天安門風に半旗も晒されて
四川大地震「全国哀悼日」、中国全土で娯楽活動を停止。
北京の天安門広場では、国歌とともに国旗が掲げられた後、ゆっくりと下げられ半旗になったと読売新聞のサイトに記事が書かれてありました。
楽しいブログを書こうかナーと思っていても、新聞記事を読むと、記者の思いまで伝わってくる現地からの記事に、あほなブログはチョット書いてはいけないなー・・と思ってしまいます。
思い出すのは、私が17歳の高校生の8月下旬、暑くてたまらない長崎の8日間のショッキングな思い出の一コマです。
道路のコールタールも歩けばネロッと溶ける暑さで、不快指数80パーセントの精神状態の私たち6名の高校生を原爆記念館に部活の顧問がはりきって引率しようと前を歩いていました。
国体のボート選手で日本一に向かっているはずの6名のモチベーションが顧問の自分よがりの平和理念の啓蒙によって、毎日原爆病院訪問、浦上天主堂のキリシタン弾圧の悲しい歴史を感じ、毎朝の陸上トレーニングはキリシタン26名が張り付けになった処刑場。(中にはこどもまでいて、大きなレリーフで処刑の姿が再現された場所です)
15・16・17歳のスポーツ選手が日本一を目指して過酷な練習を終えて北海道スポーツ界の使命感を背負っている若人に・・またしても、原爆記念館かい!!・・。
普段、従順なスポーツ選手6名は、「もう見たくありません!」と顧問に抗議しました。
明日決勝戦だと言うのに・・目的が違うじゃないか・・!と選手達は内心・・憤慨していました。
今となっては何十年も前の出来事でその経験は良かったと思っていても、当時は・・精神統一ができない、ぐちゃぐちゃなメンタルを与えられたと思っています。
試合が終わってからならいざ知らず・・。・・これで顧問への信頼はゼロに到達でした。
原爆記念館の前で、見学を拒否して宿舎に帰るタクシーの中でのことです。
タクシーの運転手さん。
「あなたたち・・国体の選手かい!」
「はい!そうです。」
「いいねー・・うらやましいねー・・」運転手さん
「・・・??」選手4人
「ボクはねー・・小学校の同級生がひとりもいないんだよ・・」運転手さん
「・・・???」選手4人
「原爆が落ちた時、家族と親戚の家に法事で出かけていて、長崎から出ていたんだよ・・」運転手さん
「・・・・」選手4人
「ボクの同級生は全員死んじゃってね・・あなた達を見ると・・本当にうらやましいよ・・」私たちをうれしそうに見つめていた運転手さん
「・・・・。」選手4人
全員・・なみだ・・をまたこの長崎で・・こぼしたのでした。
長崎を後にするとき、仲間といつか私たちが結婚して、子供ができたら・・この原爆のこと、戦争のこと、被爆者の辛さを教えられる親になろうねと・・長崎の駅前で疲れた体を引きずりながら誓ったものです。
時は流れ、娘が中1になりふたたび家族で長崎を訪ねたとき、26聖人殉教の丘(処刑場所)の会館に飾られている「細川ガラシャ」(細川元首相の長女にそっくりです)の絵との再会に涙し、(毎朝陸上トレーニングで通って観ていた思い出深い絵です)原爆記念館に入り・・いろいろな思いが交差して、声を上げて泣いてしまった私に、娘が「ママ・・泣かないで・・」と、なぐさめられましたが・・
天災なら・・あきらめるしかないかも知れませんが・・。うつろで不安そうに小枝のように細いこども達が、あの子は後2年くらいしかもたない・・あの子はどうかしらね・・などと看護婦さんにそっと教えられた・・言葉に出来ない・・いのちへの無念さ。原爆を投下した者への怒り・・この子達に何の罪があったのだろうかと・・テレビに映る平和記念像とその背後で揺れるねむの木の木立を見る度に、原爆病院でお亡くなりになった子供たちが何十人も私の脳裏では生きている。そして・・何かを私に問いかけて来るような気がします。
人災の「原爆投下で失ったいのち」・・「被爆2世・・」の子供たちの姿・・被爆者のコンクリートが朽ち落ちた病室で枝垂れるようにベットで座っていた被爆者の皆さんの光景は忘れることができません。
きっと、今回の地震に立ち会った多くの被災者の皆さんや、救助や、報道にたずさわった皆さんは、私たちのショックとは比べ物にならない大地獄を見ているんだろうなあ・・。
