生きて行きたいものです。

今回セッティングしていただいたMさんのアトリエ風客間で二次会、そしてみんなに森のイカメシとお手製のきゅうりの漬物をお土産にいただきました。

利害を超えて、みんなが各自に魅力を感じているから・・おいしい人の味も楽しめます。

     今より若い日はない・・みなさんもいかがですか・・!

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