天災、戦争だけには遭いたくないとつくづく思います。
ひたむきな汗に寄り添う運鈍根
川柳を初めて、13年目になります。
川柳界ではまだまだ、ひよこの域ではあります。
川柳の魅力のひとつに、ユーモアの素敵さや、今まで知らなかった日本語に「出会う」ということが多々あります。
函館川柳社の中では、ご高齢のR氏が一番ウイットがお上手で、いつも句会でのひと言が皆さんにウケなかったことは無く・・川柳を創る積み重ねが人間の味にもなるのだと感じています。
例えば新年会の懇親会のご挨拶・・(短いのが川柳の特徴です。)
句会も終わり・・成績発表後・・懇親会の開会の乾杯のごあいさつでは・・。
「今日の新年句会の・・(間)・・わたしの成績は・・(間)完敗(乾杯で)した。
・・・だから・・乾杯(完敗)の音頭を・・とることになったんでしょうかねー・・(間)・・それではかんぱーい!」会場は、ほんわり温かい笑いに包まれます。
いまどきの、KY(空気を読む力が上手なのです)が最高に上手なのです。
お孫さんとメールのやりとりまでしていますし、お花が好きで広い花畑の中に囲まれたお家ではさぞかし奥様が無類の花好きかと思えば、R氏のご趣味だという。
ほとんどのお花の名前も覚えていらっしゃるのには私も完敗してしまいます。(笑)
そんなユーモアの達人の諸先輩に教えていただいたのが「運鈍根」うんどんこん。
意味は、「幸運と愚直と根気。ことを成しとげるのに必要な3条件としてあげられる。」
ということだそうです。
それに近いことばを知ってはいても、このような端的でわかり易い言葉は、威力があると思いました。
先ほど、娘夫婦と近くの居酒屋で食事をしている時、私がファンの娘婿が今、会社の規定で大変な資格に挑戦中で、少し自信をなくしておりました、
さっそく、この「運鈍根(うんどんこん)」の意味を説明して、30歳まではひたむきにこの三文字に向かっていくことが大切だと思うとアドバイスしました。
本人はなんども、「うんどんこん・うんどんこん」と、「いい言葉ですねー・・」と喜んでいました。
何事も一生懸命に、脇目も振らず目標に向かって努力をしていると回りは、ほおってなどおきません。嫌というほど・・いいお話が舞い込んでくるはずです。
一番わかりやすいのが、スポーツ選手のイチローでしょう!!
この三文字に出会うまで、人間はどれほどの言葉の旅をすることでしょう。
「運鈍根」を知っていても、生かせない人間の方が大多数かも知れません。
50人の生徒に同じことを教えても、東大に合格する生徒もいれば、殺人を犯す生徒もいます。
同じ、読み書きを教えても、教師以上に語学力が身に付く生徒もいれば、漢字そのものが読めない生徒もいます。
「学ぶ」とは、「学びたいという本人の運鈍根があってこそ、生きた学びなのだと思います」
帰り際、娘婿に・・
「将来の道を選択する時、あなたは毎日お茶漬けと梅干の生活と・・ステーキがいつも食べれる生活と・・どちらを選ぶ?」と、質問を投げかけました。
娘婿は、
「おかあさん・・それはわかり易いたとえですね・・」と26歳が答えました。
「気持ちはビフテキですよ・・」娘婿
「そう・・それなら・・そうなるように思うことだね・・思うと叶うからね!まずは、思うことから・・なら、今からでも簡単にできるでしょう・・!!」と、私。
「思う・・だけでいいんですか?」26歳
「いいんだよ・・思うことが強くなると、ビフテキの道に行くようになっていますからね・・」私(彼の大好物がお肉ですから・・。)
思わずして叶うこと無き夢のかたちよ・・・とても率直で、人間性が大好きな娘婿。
(がんばってビフテキの道へ進め!・・少なくてもいい結果が出ることでしょう。
おかあさん・・肉屋さんに着きました(笑)ではないゾ!)
娘婿が尊敬している会社の支店長と私が、今日同じようなことを彼に言ったそうです。
人間はいい人と、いい言葉を探したくて生きているのかも知れません。
自分の星(肉)は自分で掴むのです・・その力不足を支えるのが親なのでしょう。
自分が支えられてきたように。
結果の後に「運鈍根」であったと思えるほうが本物でしょうね。よろしければ、クイックを